58.蝮蛇草 Jack in the pulpit

「レッドクラウン大聖堂に、行きます。アイリスを襲った聖女とその手引をした人間はイフェイオン・ピンクスターに居ます」


 シャギーがそう宣言したとき、その場に居た誰もが顔をしかめた。


「シャギー、それは……」

「行ってどうするつもりだ?」


 フォールスが言い掛けた言葉を遮って、カランコエが無謀な妹に問い詰める。


「それは、その、聖女に会って……」

「会ってどうする。報復するのか?」


 言い淀んだ妹に兄はなおも追求する。シャギーは唇を噛んで次の言葉を失った。それを見てカランコエがため息を吐(つ)く。


「報復が悪いと言っているのじゃない。聖女の暗殺でお前の気が済むのならやればいい。それだけなら騎士団を動かすまでもないだろうからな」


 物騒な内容を語る兄の口調は厳しいが、表情には俯いてしまった妹をいたわる気持ちが滲んでいる。


「お前が報復ではなく聖女の告発に踏み切るなら、教会とやり合う政治と軍事が必要だ。そのための確証と、覚悟はあるのか?」


 俯いたまま、シャギーは力なく首を振る。


「カランコエ」


 スパイクが見ていられないといった様子で、執り成すように声を上げた。友人の顔を見て、それから項垂れる妹へと視線を戻したカランコエが、小さく眉を下げる。


「俺達ソルジャー家はすでに教会と決別した。今さら教会と事を構えるのに尻込みをすることはない」


 カランコエの声のトーンが柔らかくなり、繊細な指先がそっと妹の肩に掛かる。兄の手に促されるようにして、シャギーがそろそろと顔を上げた。


「だからこそ、今は聖女に手を出すな。教会ごと徹底的に追い込むぞ」


 ここには居ない、父のアクイレギアも今その準備を進めているのだから。


 兄の言葉に、シャギーは目を瞠る。視線の先では彫刻のような美貌が悪い顔で薄く微笑んでいる。怒りはシャギーだけのものではない。彼女と関わってきたすべての人がこの件に傷付いて憤っている。シャギーはひとつ、しっかりと頷いた。





 それが、ひと月ほど前のこと。


 シャギーは今、イフェイオン・ピンクスターに居て、聖女と、その聖女を操っていたであろう補佐司教と対峙していた。


「お迎えに上がりましたよ、聖女様」


 溶けるように甘く笑って、芝居がかった仕草でヴィオラセが手を伸べる。脚を動かせないヴィーナスがゆったりと歩み寄るその体にすがろうと、床に這いつくばったまま懸命に片手を伸ばした。シャギーは柄に手を掛けていた剣を抜き放ってヴィーナスの前に出ようとする。


 その、瞬間。


「ああああああっ!」


 シャギーは信じがたいものを見た。誘うように手を差し出したままのヴィオラセが、床についたヴィーナスの片腕を踏みつけて真っ直ぐと自分に向かってくる。苦痛によって溢れ出る少女の悲鳴などまるで耳に入っていないかのように蠱惑的に微笑んだまま、シャギーを見詰めていた。


「なんて素晴らしい……純白の羽根に、光の魔力。やはりあなたが本物の聖女だ」


 うっとりと、夢見るような口調で、ヴィオラセがシャギーへと告げる。


「一体、何を言っている……?」

「光魔法でアイリス・サングイネアを殺せば、きっとあなたはここに来るとわかっていました」


 シャギーの疑問は無視して、熱に浮かされたように聖職者は語り続ける。得体の知れないものを目にして、その気持の悪さと警戒からシャギーが体を引きヴィオラセと距離を取る。


「あなたを見てきました。スパイク・ウィンターヘイゼルのために、フォールス・バインドウィードのために戦うあなたを。そしてアイリス・サングイネア……。私にはわかっていたのです、あなたが自らの意志でこの地へ来ることを。いつだって人の命が軽んじられることが許せないあなたの愚かさが、ここへ導いたのですよ。ああ、けれど。その幼く愚かで哀れな高潔さこそが、あなたが聖女たる証かも知れませんね」


 一体いつから。いつからこの男はシャギーが聖女だなどという妄想に取りつかれていたのだろう。シャギーの背をゾッと悪寒が走った。


「私の主が仰られたのですよ、王都に聖女が現れると。それがあなただった。遠くから見たあなたは四元素の魔法のヴェールの向こうに確かに光を持っていました! 精霊たちの揺らぎの波間にふとした瞬間に現れる真っ白な光の魔力に、私と、私の主だけが気付いていた」


「嘘でしょ……聖女は、あたしじゃないの……?」


 踏まれた腕を抱えるように、横たわったまま丸くなるヴィーナスがぽつりと吐き出した。その表情は空虚に抜け落ちて、感情のない両目からは止めどなく涙が流れていた。その声にヴィオラセはようやくヴィーナスを向く。


「あなたの役目は終わりですよ。あなたは本物の聖女を私のもとへ導くために存在した餌に過ぎない」


 冷たく言い捨てて、ゆっくりと手のひらをヴィーナスへと向けた。炎が揺らめき、地に伏した少女の体へと放たれる。考える前に、シャギーは地を蹴っていた。




「ああ……なんと愚かなのでしょう」


 三度(みたび)、ヴィオラセがシャギーを愚かと評する。それを気にすることもなくシャギーは微笑む男に剣を向けて睨みつけた。剣を持たない手にはヴィーナスの体を抱えている。


ソレ・・はアイリス・サングイネアを殺した人間ですよ?」


 ヴィオラセは心底、シャギーが哀れだとでも言うように眉をひそめ、両手を広げ大げさに嘆いて見せる。その芝居めいた仕草はシャギーの神経を逆撫でした。


「それはちゃんと償ってもらう。聖女だけじゃない、教会にも」 


 シャギーはちらりと窓を見やり、逃走ルートを頭に描く。ヴィーナスを教会から連れ去ることが、今夜シャギーがこの場所を訪れた目的だった。


「裁くのは私でもお前でも、聖女カルミアとやらでもない」

「それは、どうでしょうか?」


 白々しく小首を傾げて見せながら、ヴィオラセが何気ない仕草で手を振った。その動きを、シャギーの精霊視と動体視力は完璧に捉えていた。だというのに。


 魔法攻撃が来る、と、そう思い込んでいたのは、戦闘とは縁の無い聖職者だという先入観のせいだったのだろうか。魔法ではなくヴィーナスを狙ったナイフの投擲だと気付いた瞬間に、展開しようとしていたシールドを中断して剣で打ち落とした。あまりに速い物理攻撃は、魔法による防御の構築が間に合わない。


 ガシャリ。耳障りな金属音が響いて、剣を握るシャギーの手首に腕輪のような魔道具が嵌められていた。腕輪に光るのは見覚えのある琥珀色の石。


「精霊殺し……!」


 呟いて、シャギーがその場に崩れ落ちる。常人離れした身体能力は魔法による身体強化あってのものだ。片手でヴィーナスを抱えたまま戦うことは、魔力を封じられた生身の彼女にはできない。舌打ちをしながらシャギーは忌々しく腕を見た。


「そのような者を庇わなければ、躱(かわ)せたでしょうに! つくづく、哀れな人です」


 ヴィオラセが大仰に嘆き、シャギーはぎらりと視線を持ち上げた。ぺたりと座り込んだヴィーナスを背に庇って立ち上がる。

 力を振るえないことを知りながら、なお剣を構える少女の姿を見て、ヴィオラセの身体にゾクゾクと歓喜が湧き上がる。


「何て、素晴らしい精神力でしょうッ! あなたは哀れだが、とても美しい」

「黙れ。気持ち悪い」


 シャギーが吐き捨てる。


「ではあなたの高潔さに敬意を表して、私も魔法無しでお相手いたしますよ」


 ヴィオラセはそう言うと祭服の裾にスルリと手を入れる。


 ──蛇。


 シャギーが一瞬、蛇と見間違えたのは縄状の鞭(むち)だった。ヴィオラセが微かに手を揺らめかせるだけで生き物のようにしなり、襲いかかる。

 向かってくる先端を剣で弾いて軌道を逸らす。振るわれた鞭は勢いを殺されることなく背後へと伸び、そこにあった重厚な飾り壺をウェハースか何かのように軽く破壊した。


「物騒なもの振り回しやがって……」


 シャギーが噛み締めた奥歯の隙間から呻きを漏らす。ヴィーナスに当たっていたらと思うとゾッとする。肉を削ぎ骨を剥き出しにするであろう破壊力。身体強化魔法によるものか、鞭そのものに魔力を宿しているのか。


「魔法無しでお相手してくれんじゃ、ないの、か!」


 挑発をしながら、打ち振るわれる攻撃をかいくぐってシャギーがヴィオラセの懐へ飛び込む。接近すれば鞭という武器の脅威は無くなる。

 だが、接近して剣を振るおうと踏み込んだ足を、シャギーは息を呑んで咄嗟に引いた。距離を取ったシャギーの目の前数ミリを風がうねりを上げて掠めた。ヴィオラセが回し蹴りを仕掛けていたのだ。


 どうやら、聖職者が戦闘とは無縁だというのは完全に間違った認識だったらしい。少なくとも目の前で対峙する男は体術も凄まじく強い。


「身体強化は少しズルいですかね? そうしないと振るえない程に重いのですよ、特別製なもので」


 シャギーの挑発に余裕を持って返し、次の瞬間にはうねる蛇が剣を捉えていた。そのまま剣を絡め取られて引き寄せられる。息を継ぐ間もなく薄笑いを浮かべた顔がシャギーの眼前にまで迫っていた。


「あなたも、随分と剣が重そうですね」


 ニヤリと笑う白い顔を、発火しそうな程の鋭さで睨みつけ牙を剥き出す。身体強化の使えない今のシャギーには重量のある剣を振るい続けるだけの腕力が残されていない。剣速ひとつとってもいつもの半分の速さも出ていないだろう。

 悔しい。自分の力の無さが枷のように重くのしかかる。過去を後悔することはない。シャギーが生身のトレーニングを欠かしたことはない。出来ることはやっていた。ただ、それでは、今この状況を打開する力には届かないという現実があるだけだ。


「そう、重い」


 シャギーはヴィオラセの言葉を認め、そのまま剣から手を離した。驚きに目を瞠る司教の顔を間近に身を低くして、相手の腹に体重を乗せた利き足を叩き込んだ。




『身体強化に頼りすぎだ、馬鹿』


 王立騎士団で体術稽古をした日々で、師匠ブッシュ・クローバーからよくよく言われた言葉だ。弟分のレオノティスを投げ飛ばして踏ん反り返る後頭部をはたかれて、叱られた。

 だから散々研鑽を積んだのだ。成人男性に比べ華奢な体格でどう戦うのが有効なのか。




「ぐっ……」


 シャギーの蹴りをまともに食らったヴィオラセが一歩よろめく。その隙を逃さず踏み込んで、拘束具のつけられた手首を顎に叩き込んだ。


 しかし、その腕は無情にも狙いに届く前に掴まれる。


「無駄だと、そう諦めてしまわない気力はどこから来るんでしょうね」


 手首を掴まれたまま正面から体重をかけられて、シャギーは為す術なく背中から床に落ちた。金色の髪が深緋(こいあけ)の絨毯に広がる。倒れた体を床に縫い留めるようにヴィオラセが伸し掛かった。その顔には貼り付けたような笑みとはあきらかに異なる、心からの喜色と高揚が浮かんでいる。


「恐れる必要はありませんよ」


 ぎりぎりと怒りに燃える瞳を覗き込んで、歌うようにうっとりとヴィオラセが囁く。


「この世界の聖女となる幸福を、あなたもすぐに知るでしょうから」


 冗談じゃないと、そう言い返そうと開かれたシャギーの口が言葉を紡ぐ寸前で固まる。と、同時に覆いかぶさっていたヴィオラセが素早く身を起こした。二人の体の間を黒い風が回転する刃のように通り過ぎる。




「シャギー!」


 窓際から放たれた闇魔法。シャギーが視線を向けた先には窓枠に足をかけ、夜を背景にしてスパイクが居た。






【植物メモ】


和名:マムシグサ[蝮蛇草]

英名:ジャック・イン・ザ・パープリット[Jack in the pulpit]

学名:アリサエマ・セラタム[Arisaema serratum]


サトイモ科/テンナンショウ属


英名のJack in the pulpitは、その姿が説教壇に立つ牧師に似ていることに由来する……らしい?(AI調べ)

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