2.菖蒲 Iris Sanguinea
「あああ本当に、助けてくれてありがとうございます……!」
ソルジャー伯爵家の王都屋敷にあるシャギーの私室。部屋に通されたローブの少女は、対面するなり涙を浮かべて頭を下げた。
「やめてください!こちらこそごめんなさい!あなたは何も悪くないのに!」
前世の記憶を取り戻したシャギーは、まずそのきっかけとなった人物と接触を図ることにした。
お茶会に余興として呼ばれていた占い師。フードを深くかぶった占い師は体格や声からシャギーと同年代の少女のようだった。彼女が手に持っていた
ソルジャー伯爵家の当主である父親に、あの時の占い師に会いたいと告げると、少女はなんと、シャギーを害した容疑で王城の牢に拘束されていることが判明した。大慌てで父親と共に王城へと上がり、彼女の容疑を晴らして、今に至る。
「私はシャギー。シャギー・ソルジャー」
シャギーの自己紹介に占い師は知っていますというように頷く。占いのときに名乗ったのを覚えていたのか、あるいは。
「アイリスです」
その彼女は平民のようで、名字はない。
「あなたのお家は大丈夫?」
「あっ、それは全然大丈夫です。先程まで家に帰ってましたから。今回のことを心配というよりも、まずこれまでのことを滅茶苦茶に怒られていまして……お嬢様に呼び出して頂いて本当に助かったといいいますか……。」
突然、貴族を害したとして囚われたのである。彼女の親はさぞかし胸を痛めているだろうとシャギーが気遣うと、一度帰宅を済ませたから問題ないという。
アイリスの家は、ソルジャー伯爵邸からほど近い場所で、魔道具屋を営んでいる。城下にあるそこで、彼女は家の手伝いをしつつ、小遣い稼ぎに路地裏でコッソリ占い師を始めた。ところ、あまりにも当たるので王宮のお茶会に招かれるほど評判になってしまった。そして今回、騒動になったことでついに占い稼業が親にバレてしまったらしい。
「ごめんなさい、私が倒れたせいで」
「ちょっと早まっただけでいずれ話すつもりでしたから! それより、お嬢様は私に聞きたいことがあるそうで」
自分が倒れてしまったせいで牢に留め置かれたことや諸々の出来事に恐縮してしまい、なかなか用件を切り出せないシャギーに、アイリスが水を向ける。年齢は同じように感じられるが、とてもしっかりしている。幼い少女とは思えないその様子に、シャギーは確信を深めながら、たずねた。
「……あなたが、占いに使用していたものについて」
シャギーが切り出すと、少女は一瞬たじろいだが、すぐににっこり笑って黒くて平べったい本のようなものを取り出した。もちろんそれは本ではない。そして、この世界にあるはずのないものだ。
シャギーが前世を思い出す切欠となった『前世にしか存在しないはずのもの』。
「ねえアイリス、私があなたと同じ、それが何なのかわかる人間だと言ったら、どう思う?」
アイリスが目をみはる。
「ここは“イフェ聖”の世界なんでしょう?」
畳み掛けるようにシャギーが告げるとアイリスの目がさらに丸くなる。そして、パクパクと口を開閉した後、「転生者……」と呟いた。シャギーは目を合わせて、しっかりと頷いた。
“イフェイオンの聖女”、通称“イフェ聖”は、イフェイオン王国を舞台としたラブストーリーだ。主人公は母と二人で暮らす平民の少女。
オープニングムービーは幼い少年が獣に追われているシーンから始まる。鬱蒼と茂る木々に陽が遮られ薄暗い森の中。血管のように張り巡らされた木の根に足をとられ、少年は倒れ込む。低く唸る3体の狼のような獣に囲まれ、死を覚悟して幼い瞳が閉ざされた、その瞬間。
目も眩むような光を感じて恐る恐る目を開けた少年の前には、一人の少女の後ろ姿があった。
そんな映像の後に、少年がイフェイオン王国の王子であり、5歳の時に避暑に訪れた地で森に迷い込み獣に襲われ、それを助けたのが光魔法を持つヒロイン、ヴィーナス・フライトラップであったとナレーションが流れる。
次のシーンは主人公ヴィーナスが魔力測定で光魔法を持つことが判明する場面。時は流れ、少女は15歳になっていた。この国ではすべての子どもが10歳になった時に魔力測定を受けるのだが、幼い年齢では魔力が不安定なため発現しないこともあるのだという。
光魔法は幻とも言われるほど珍しい魔法なため、少女は教会に引き取られることとなる。
母親と別れ暮らすことになった教会で、聖女となるために光魔法の研鑽を積みながら、王都の学園に通うこととなるヒロイン。学園や教会では様々な事件や出会いがあり、運命の相手かと思われた王子の他にも、修道士やら騎士候補やら貴族令息やらとの攻略対象とのルートが出てきて、最終的にヒーローを救うためにヒロインが真の聖女へと成長してハッピーエンドを迎えるというストーリーだ。
「アイリスとゲーム機はどうやってここに来たの?」
アイリスが落ち着いて、お互いに転生者だと確認できたところで、シャギーは口調を前世のくだけたものにして話す。
「突然ゲーム機抱えてやってきたわけじゃないよ。普通にこっちの子として生まれて過ごしてきたんだけど、3歳の誕生日に、目が覚めたらこれを握りしめてて」
シャギー同様、アイリスもまたゲーム機を目にしたことで記憶が呼び覚まされたらしい。
ゲーム機には“イフェイオンの聖女”のみがダウンロードされており、どれだけプレイしても充電は満タンのままらしい。彼女以外の人間には触れることができないし、アイリスの意思で自由に消すことも出すことも可能だという。まるで体の一部のようだ。
この世界の人間が見ても、それは何かしらの鉱物でできた板のようにしか見えないだろう。持ち主にしか扱えない占いの魔道具。それだけの。
「でも占いはどうやってたの? 登場人物のストーリーに関わるなら別として、モブとか一般の人の情報なんてどうやって」
「それがねー、これ、ただ“イフェ聖”がプレイできるだけじゃないんですよ」
ふふふと笑って、アイリスがシャギーに手元を見せると、ゲーム機の画面には検索窓のようなものが表示されている。
「ここに名前を入力するとね」
アイリスが、自分の父親だというゲーム内にはモブどころかそれらしい存在のかけらも出てこなかった人物の名前を入力すると、ズラズラズラッと文字が出てきた。名前、出身、年齢、略歴……
「マジか」
「へへー、ほぼ○ィキ○ディアでしょー。これ、この世界の全人類の情報あると思う。今まで出なかったヒト居ないから。物でも土地でも人でも、名前がわかるものは検索できちゃうの」
うわあ、シャギーは口をぽかんと開けたままアイリスを眺めた。チートすぎる。
「これがあるおかげで占い師として稼げるようになってきたからさ、そろそろ独り立ちしようかと思ってたんだけど」
「独り立ちって……まだ子供なのに」
「でももうすぐ10歳だからねえ。この世界16歳が成人だからまあ、いけなくもないかなって。お嬢様はいくつなの?」
「シャギーでいいよ。何だったら菊子でも。8歳です」
「菊子!え?だいぶご年配だったの?」
「いや死んだの18だし。そりゃ珍しい名前だよねー、前世でも相当イジられましたよ」
むくれるとアイリスがごめんごめんと謝ってくる。
「私はアヤメ。20歳で、大学……は休学してた。“イフェ聖”はストーリーに納得いかなくてさあ。死ぬ直前は『ストーリーを変えたい!』ってあんまり強く願ってたからこんなことになったのかもって」
ちなみに死因は病死らしい。亡くなる前の1年はずっと病室で過ごしていて、“イフェイオンの聖女”もベッドの上で楽しめる数少ない娯楽だったという。アイリスの前世話を聞いて、シャギーはちょっと涙ぐんでしまった。
「泣かないで〜!心の支えだったゲームの世界に来られて幸せなんだから!」
アイリスは笑って、シャギーの頭をよしよしする。
「でもね、今日シャギーに会えて、こうして話をすることが出来て、独立についてはちょっと迷ってる」
「そもそもそんなに焦って家を出る必要無くない?」
「いやこれは完全に計算外だったんだけど、王城に呼ばれるくらい有名になっちゃったからさ。今後は危ない人にも目をつけられちゃうと思うの。今、自分の名前で検索すると放火で両親殺された挙句、路地裏で刺されることに。」
「ひっ……!」
家族の安全の為にも家は出なくてはならないが、独り立ちしても命は危ない。と、なると。
「シャギーのお家で働けないかな? その、伯爵家で匿って貰えたらちょっと安心かな、なんて。」
「もちろん! 何なら今日からでも!」
「あ、ありがと、でも伯爵の許可が……」
アイリスの願いをシャギーが即座に了承したところで扉がノックされ、お嬢様、と声が掛けられる。
城に上がっていたソルジャー伯爵が帰宅して、シャギーに話があるという。しかもそれがアイリスにも関わる内容だということで、二人は揃って応接間へと向うことにした。
「そう言えば、アイリスが変えたいストーリーってどのへんなの?」
ふと思い立って尋ねる。アイリスはふふふ、と不敵に笑って答えた。
「それはねシャギー。あなたを、悪役令嬢シャギー・ソルジャーを、救うこと!」
◆
「やあ、君が話題の占い師さんか」
シャギーの父親、アクイレギア・ビィリディフローラ・チョコレート・ソルジャーは朗らかな笑顔で手を差し出した。名前が長い。ビィリディフローラは洗礼名で、チョコレートはソルジャー伯爵家が代々引き継いでいるミドルネームだ。つまるところソルジャー伯爵である。
「い、イケメンパパ……」
恐縮して握手に応え、シャギーにしか聞こえない小さな声でアイリスが呟く。それを聞いて、確かに、とシャギーも父親の顔を見た。名前すら登場しなかった悪役令嬢の父親が、まさかこんなに優しそうなイケメンだとは。しかもまだ20代。若い。
「今回は色々と誤解があって本当に済まないことをしたね」
前世のことなど知らないソルジャー伯爵から見れば、アイリスは娘と歳の変わらない少女である。濃いブルーの瞳が、いたわるように細められている。
シャギーの瞳を若葉のように瑞々しい翠玉(エメラルド)とすれば、父親は深い深い海のような菫青石(アイオライト)だ。髪色はキラキラと光を弾くプラチナで、母親譲りのゴールドヘアーを持つシャギーと並ぶとなんともゴージャスな色彩だなと、アイリスは眩しそうに親子を眺めた。
ちなみにアイリスは明るい栗色の髪に、瞳は微かに紫を帯びているもののブラウンという、この国では最も多く見られる色彩である。人に紛れて生きたいアイリスにとっては、この上なく望ましい容貌だった。
「アイリスのことでお父様にお願いがございます」
シャギーが胸の前で祈るように手を組んで身を乗り出す。娘のことが可愛くて仕方ないのだろう。ソルジャー伯爵は、例え世界を滅ぼしたいと言われても了承してしまいそうな程、真摯に娘の願いへと耳を傾ける。シャギーの願いは世界滅亡ではなくアイリスを守ってほしいという内容だったので、世界は今のところ平和であった。
「シャギー、実は今日王城で話し合ってきたのも同じような話なんだ」
娘とその友人の話を最後まできちんと聞いてから、伯爵は話し始める。
「アイリスくんの占いの力は国も認める相当なものだ。君やご家族が害されることや、能力を悪用される危険について、緊急に保護するべきだというのが今日の招集の目的だ」
「保護、ですか……」
アイリスを守るという目的は同じだが、なんだか大事になってしまったことで、シャギーの声に緊張が混じる。
「保護と言ってもどこかに縛り付けようというのではなく、王家から信頼の厚い貴族に後見になってもらうという話だよ。つまり養子縁組だけど、もちろん、今後もご両親には会えるようにする。」
そこまで話して、ソルジャー伯爵は安心させるように少女たちに微笑んだ。
「た、大変ありがたいお話なのですが、私にはそこまでしてもらうような価値は……」
話が進むのに比例して縮こまっていったアイリスが、消え入りそうな声を絞り出す。すると、伯爵の形の良い眉が困ったように下げられた。
「君の今の生活を奪うのは本当に心苦しい、だが、優れた予言者は国にとっても重要な人物なんだ。できるだけ自由は奪わないよう配慮する」
だからどうか、と、上目遣いで見上げてくるイケメンは、娘であるシャギーから見ても見事な捨てられワンコ属性だ。このおねだりに逆らえる者は中々居まい。
アイリスはワンコ系お願い光線を受け、ぐっ…と喉を鳴らすと、あっけなく白旗を上げる。
「承知しました」
「ありがとう! では、早速だけどこのリストを──」
ぱあっと顔を輝かせていそいそと携えた書類を広げ始める父親に聞こえないように、シャギーがこっそりとアイリスを気遣う。
「アイリス、いいの?」
「うん。急展開で瀕死だけど、ありがたい話だし。うう、年上イケメンのおねだりずるいわ……」
顔を赤くしてぐったりするアイリスを見て、シャギーはアイリスの中の人、アヤメは結構面食いだったんじゃないかな、と思った。
【植物メモ】
和名:菖蒲[アヤメ]
英名:シベリアン・アイリス[Siberian iris]
学名:アイリス・サングイネア[Iris sanguinea]
アヤメ科/アヤメ属
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます