【年内完結】雑草令嬢とハキダメの愛
丸インコ
双葉の章
1.掃溜菊 Shaggy Soldier
これは一体、誰の記憶なんだろう?
幼い少女はかすんでいく意識の中でぼんやりと考えた。体に感じる浮遊感。その感覚が
実際には一瞬の出来事のはずだが、少女は自分の体が倒れていくのを、やけにゆっくりと感じていた。まるで静止したような時の中で、突如呼び起こされた“知らないはずの記憶”は、少女の脳内で映画のように目まぐるしく再生されていく。
初めて見るのに知っている景色。知っているのに知らないはずの乗り物。
道を走るのは少女の知る馬車ではなく、鋼でできた巨大な箱だった。それはかつての彼女の体を跳ね飛ばして、そして──
背中に衝撃が走り、少女は自分の体が床に倒れたことを理解する。
「お嬢様!!」
「医者を早く! シャギーお嬢様がっ……!」
90度横倒しになった視界に、周囲へと集まる数人の足が映って、少女はそのまま、目を閉じた。
◆
夢を見た。
長い長い夢の最後に、少女は死んだ。
波木田菊子。春から大学に通う予定の18歳。それが死ぬ瞬間の名前と、身分と、年齢。なかなかパンチのある古風な名前は学校でもバイト先でもよくイジられていた。
菊子はまあまあ貧しい家庭に育った。
善良でも極悪でもない平凡な両親だが、父親はとにかく運が悪かった。勤務先の倒産が3回、同僚のミスに巻き込まれてクビが2回、その後再再再再再就職したブラック超えの漆黒企業に使い潰され、過労で療養中の身となっていた。
母親は菊子が物心ついた頃からずっとパートに出ているが、なにせ子育てに追われて長時間の勤務や正社員での就職が難しい。そう、波木田家は子だくさんだった。
長女の菊子の下には長男、次女、次男、三女、男女の双子である三男四女と6人の弟妹がいる。父母と7人の子どもたち、合計9人の大家族だ。
菊子は中学の頃から新聞配達のバイトを始め、高校に入学してからはファミレスのバイトも始めた。そんなバイトに明け暮れる日々でも菊子は勉強をおろそかにしなかった。
母親と分担して弟妹の面倒を見ながら、バイトをしながら、天才に生まれなかったことをちょっぴり恨めしく思いながら、眠気をこらえて平凡な頭脳に授業内容と志望大学の対策を叩き込む日々。
菊子は努力家で、そして困難への準備を怠らない。金銭的な事情から模試は学校主催のものしか受けられなかったが、センター試験の過去問へは2年のはじめからコツコツアタックを続けていた。
そして、冬の前期試験。菊子は志望する地元の国立大学にA判定通りの合格を決めたのだ。
家の事情的には高校卒業後に就職して働くことも考えたが、長期的にはより良い企業でより良い給料を貰えることが望ましい。下の子供達の未来を考え一度大学を卒業する方を選んだ。菊子の育った土地では、全国でもそれなりのレベルに位置する地元国立大を卒業できれば、地元大手企業もしくは地元銀行への総合職での採用が有利になる。
何より長女の自分が“諦める前例”を作りたくなかった。弟たちに、自分の好きな道を選択するという未来を与えてあげたい。それが、平凡で取り柄がなくても必死で努力する菊子の原動力だった。
そして迎えた高校最後の春休み。菊子は事故で呆気なく死んだ。
大学への入学手続きや授業料の免除申請も済ませ、後はバイトをしながら入学を待つのみという春休み。それは18年間息を詰めるように努力してきた菊子が、初めて得た安息の日々。
「菊ちゃんに貸してあげるよ」
そう言って、小さなゲーム機を菊子に差し出してくれたのは、クラスでも話す機会の多かったヤマちゃんという女の子だった。
卒業間際の教室で、昼休みに二人でお弁当を広げていた時のことだ。彼女は菊子の家の事情のこともよく知っていたので、菊子の手が届かない娯楽についてことさらに話題にはしなかった。だが菊子の方では、ヤマちゃんが夢中になるゲームやマンガの話を聞くのが楽しくて「最近どんなのにハマってるの?」と尋ねることがよくあった。
ヤマちゃんはその日も菊子に尋ねられるまま、自分が夢中になっている乙女ゲームの話を語って聞かせた。菊子はいつも通りそれを楽しそうに聞いて、しかしその日の会話がいつも通りに終わらなかったのは、会話の最後に菊子が「いいなあ、楽しそう」とこぼしたからだ。
そのとたん、ヤマちゃんは目を輝かせて盛り上がった。
「菊ちゃんにもやってほしい!菊ちゃんと“イフェ聖”の話したい!」
そう言うとカバンから文庫本の半分ほどのサイズのゲーム機を取り出し、菊子へと差し出したのだった。
「いやいやいや!いいよ!私が借りたらヤマちゃん遊べないじゃん」
顔の前に広げた両手をぶんぶん振って、菊子が受け取りを拒否する。
「大丈夫!これ最近弟から貰って、菊ちゃん用に持ち歩いてたやつだから!」
どうやらヤマちゃんの家では、弟が最新の機種を購入したらしい。それまで弟が遊んでいた古いゲーム機が余っていたのを、ヤマちゃんは菊子に渡す機会を伺いつつ持ち歩いていたのだ。
「中古屋に出しても買取めちゃ安いし、遊べる時間あるなら菊ちゃんに貰ってほしくて」
譲渡するつもりだという申し出を再び全力で断る菊子に、ヤマちゃんはなおも粘る。
「じゃあ貸すってことで!お願い、菊ちゃんと“イフェ聖”語りたいの」
その言葉を、菊子は二度目は断らなかった。同級生たちのように遊んでみたいという興味はあったのだ。ずっと。
菊子の人生にはそれまで、娯楽はほとんど存在しなかった。ゲームや映画、ドラマ、アニメ。目まぐるしく流行り廃りを繰り返す様々なコンテンツはクラスメイトやバイト仲間を介して耳に入る情報でしか無い。
しかしそれらを楽しむことへの憧れが皆無という訳ではなかった。
そんなわけで、すぐに迎えた春休みの間、菊子は初めて触れるゲームに夢中になった。記念すべきその作品こそが、乙女ゲーム“イフェイオンの聖女”であった。それはバイトと家事に追われる菊子の、一日の締めくくりを飾る日課となった。
末っ子の双子たちを寝かしつけてから、ベッドの上でゲーム機の電源を入れる。セーブした場面からスタートする駆け引き。剣と魔法のファンタジー世界で、きらびやかな貴族たちに囲まれた聖女はたくさんの愛を受けながら成長していく。
お決まりなストーリーだが、美しく精緻なビジュアルにのめり込んだ。さらに元来の負けず嫌いで高得点を叩き出す攻略の面白さにハマり、やまちゃんと「!」山盛りのLINEを交わしながら、菊子は“イフェ聖”を堪能していた。
そして、夢の中での最後の日。
その日、バイト先でモヤモヤする出来事はあったものの、未来をひとつ切り開き、趣味と呼べるものができた菊子の足取りは軽かった。
だが、弾むように歩道を歩いていた菊子の平和は一瞬で終了した。悪魔の断末魔のように甲高く響くブレーキ音に振り返るのと、衝撃と同時の激痛と体に感じる浮遊感、すべてがほぼ同時に起こっていた。
落下までの時間がやけに長く感じられてこれが走馬灯というやつなのかと菊子は思った。死ぬことは確定していた。だってもう体が。
『次は“持ってる側”で生まれたいな──』
幸運への道を掴みかけた矢先の、”持ってない”自分の人生を呪いながら、菊子は18年の短かい生涯を終えた。
◆
「さっきの夢は……
お茶会の最中に突然倒れた少女は、翌日には自宅の屋敷で目を覚ました。
ゆっくりと部屋を見渡しながら、目覚めるまで見ていた夢を反芻する。倒れる直前はオーバーヒートを起こしたように熱かった頭が、今は晴れ渡るようにスッキリとしている。痛みもない。
「前世の記憶。そしてこれは──」
先程のリアルな夢が記憶だとするならば、前世でファンタジーと呼ばれていた、剣と魔法の存在する世界。
中世ヨーロッパのような世界。だけどそこはヨーロッパではなく、それどころか地球ではなく、おそらく過去に生きていた次元とも違う、異次元の世界。
「異世界転生というやつ……!」
前世はとても便利だった。ネットがあれば世界中のみどこにでも一瞬でアクセスできて、新幹線や飛行機は馬よりも早く移動できて、蛇口をひねれば水が出て、電子レンジでチンしたら調理済みのご飯が食べられる。魔法なんて必要なかった。
ゴクリ、と喉が鳴る。魔法がなければ火をおこすのも一苦労。水を汲むのも手がかかる。倫理観が未発達なせいか治安もずっと悪い。不便で、窮屈な世界──。
「最高じゃないの!」
だが、何もかも便利だった生活を懐かしむより、もっともっとワクワクした気持ちが溢れてくる。シャギーは日本で生きていた頃からこの不便な世界のことを知っていた。大好きだった、生まれてはじめて夢中になってプレイしたゲームの世界。
ここは乙女ゲーム“イフェイオンの聖女”の舞台に違いなかった。
「そうとわかればまず現状把握ね。それから──」
シャギーは現在8歳になったばかり。時間はたっぷりあるようでいて、実はあまり猶予がない。ここが乙女ゲームの世界だと思い出した今、シャギーはこの先自分に訪れる運命を知っている。
少女はベッドから起き上がると専属メイドのジニアを呼んだ。
「──生き残る手段を、考えなくちゃ」
“悪役令嬢”、シャギー・ソルジャー。ゲームの中の彼女が破滅を迎える16歳まで、あと、8年。
【植物メモ】
和名:ハキダメギク[掃溜菊]
英名:シャギー・ソルジャー[Shaggy Soldier]
学名:ガリンソガ・クアドリラディアータ[Galinsoga quadriradiata]
キク科/コゴメギク属
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