10.霧中の愛 Nigella





「遅え! 何だその反応速度は!」


 容赦のない檄(げき)が飛んで、持っていた模擬刀が弾き落とされる。


「とっとと拾えオラァ!」


 さらに怒声のおかわりが降ってきて、血が燃え立つ。


(クソッタレ!!)


 シャギーは腹の中で罵声を吐いて、相手に向かっていく。


 ブッシュ・クローバーとの稽古には一切の容赦がない。子どもだから、女だから、貴族だから。そういった遠慮が一切存在しないのはもちろんのこと、相手の感情を配慮して言葉を選ぶこともない。


(いやむしろ、わざと煽ってるな)


 シャギーはこれまで数々吐かれた暴言を思い出して、眉をしかめる。


(絶対食らいついてやる)


 転生前の世界であれば許されないようなクローバーの指導。しかしそれは負けず嫌いで雑草根性逞しいシャギーと非常に相性の良いやり方であったのだ。



「お前、次から騎士団の方の演習に混じるか?」

「いいんですか!?」

「まあ、“候補生”ってことで俺の口利きがあればいけるだろ」


 その日、稽古終わりにクローバーから掛けられた言葉は思い掛けないものだった。だが一度耳にしてしまえばそれはとてつもなく魅力的な話だ。


 王国中の精鋭を集めた王立騎士団。その騎士達と対して今の自分はどれだけやれるのか。いつも剣を交えているクローバーとの差は歴然としている。だがその彼が「混じっても良い」と判断するだけの力はついたと判断してもよいのだろうか。とても興味深い。

 加えて、今は週に2日しか指導してもらえないが騎士団の訓練に参加するのならば毎日クローバーの剣を見ることができる。うまく行けば誰かしらの指導を受けられるかもしれない。得られるものは羞恥や遠慮を上回る。シャギーは学習機会には非常に貪欲だ。


「お願いします!! 是非!」

「ソルジャー伯爵には許可取れよ」

「許可取れました!」

「いやちゃんと取ってこいよ」

「取ります! ありがとうございます!!」

「おう」


 世界がゲームの通りに進むのならばレオノティス・レオヌルスとの邂逅まであと5年。そのあまりにも短い時間で出来ることは何でもしたい。

 シャギーはクローバーを送る馬車に同乗して門まで出ると、そこで降りて見送りの挨拶をする。馬車が去っていくのを確認してから先程の出来事を噛み締めて、改めてガッツポーズをひとつ。

 それから、明日の魔法の授業のことを思い出してため息をひとつ。


 剣術の稽古が順調で着々と成果を上げる一方、魔法に対しては今ひとつ手応えが掴めず燻ったままでいる。それがこのところのシャギーの悩みだった。





「うん。良いですね」


 シャギーは師となったフォールスと共に、屋敷からほど近い森へ来ていた。


 精霊力の高い泉が湧き魔物の寄り付かないこの森は魔術の授業に最適だ。幼い頃のフォールスもソルジャー家が所有するこの森でよく訓練をしたという。

 その森でシャギーが本日の課題、霧を発生させる魔法を発動させると、フォールスはゆらゆらと靄にけぶる木々を眺め合格だとシャギーの頭をなでた。


 師から認められたというのにシャギーは浮かない顔でいる。


「良くはないです……。薄いし、範囲も狭くて」


 不満げな少女の言う通り、ぼんやりと漂う霧は薄く、藪の中に咲く黒種草の青が点々と透けて見えていた。

 シャギーの脳裏にはレオノティスとヴィーナスに殺されたゲーム画面が蘇る。あのシーンでも悪役令嬢シャギー・ソルジャーはこの霧の魔法を使って姿をくらまそうとした。しかしその術は弱く、ヒロインの光魔法であっさりと散らされて位置を特定されてしまう。あの恐怖から逃れるにはもっと強さが必要なのだ。

 もっと強い術でしっかりとした濃い霧を作れたなら二人から逃れられたのかもしれない。そう思うと一層「これでは駄目だ」という焦燥感にとらわれる。


 フォールスは唇を噛むシャギーを見下ろすと、なだめるようにまだ小さな頭に置いた手をポンポンと弾ませる。


「今の君の力で出来る魔法としては上出来だと思いますけど、厳しいですねえ」


 それが甘いのだ、と少女はさらに眉間にシワを寄せる。クローバーとの稽古のように、もっと腹の底から湧き上がる力が欲しい。だからフォールスにも厳しくしてほしいのに。


「先生は、私には期待が持てませんか?」


 それはシャギーの中に燻っていた本音だった。どんなに努力しても生まれ持った才能がない“噛ませ”には、普通以上は無理だと思われているのでは無いだろうか。

 フォールスはやれやれと苦笑してシャギーと目線が合うようにしゃがみ込む。「悔しい」とくっきりと描かれた鮮やかな新緑の瞳に穏やかな冬の色が映った。


「魔力量は十分にあると思いますよ。このまま努力を続けたらもっと伸びるでしょう」

「……ありがとうございます」

「だけどね、シャギー。魔法を発動させる力っていうのは魔力だけじゃないんですよ」

「そうなんですか!? 何が必要ですか? 教えてください、努力します!」


 悔しさを滾らせていた瞳が一転してキラキラと煌く。その様子にフォールスは困った子だというように眉を下げる。


「努力……とは少し違うかもしれない。魔法の強さに大切なのは、心です」

「ココロ」


 思いもよらぬワードにシャギーの頭の中で疑問符が飛び交う。心。心とは。


「感情って言った方がわかりやすいかもしれませんね」


 きょとんとして固まったシャギーに柔らかく微笑んでフォールスは続ける。


「強い感情は強い術を引き出す。例えば“怒り”なんかも強い力を持つ感情のひとつです。君の剣術の師匠はそれを無理やり引き出させて、魔力操作の精度を高めるのが上手いんじゃないですか?」


 わかる! とシャギーは大きく頷く。だから自分はフォールスにもあれをやってほしいのだ。


「屈辱や恐怖、絶望、後悔、欲望、そういう感情はあまり力を持たない。力は行き場なく内側にこもる」


 そう言われて、恐怖を動機に頑張っている今の自分に思いを巡らせる。


「怒りは前を向く力になるけれど、それは攻撃にとどまりその上の視点を持たない。プライドは崇高だけれど、嘲笑を生む。勇気はプライドを上回り、そのさらに上に意欲がある。意欲という自己の枠を超えたところに受容があり、受容の先にある理性はそれよりも強い」


 霧がたゆたう森の中。


 黒種草の青が、二人の師弟の周りで淡く揺れている。


 呪文のように紡がれる魔法使いの言葉。


「ねえシャギー、まだまだ幼いあなたに、最も強い力を持つ概念を教えてあげましょう」


 それは甘く細い意図の糸で、雨のようにさらさらとシャギーの身に降る。


「それは?」

「──愛」


 愛。環境より金銭より物理よりも弱々しい、あれが?


 それが棄てられるところをシャギーは前世で何度も見てきた。あれは力を“持たない”ものだ。だから菊子も時によってはあっさり捨てた。冷たいと言われても、そうかなあと特に感慨もなく。


「そんなの持ってないし。確かに努力でどうにかなるとも」


 肩をすくめてそう言うのはシャギーでなく菊子だ。シャギーには多分まだ少し早い。


 彼女が持つもうひとつの世界の秘密。それを知る由もないフォールスは、しかし幼い姪のらしからぬ態度に動じる様子もない。


「そうでもないかもしれませんよ。最近は誰でも持ってるんじゃないかって気がしています」

「私はどうかなあ、冷たい方に分類されると思うし」


 そう言われたこともあるし。内心で付け足す。


 フォールスは細く長い腕を少女に伸ばす。そうして幼さの無い言葉を吐く体を、ふわりと抱え上げた。急に高くなる目線。

 景色が変わり、地上に散っていた青い花が遠くなり、靄で薄くなる。シャギーが自分で思うより、術は成功していたのかもしれない。


「そう思うなら、それはシャギーが自分を許してないからじゃないですか」

「自分を許す」

「そう。思ったよりできてますよ。よくできたって褒めてあげたら?」

「全然足りないのは本当なのに?」


 うーん、手強いな。フォールスは面倒なことを言う姪のことを楽しそうに笑う。


「カランが魔法を発現していなくて、これ出来ないって言ったら同じことを言いますか?」

「言わない。出来ないのとやらないことは違うから」

「じゃあ、シャギーもまだ・・出来ない。でもここまでは・・・・・やった。そうでしょう?」


 そういうものか。


 まだ釈然としない様子の子どもを地上に降ろし、また、存在を確認するようにポンポンと頭をなでた。何度も繰り返されるその動作。


「そうやって自分を許してあげないと、なかなか人のことも許せないものですよ」


 その言葉にシャギーは菊子だった頃を思い出す。それは夢の中での最後の日。死ぬ直前に起きたバイト先での出来事。





「大丈夫だよ!」

「一緒に頑張ろう!」


 その日、菊子がバイト先のファミレスに行くと従業員控室では一人の少女が泣いており、数人のバイトメンバーがそれを慰めるように囲んでいた。

 輪の中心で泣きじゃくる少女はスダさん、という名だっただろうか。何度かシフトが重なることがあったが彼女はミスが多い。おそらく今日も何かしらミスをして店長に注意されたのだろう。パワハラに厳しいこのご時世、店長は大声で怒鳴ったり過剰な暴言を吐いたりするようなタイプではない。スダさんには少しの注意でもこうして悲嘆してしまうところがあった。


 お決まりの励ましが飛び交う塊の脇を抜けて自分のロッカーへ向かい制服に着替え始める。すると慰めている集団の中から一人の少女がやってきた。ヤノさん。彼女とはシフトが一緒のことが多い。とても明るく正義感に溢れている少女だ。


「お菊、悪いけど店長に遅れるって伝えて」

「遅れるのはヤノさんだけ?」


 他の面々はこれから上がるメンバーなのかと聞くと、ヤノさんは首を振った。


「遅れるのは私とユカリン。スダさんは今抜けてるところだけど、戻るのもう少しかかるから……」


 なんと。泣きじゃくるスダさんはまだ勤務時間中らしい。そのスダさんの背をさすってあげているユカリンさんに目をやりながら、菊子は内心でマジか、と呟いた。


「伝えるけど、伝えるだけだから後の判断は店長に聞いてね」


 ため息をつきたい気持ちを抑えて菊子は淡々と告げる。ヤノさんの目がキッと跳ね上がるが、それはスルーして背を向けた。さっさと着替えて行かなければ自分も遅刻する。


「お菊はほんと冷たいよね!」


 背中に投げつけられる言葉を聞きながら、果たしてこれは冷淡なんだろうかと、菊子はそれを受け流した。手早く着替えを終えて控室を出る。


『泣いてお金が貰えるならそうしたいよ』


 それはこんな場面に出会うたびに幾度となく脳内で呟いてきた、菊子の口癖。


 あの時、バイト中に泣き出したスダさんを見て、菊子は無責任だと呆れた。自分だったら絶対にしない。自分ならそれを自分に許さない。あの子だってやれるはずなのに甘えている。だって、現に何も持たない自分にだって出来ているのだから。


 ──自分を許さなければ、人のことも許せない。





「心の成熟は無理にさせるものじゃない。たくさんの感情を自分に許して、じっくり育てるものです。それにシャギーはもうすでに一度そういう魔法を使ったと思いますよ」

「そんなの使った覚えないです」

「カランの魔力を引き出してあげたのは、愛でしょう」


 そうなのだろうか。あれはふとした思いつきに過ぎなかったし、家族だから出来ることをしただけだ。


「家族や友達や、大切な人に向けられるなら、それはやがて世界にも向けられる」


 ポンポンと髪に触れる指先は柔らかくあまい。頭のてっぺんからじわじわと溶けていくような不思議な温度。これも何かの魔法なのだろうか。


「シャギーは頑張ってますよ。何を隠してるのかはわからないけどね」


 フォールスがぱちんと指を弾いて、霧を消す。


「愛は崇敬の感情から生まれて世界を許していく。本質を見抜く目と、すべてを溶かす温度を持っている。世界は許されて、溶かされて、精霊の力を増す」


 魔法使いの呪文は続く。唄うように。それは緑を取り戻した森の中で、さやさやと風に紛れた。


(次にこの人と会ったら、私の秘密を手渡してしまおう。)


 シャギーは藪の中に揺れる黒種草の群れを眺めながら唐突にそう思った。天啓のようにそれは訪れた。フォールスならば、どんなに信じがたいことでも受け入れてくれる。


 確信に似た予感があった。







【植物メモ】


和名:黒種草[クロタネソウ]

英名:ラブ・イン・ア・ミスト[Love in a mist]

   デビル・イン・ア・ブッシュ[Devil in a bush]

学名:ニゲラ[Nigella]

   

キンポウゲ科/クロタネソウ属

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