7.唐菖蒲 Gladiolus
「お父様、私、剣術を学びたいと思います」
ソルジャー伯爵家では長男のカランコエが10歳を迎えカルミア教の教会にて魔力測定を受けた。水属性の魔力を発現させていたカランコエは贖人と定められることもなく、測定の結果では魔力量もなかなかのものらしい。
魔力が芽生えてからこれまで体内で滞っていた精霊エネルギーの巡りが良くなったからなのか、たまたま成長と重なったのかは不明だがカランコエは9歳からの一年でこれまでになく背も伸びた。シャギーはシャギーで順調に伸びてはいるが成長率では兄にかなわない。今のカランコエは妹より頭半分ほど背が高かった。
妹よりも華奢で背が低いということが隠れたコンプレックスだったカランコエは、心中密かにガッツポーズを決めていた。
まだまだ線が細いとはいえ、着々と逞しく成長している兄を眺めながら、シャギーはこっそりと心をザワめかせる。
教会に入るルートはなくなったものの、何しろ兄は乙女ゲームの攻略対象なのである。将来何かのはずみでシナリオにハマってしまい、シャギーに断罪の刃を向けてくるかもわからない。何しろこの世界にはゲームの強制力という恐ろしい罠が潜んでいる可能性もあるのだ。
兄との関係性も良好となった今ではそんなことは起こらないと信じたい。だがかつてアイリスに見せてもらったムービーにゾワゾワと恐怖が湧く。兄に放たれた水流に砕け散った、あわれな自分の姿。
あのシーンを思い出しては何事が起きても生き抜けるように強くならねばとシャギーは奮起するのだった。
そんな兄への密かな恐怖はそれとして、“ある魔法”をマスターしたら剣術を習い始めるというのはかねてからのシャギーの計画であった。
シャギーについていた家庭教師は先日「もうお嬢様に教えることは何もありません」という言葉を残し、ソルジャー家を去っていた。
そもそも四属性すべてを持つ魔術師などそうそう居ない。家庭教師も属性の魔法を鍛えるというより基礎の魔法を伸ばすという内容であった。よって長年かけるカリキュラムでもなかった。なかったのだが、それにしてもシャギーの習得は早かった。
ご令嬢ってすごい強いな。バイト行かなくていいし子守しなくてもいいし、勉強も鍛錬も打ち込み放題。最高か。
というのが、シャギーが常々考えていることである。前世では散々苦労してきたので。
一方で父親のソルジャー伯爵は、普段ドレスも宝石も欲しがらない娘が久々にしてくれた「おねだり」に顔を引きつらせていた。
「剣術って、なんでまた」
ここで「剣が扱えないと将来殺されるから」などと言えないのが転生者の辛いところである。あまつさえ、ここが乙女ゲームの世界だからですわとか言い出せば無用な心配まで掛けてしまう。
「自分の身も守れない令嬢など、時代遅れだと思うからです!」
そんな時代の流れなどは来ていないがシャギーは強く言い切った。キリッと音が出そうなほど目に力を入れて言い切った。
娘に弱いアクイレギアはあっさりと押し切られた。
「まあ、ソルジャー家はもともと戦争で功績を上げてきた事もあって今でも武力には力を入れてるし、駄目とは……うん……ちょうどカランコエにはこの間から師範を付け始めたところだから一緒に──」
「駄目です」
しかしシャギーは押し切られた父親をさらに押し出した。
「私の師範はブッシュ・クローバーです」
「何それ!? なんでいきなり王立騎士団のエースをご指名? それ以前になぜその名前を……!」
「有名です」
「有名だけど有名な界隈が令嬢界隈と違いすぎない?」
「令嬢界隈でも有名です」
もちろん嘘だし、そもそもシャギーは同世代の少女たちとお茶会やらお食事やらにまるで興味を示さないので親しくしている令嬢など今やアイリスくらいしか存在しない。
シャギーがブッシュ・クローバーを知るのは王国一の剣の腕を持つ人物として“イフェイオンの聖女”に登場するからだ。ちなみに年齢は父親よりも少し上になる。
なぜ乙女ゲームに剣豪のおっさんが出てくるのかと言えば彼がシャギーを殺す攻略対象者レオノティス・レオヌルスの師範だからだ。
レオヌルス家は代々優れた騎士を輩出してきた家系である。騎士爵は世襲制ではないが代替わりしても叙勲を受けてきた家名は貴族の中でも知られている。
そのレオヌルス家の長男がレオノティス・レオヌルス。
16歳の若さですでに卒業後の騎士団入りが決定しているほどの強さを持つ彼は、王子の護衛候補として学園に入学する。初めは王子が平民の娘を構うことに良い顔を見せないレオノティスだが、なんやかんやある内に主人公に惹かれていく。
なんやかんやとは学園に蔓延る謎の麻薬植物の調査である。いきなりのミステリー展開にゲームをプレイしていた当時シャギーも大いに戸惑った。
切っ掛けはヒロインの友人が突然の体調不良で倒れたことだった。見舞いに訪れた主人公は、王子の命令で倒れた女生徒を調べに来たレオノティスと出会う。何かあってちょっと揉める二人。揉めた末にどうやら女生徒が最近飲んでいたハーブティーが怪しいかも的なことをアッサリ白状するレオノティス。
大切な友人を苦しめるなんて許せないといった理由から協力を申し出るヒロイン。なぜか承諾してしまうレオノティス。やがて二人の間に恋が芽生える中、ついに麻薬ティーの葉を育てている倉庫を突き止める。乗り込んだ倉庫で敵に見つかり瀕死の重傷を負うレオノティス。そこでヒロインは聖女に覚醒。聖女の力で復活したレオノティスが敵を倒す。最後は敵が死の間際に放った火で燃え盛る倉庫をバックに、レオノティスと彼に抱きかかえられたヒロインが愛を誓うシーンでハッピーエンドとなる。
大筋を見ればシャギーが悪役令嬢になる隙間などまるで無さそうなストーリーだが、そこに無理矢理組み込まれるからこそシャギーが“噛ませ令嬢”と呼ばれる所以である。
展開をダレさせないためにも、主人公の成長度合いを確認するためにも、物語の中盤で“噛ませ”の存在は必要不可欠。シャギーは全てのルートにおいて“噛ませ”の立ち位置で登場し、様々な理由から様々な属性魔法で主人公の行手を阻むご都合キャラなのだ。
前世でやり残した一番因縁のありそうな兄のカランコエルートですら噛ませ扱いだったと知った時は、なんだか複雑な気持ちになったものである。
そんな微妙な胸中はともかく、レオノティスルートにおけるシャギーの役割はゲーム中盤で登場する“生徒に麻薬を広める悪役令嬢”である。
◆
「許せない……」
ヴィーナス・フライトラップは、握りしめた拳を震わせる。
学園の生徒たちの間で密かに広まっていた”高揚感を高めるお茶”。レオノティスによれば効果が切れると吐き気や眩暈に襲われ、依存性のある危険な葉で作られているという。
ヴィーナスの友人もまた麻薬茶の犠牲となった一人だ。こんなものを広めた犯人を絶対に突き止めるのだとレオノティスに頼み、一緒に調査をしてきた。
そして浮かび上がった一人の少女の影。
お茶を服用していた生徒たちは皆、ソルジャー伯爵令嬢と接触していたことを突き止めたのだ。
伯爵令嬢シャギー・ソルジャーは今夜、王城で開かれる夜会に出席している。夜会には彼女の他にも学園に通う高位貴族の子息や令嬢が参加しており、接触を許せば新たな犠牲者を生む可能性があった。ヴィーナスとレオノティスは王宮に潜入し会場となっている広間へと急ぐ。そして人気の無い回廊へ差し掛かった時、二人が目にしたのは庭園を横切る一人の令嬢の姿——。
「シャギー・ソルジャー!!」
レオノティスが全力でその姿を追いながら令嬢を呼び止める。彼の中でシャギーはすでに犯人だと決定しているので身分が上だろうとソルジャー伯爵令嬢とは呼ばないらしい。夜会を抜け出してきたのであろう豪奢なドレスを纏った少女は邪魔だと言わんばかりの視線を向けてくる。
「学園で危険なお茶を広めたのは、貴方ね?」
レオノティスの後ろから追いついたヴィーナスが問い詰める。その言葉にシャギーが目を見開いた。
「騎士の真似ごともいい加減にすることね。貴方たち、邪魔なのよ」
不機嫌を顕にした氷点下の声にヴィーナスの身体がびくりと跳ねる。レオノティスが庇うように震える肩を抱いた、その瞬間。
「ミスト!」
シャギーの声とともに、あたりは霧に包まれた──。
ゲーム“イフェイオンの聖女”では、ここで霧の中のシャギーを探し出し攻撃を当てるというミニゲームに突入し、勝利スコアに達するとストーリーが再開される。
「くっ……!」
レオノティスの一撃によってあたりを包んでいた霧が晴れ、胸から血を流しながら倒れるシャギー。
プレイヤーからすれば『やっちまった……』と冷や汗ダラダラの展開である。状況証拠だけ見れば、夜会に来てた伯爵令嬢を殺しちゃった侵入者二人。『ヤバイヤバイヤバイ……』ゲームの中の二人がそう思ったかどうかはわからないが、夜会に出席していたカルミア教の司祭が駆けつけ、シャギーが魔法攻撃を仕掛けたための正当防衛として証言してくれて事なきを得るのだった。
「なんという無慈悲」
心臓にザックリ刺さったレオノティスの剣を思い出し、9歳のシャギーは唸った。レオノティスは天才だ。アレをどうにかするには彼の師匠の協力が絶対に必要なのだ。
生き残るために。
父親をドン引きさせてしまったがシャギーの決意は本物であった。何せ、生死が掛かっているので。
【植物メモ】
和名:唐菖蒲/阿蘭陀菖蒲 [トウショウブ/オランダショウブ]
英名:グラジオラス[Gladiolus]
学名:グラジオラス[Gladiolus]
●ラテン語のgladius=剣が名前の由来とされ、葉の形が剣に似ていることが根拠と言われる。
アヤメ科/グラジオラス属
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