9.昼顔 False bindweed





 悪役令嬢シャギー・ソルジャーにとって10歳の魔力測定は特別なものとならずに終わるはずだった。


 四属性の素質を有するという希少性は示すものの魔力量は特筆すべきものではなく、貴族にしてみたら“平凡”という結果を示すだろう──と、シャギー自身は考えていた。ゲーム“イフェイオンの聖女”において「噛ませ」だとか「ご都合」だとか言われていたパラメータからは、そんな幼少期が想像できたからだ。


 しかし測定で得られた結果は10歳では規格外の魔力量だった。


「なにこの魔力量……お父さんに追いつきそうな勢いなんですけど」


 付き添いのアクイレギアが娘を驚嘆して眺める。


「チッ、まだお父様を超えられませんでしたか……」

「シャギーちゃん? 今舌打ちした? あとボソッと不穏なこと言ったよね?」

「いいえ?」


 何を目指しているのかはわからないものの、日々鍛錬を積む姿を見てきた父親はしみじみと幼い娘を見る。


「頑張ったんだねぇ……すごく……」





 この世界において“魔法”とは、精霊を使役する能力である。


 そして魔力とは精霊の力が体内に取り込まれた状態を言う。精霊の力とは、世界を構成する四元素に宿るエネルギーのようなもので、魔法を使うということは、精霊のエネルギーを体内に取り込み、循環させ、放出すること。

 人が自身の体内に貯蔵できる精霊エネルギーの量が個人の魔力量となり、ほとんどの場合は生まれ持った資質に影響される。だが、精霊の力を巡らせる効率を上げることで魔力量を増やせすことができるのだ。


 つまり、魔力量は才能プラス鍛錬によって伸ばすことも可能である。


 2年前、シャギーは前世の記憶を思い出すことによって自分の未来に待つ破滅を知った。何も努力をしなければ待つのは最悪、死。死なずともそれに準ずる苦しみだ。幸いというか何というか、シャギーの前世である菊子は雑草並みにしぶとい根性が売りの貧乏苦労少女。家計を気にすることなくフルスロットルで学習の機会を得られる環境はまさに“持ってる側”。

 毎日コツコツ続けている魔法の基礎では、一度に溜められる魔力量を増やし、吸収・放出する速度を上げる。

 剣術を始めてからはその操作の精密さも磨いてきた。剣術の鍛錬もまた一日も欠かさない。筋力の未発達な彼女の体ではより高精度での魔力操作が欠かせないため、魔法の練度も同時に高めざるを得ないのだ。


 ブッシュ・クローバーによる指導日も今では週に2回に増えている。


 それは稽古をつけ始めて半年ほどたった頃のこと。いつものように稽古を終えたクローバー卿はある日突然「次は3日後に来る」と言って帰っていった。

 クローバーは与えられた課題を一週間後にはできっちりモノにしてくるシャギーを見てきた。少女の努力は天井知らずで、ならばその無尽蔵に湧いてくる根性にまかせて成長速度を2倍にしてみたらどうなるのかと考えてしまったのだ。


 ちなみに兄のカランコエも王国最強の剣士の指導はどんなものなのかと一度見学に訪れたが、豪雨のごとく罵声が降り注ぐ中、息をつく間もなく繰り広げられる激しい稽古風景を見るやいなや「僕には向いてない」と言って去っていった。


 そんな日々を過ごしてきたことが「ゲーム世界との差異」を生んだのだろう。


 魔力量は成人と比べればトップクラスとまではいかないが、四元素すべての精霊を同レベルで使役できる存在となれば王立の魔術研究所にも少ない。


「これから誰に魔法を教えてもらったらいいんだろう……」


 地・水・火・風それぞれの魔術師に日替わりで? いやいや伯爵家とは言えそんな金と人材を小娘一人に使うわけにはいかない。ブッシュ・クローバーとの稽古のように一人の人物に数日おきに見てもらうのがギリギリ許されるワガママのラインだと、シャギーは唸った。





「叔父上が?」


 夕食時、週末に来訪者があると切り出したのは父親のアクイレギアだった。客人の名はフォールス・バインドウィード。アクイレギアの異母弟にあたる人物で、シャギーの記憶にはないが母の葬儀で会ったというカランコエが覚えていた。


「母上の葬儀以来ですよね? なぜ急に」


 シャギーに全く覚えがない通り、フォールス・バインドウィードは18歳で王立学園を卒業すると同時にソルジャー家を出たという。洗礼名のバインドウィードだけでソルジャー姓を名乗っていないのも本人の希望で籍を抜いているためだ。


 父によれば、兄弟仲は悪くなかったが先代のソルジャー伯爵との折り合いがとにかく悪かったらしい。妾腹の子という立場にも思うところがあったのかもしれない。

 弟フォールスが家を出て間もなくソルジャー家は代替わりした。王都の邸宅を出て領地で隠居する先代と顔を合わせることもなくなってからは、幾度か母ガーラントの見舞いに訪れていたのだという。


「実はこの間、シャギーの魔力測定のことを相談したんだ」


 シャギーが四属性の魔法を使えること、そして10歳にしては規格外の魔力量があることについては確かに今、ソルジャー家ではどう扱うか宙ぶらりんのままになっている。


 だがそれと叔父の訪問はどう関係しているのだろう? 頭の上に疑問符を浮かべている兄妹を見て、ああ、とアクイレギアは微笑んだ。


「フォールスは王立魔術研究所に居るんだ。彼もシャギーと同じ、四元素を扱える魔法使いなんだよ」


 父親の言葉にシャギーは目を見開いた。


(み、身内に居た!! 貴重な人材がまさかの身内に!)


 地・水・火・風すべての魔法の知識があり、しかも王立の研究機関に所属するほどの魔力持ち。そんな人物が自分の叔父だという。よもやの事実である。


「お、お父様……!そ、その、フォールス叔父様とやらに魔法を習えると……?」


 大きな目から期待をこぼれさせて身を乗り出す娘にアクイレギアは苦笑した。2年前、唐突に魔法を学び始めたシャギーの意欲はとどまるところを知らない。ブッシュ・クローバーに剣術を習いたいとまで言い出したときは心の底から驚愕したし、一日も欠かさず鍛錬を積むその情熱は今も変わらずだ。

 このまま突き進んだらどうなるのだろうと娘の未来が心配にもなる。うちの子一体なにを目指しているの……?


「それは会って話をしてみないとわからないよ」


 あまり期待をさせて希望通りの結果にならないのも可哀想なので釘を差しておく。なにせ弟フォールス・バインドウィードはずっとソルジャー家を避けてきた人物なのだから。


「頑張って説得します!」


 シャギーはこの機会を諦めるつもりは無いようで、両手に握りこぶしを作ってムフンと鼻息を荒くした。隣からカランコエに「お行儀悪いよ」と注意されている。


 アクイレギアは度々弟の様子を見に研究所を訪問していたが、ソルジャー家に寄り付かなかった弟の訪問はそれとはまた別の喜びがある。家族らしい甘え方など一切してくれなかったが世界にただ一人の兄弟だ。カランコエやシャギーとも仲良くなってくれたら嬉しいと思う。



 そうして、ソルジャー家がそわそわと待ちわびていた週末がやってきた。


「久しぶり……と言っても、シャギーは覚えていないかな。二人とも大きくなりましたね」


 アクイレギアから紹介を受けた叔父は子どもたちに微笑みかける。その笑顔は確かに兄弟であるアクイレギアによく似ていた。だが父よりずっと線が細く、中性的な印象だとシャギーは感じる。

 代々戦場で活躍してきたソルジャー家の当主らしく武人寄りの父に対して、研究機関で働く魔術師、というのもあるのかもしれない。

 色彩も、似ているようで微妙な違いがある。銀の髪に青い瞳という色彩は兄弟ともに同じだが、兄のアクイレギアがやや暖色のかかったホワイトゴールドなのに対して弟フォールスは寒色のプラチナ。そして瞳も、兄のサファイヤのような深いブルーに対して弟はアクアマリンのように淡いブルーだ。

 アクイレギアを華やかな“春”とするならフォールスはひっそりとした静謐の“冬”。そんな印象を覚える。


 貴族籍を抜けて十年以上になるはずだが、長年躾けられたマナーが身に染みているのかティーカップを口に運ぶ仕草はとても優雅だ。


「実は聞きたかったのは、シャギーがカランコエの魔力を解放した時のことなんです」


 シャギーの魔法教育についての話かと思っていたが思いもよらぬ話に兄妹は顔を見合わせる。


「フォールスは魔力障害やそれに関わる病気の研究が専門なんだよ」

「じゃあ、僕の魔力の発現が遅かったのは魔力障害のせいなんですか?」


 不思議そうな兄妹のために父が隣から補足すると、フォールスの意図を察した兄が叔父に質問をする。


「いいえ、そうではないでしょう。でもガーラント……ソルジャー伯爵夫人のことを考えればシャギーの手法が魔力障害の治癒に役立つ可能性も──」

「フォールス」


 父がやんわりと叔父を制するように呼ぶ。フォールスは失言に気付いたように小さく肩をすくめた。


 シャギーは叔父フォールスの発言に驚いていた。今、叔父は母が魔力障害であったかのような言い方をした。しかし母の死は定められた運命であったはずである。


 カランコエが10歳の魔力測定で贖人と定められる可能性があると気付いたのは、父から母親が贖人だったと明かされたこととゲームの知識によって兄の未来を知っていたからだ。

 しかしカランコエは主人公ヴィーナスによって水属性の魔力を発現させる。それもまたゲームによって知り得たことだが。


(あれ?)


 そこまで考えて、シャギーは首を傾げた。


(じゃあ結局、贖人ってなんだろう。20歳で亡くなるのは神に定められた運命じゃないの?)


 母ガーラントは運命の通り若くして亡くなった。しかし23歳までは生きた。3年は個人差の範囲だろうか。魔力障害を研究している叔父。その彼が母の見舞いに訪れていたということは。


「叔父様はお母様の治療を……」

「待ってごめんシャギー、察してほしい」


 シャギーがフォールスから得たかった答えは先程フォールスがやんわり窘められた時と同様に、父アクイレギアによって遮られた。


 教会が定める贖人が、神に選ばれた存在ではなく、魔力障害に伴う病であったなら。


 その可能性を口にすることは教会の教えに背くこととなる。この国において背けば地位を保つのも難しいほどの権力を持つカルミア教を敵に回すということに──


「叔父様」

「フォールスでいいですよ。私はもうソルジャー家の人間ではありませんから」

「私に魔法を教えて下さい」

「はい、わかり……」

「ダメ!」


 フォールスの隣からアクイレギアが口を挟む。


「お父様!!」

「シャギーとフォールスを一緒にするのはすごく危ない気がする。ダメ」


 ため息をついて腕を組んだアクイレギアの隣からフォールスが、正面からはシャギーが見詰める。


「兄上……ソルジャー卿」

「お父様……」

「お前らっ……そんな、うるうるきらきら見てきてもダメだからな!」


 可愛い弟と娘に絆されまいと力を込める父親は、救いを求めて長男を見る。


「でも、四属性を扱える魔術師なんてそうそういませんよ?」

「カランコエお前まで!」

「僕はシャギーの魔法に救われたと思っています。」


 静かな長男の声に父親がぐっと詰まる。もしも息子まで贖人の運命を背負わされていたら。その恐怖はかつて最愛の妻を失ったソルジャー伯爵の胸にも存在していた。贖人という定めそのものへの疑問も確かにある。しかし。


「ただでさえうちは教会の印象良くないんだから……これ以上こじれたら二人の未来が危ないんだよ」


 守りたいものと、守りたいものたちの願いと。その間(はざま)で父親は揺れる。シャギーは唸る父親の手にそっと触れた。アクイレギアがその手を見る。


 まだ10歳の幼く小さな手のひら。だがその中には大人顔負けの膨大な魔力と、可能性が詰まっている。

無限に広がる未来を掴むための手のひらなのだ。


「安心してくださいお父様。そういう研究はまだ・・しません」

まだ・・……?」

「今の私はもっと強く、より高みへ、最強を目指したいだけです」

「それはそれで」


 父親を安心させるために何ひとつ安心できないことを言い出した娘を力なく眺めて、隣に座る弟へと視線を移す。


「フォールス、俺は娘に不穏なことには関わってほしくないんだ」

「わかりました。来週から来ますね」

「わかってる?」


 ちくしょう似てるなこの叔父と姪。


 自分よりよほど親子らしい血の繋がりを感じてぐったりしながら、最後に息子のカランコエを見る。


「カランもフォールスに習う?」

「僕は水属性だけなので効率が悪いです。今の教師で不足ありません」


 とても合理的だった。ソルジャー伯爵家は安泰だ。


「お父様とお兄様は最強となった私が守りますからね」


 たぶん安泰だ。





【植物メモ】


和名:昼顔[ヒルガオ]

英名:フォールス・バインドウィード[False bindweed]

学名:カリステジア・ジャポニカ[Calystegia japonica]

   

ヒルガオ科/ヒルガオ属

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