8.鹿鳴草 Bush clover
イフェイオン王国中から精鋭が集められる王立騎士団。その騎士団において当代随一の剣豪と名高い騎士、ブッシュ・クローバーは、ゲームの中ではレオノティス・レオヌルスの剣の師として登場する。
生まれつき剣の素質が高かったレオノティス少年は、12歳にして立派な天狗だった。
鼻が伸び切った脳筋オラオラ少年は、ブッシュ・クローバーにいきなり喧嘩を売りに行き、ボコボコにされるのである。
埋めがたい圧倒的な力量差。それを目の当たりにしたレオノティスは改心してブッシュ・クローバーに弟子入り。研鑽を積んで15歳で騎士団入りを決めるほどの剣士に成長する──ということが、ゲームの中で説明されていた。
そんなわけで、死亡ルートを回避するためにシャギーが選んだ手段は「今からの6年でレオノティスを超える」というもの。
もちろん、そもそも敵対するルートを避けるべく立ち回れたらそれが一番良いことはわかっている。だが未来はどうなるかわからない。それは兄カランコエにしてもそうだ。だからシャギーは魔法の研鑽も怠るつもりはない。
剣に関しては7年の猶予がある。それにレオノティスが剣に本気で向き合うのは12歳からだ。その間に、後に彼の師となるブッシュ・クローバーに鍛え上げて貰い──あわよくば、12歳のレオノティスとの出会いも妨害したい。後半はちょっとせこいので「できれば」程度だが、レオノティスを超えることについてはシャギーが本気で考えたプランであった。
だからこそ、すぐにでも教えを請いに行きたいのをこらえて必死で高度な魔法制御を身につけたのだ。
「よろしくお願いします!! 師匠!」
「いやァ、そう言われても……参ったなお嬢さん」
父親とのやり取りから一週間。ブッシュ・クローバーは本当にソルジャー家にやって来た。
出迎えたソルジャー伯爵は娘を紹介し二人を鍛錬場に案内すると、何かを含めるような視線をクローバー卿へと投げかけて去っていった。おそらく「うまいこと娘を諦めさせるように」だとか「手荒なことはするな」だとか、そんなニュアンスなのだろうか。
(知ったことかよ、クソッタレ)
ブッシュ・クローバーは後ろ頭をガリガリと掻いた。そもそもここに来たこと自体が不本意なのだ。
剣士はソルジャー伯爵に恩があった。しかし伯爵はこれまでその“恩”を笠に着たことなど、一度もなかったのだ。清々しいほどに公正なソルジャー伯爵が初めて「頼む」と頭を下げてきた願いに、クローバーは頷かざるを得なかったのだ。だが。
奢るつもりは断じて無いが王立騎士団でも自分の立場は軽いものではない。“お貴族サマ令嬢”の我儘に付き合っている暇はないのだ。
目の前の伯爵令嬢を眺める。9歳の少女にしては背が高いだろうか。だがその腕も肩も貴族の娘らしく華奢でとても剣が振れるようには見えない。服装はさすがにドレスではなくピッタリとしたパンツにシンプルなシャツだが舞台に立つ男装の麗人といった風情で、とても鍛錬を積ませる気にはなれなかった。
「一応聞いときますがねぇ、剣を習いたいってのは本気なんですかい?」
「本気です」
まあ呼んだ手前はそう言うだろうな。ダメもとで確認したのは無駄だったと騎士はため息をついた。
「じゃあせめて俺じゃあなくて、もっと初心者向けの……」
「駄目です!」
断られようとしている。その気配を察知してシャギーが詰め寄る。
「なんで?」
「え……っ、」
ストレートに理由を聞かれてシャギーは一瞬返答を詰まらせた。「将来あなたが鍛えた弟子に殺されるので」はさすがに言えない。
「さ、最強に」
ともかく、はっきりしているのはあと数年で「最強に鍛えられた最強を超える最強にならなければ」といういこと。うう、最強の概念がよくわからなくなってきた。シャギーは混乱しながらもとにかく意思の強さだけは認めてもらわなければと押し切ることにした。
「最強になるためです!」
ブッシュ・クローバーが、ポカンと口を開けて唐突に最強を目指しだした令嬢を眺めた。高貴な少女の、宝石のように澄んだ大きな瞳は見開かれ真剣そのものである。
まいったな。
世間知らずの子供など適当に言いくるめてさっさと帰ろうと思っていたが少女はものすごく頑固そうだ。こういう手合は騙すより正攻法で納得してもらったほうが早い。男はそう判断すると見上げてくる少女と目線を合わせるようにしゃがんだ。理解してくれるだけの頭があるとありがたいと願う。
「お嬢さん、俺ァこう見えて暇じゃない。鍛えてもモノにならなそうなご令嬢よりも目を掛けてやりたい有望な奴が騎士団にはゴロゴロしてるんだ」
貴族相手に不敬だというのはわかっていたが、ソルジャー伯爵はこの程度の“事実”を告げたからといって人を罰ずるような人格ではない。娘は泣くかもしれないが。
「もちろん、わかっています」
一息に言い切って相手の反応を伺うと激昂するか泣くかすると思っていた子供は予想に反して静かな瞳をしていた。
「あなたが国にとって重要であることも、その貴重な時間を奪うことも、申し訳ないと思っています」
クローバーは内心で拍手する。賢い子供は嫌いじゃない。これ以上無駄な時間を取られることは免れそうだ。
「じゃあ話は早い。ご指名はありがたいが……」
「でも諦めるわけにはいかないんです。私も──」
少女はわずかに言いよどんで、しかし唇を噛んで真っ直ぐに前を向く。
「私も、命がかかっているので」
命を掛けている、の言い間違いだろうか。痛いほど強い視線に騎士の息がグッと詰まる。子供の表情は悲壮と言っていいほど必死で「大袈裟でしょうに」と茶化すことが許されないような雰囲気だった。
「……」
「じゃあ、こうしませんか?」
互いに視線をそらさず睨み合うこと数分。沈黙を破ったのは令嬢の方だった。
「今日だけ。稽古をつけてもらって、見込みがないと判断されたら諦めます。」
少女の言うことは尤もだった。自分は一度も剣を振らせすらいない。
「まァ……そういうことなら」
ため息を付いて騎士は立ち上がる。少女も目線を上げながら、ようやく笑った。
◆
「俺が良いと言うまで、振り続けろ」
剣の基本の握り方や振り方を一通り教えた後で、シャギーが握らされたのは大人用の真剣だった。少女の細腕には持っただけでズシリと重いそれを教えたとおりに振り続けろという。
少し離れた位置に立つクローバーに目線で頷いた後、グラグラと揺れそうになる腕を必死で持ち上げシャギーは剣を振り始めた。
クローバーが思ったとおり、たった数回ほどで少女の形の良い額には汗が浮き、やがて全身から吹き出すようにこぼれ始める。そして思ったとおり、十分もしない内に腕が上がらなくなってきた。柔らかな手のひらは皮が擦り切れて血が滲み始めただろう。
だが思ったとおりではなかったことは、シャギーが「やめたい」と言い出さないことだった。そしてさらに思ったとおりでなかったことが起きる。
剣を振っていたシャギーの手から、ガシャアン!とけたたましい音を立てて剣が落ちた。おそらく血か汗で滑ったのだろう。
限界か。
クローバーが声を掛けようと口を開く前に荒い息を吐きながらシャギーがそれを拾い、握力を失った指を折り曲げてむりやり握り込ませるとスカーフを巻きつけて固定した。
「おい、もう──」
もういい、と、その言葉は音にならなかった。目の前で再開されたそれは、明らかに先程までの力ない腕の振りとは異なるものだった。
「魔法……身体強化か?」
掛けそこねた静止の合図の代わりに、剣を振り続ける少女に尋ねると、寄越された目線で肯定される。そんなこと、こんな幼い子どもに可能なのかとクローバーは目を疑う。魔力測定すら済んでいない身で強化系の術式が使えることすら信じ難いが、そのコントロールの精緻さがにわかに納得できるようなレベルではない。
「もういい」
今度こそ静止の合図を掛ける。相手の限界を図ってのことではない。すぐに問いたださなければ正気を保てそうにない、自分のためだ。
「なんで最初から術を使わなかった?」
途中までは確かに“生身”のまま、すぐにヘバりそうになって剣を振っていた。
「どの筋肉を、どんな加減で使うのか、どう力を入れてどこに流すのか。それを生身で実感しないと、ただ腕力だけ強化しても上達しないので」
シャギーは淡々と答えるが、それこそがクローバーが信じ難いと感じている所以だった。そんな繊細な魔力操作が可能なのか。目の前で見せつけられたからには可能なのだろうが、誰にも彼にもこんなことができるわけはない。
「信じらんねぇ……」
思わず頭を抱えてへたり込む。
グシャグシャと髪を乱し唸るクローバーの傍らに、幼い気配がやって来て、同じようにしゃがみ込むのがわかった。げんなりと目線を上げると、とても剣なんて持てそうにない令嬢が微笑んでいる。
「あなたに」
だが、その緑に澄んだ目は恐ろしいほどに真剣だ。
「あなたに稽古をつけてもらうために、習得しました」
「マジかよ……」
「週に1日、2時間で構いません。あなたの時間をください」
この賭けは負けだ。
ブッシュ・クローバーはこの日一番、大きなため息をついた。
「わかったよ、お嬢サン……」
「お嬢サンじゃなくてシャギーです! ありがとうございます師匠!!」
「おう、そんじゃァ」
立ち上がった騎士は、ここへ来たときとは違う晴れやかな顔をしていた。ここへ来る時間が「無駄」ではないと知ったためだ。
「続き、始めるぜ。シャギー」
【植物メモ】
和名:鹿鳴草[ロクメイソウ]/萩[ハギ]
英名:ブッシュ・クローバー[Bush clover]
学名:レスペディーザ[Lespedeza ]
マメ科/ハギ属
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