15.土佐水木 Spike Winter Hazel
ウィンターヘイゼル公爵家。イフェイオン王国に三家ある公爵家の中でも最も王家に近い血筋を持つ、押しも押されもせぬ大貴族である。
貴族オブ貴族。貴族というかもはやほぼ王家と同位と言っても良い。実際、半分以上は王族の血統を持つ一族である。
「申し訳ございません……」
髪を触られ反射的に拒絶を示してしまったシャギーだったが、我に返るのもまた一瞬だった。間髪入れずに膝から崩れ落ちしおしおとあたま(こうべ)を垂れる。土下座である。
「ちょっ、シャギー!?」
この世界に土下座の概念は無い。突然床に頭を着いた妹にカランコエが驚愕し、具合でも悪くしたのかと傍に膝をついて様子を伺う。
「どうした!? どこか痛いのか?」
「いいえ、詫びております」
「詫び」
シャギーは頭部を床に着けたまま首を捻ってカランコエを見上げる。関節の柔らかさに兄は驚嘆したが、その姿勢を全体的に見るとホラーじみている。顔が真顔なのが何とも言えない。
「はい。誠心誠意、詫びていることを表す方法が咄嗟に分からず」
「なるほど。体調は問題ないんだな?」
「すこぶる健康です」
兄とのやり取りを終えると、シャギーは再び顔を床面に仕舞い込む。
「だ、そうだ。スパイク。妹の謝罪を受けてもらえるだろうか?」
立ち上がりながら、カランコエがスパイクを見上げる。
「え? あ、いや……何これ?」
唖然と兄妹を見ていた公爵令息は大いに戸惑っていた。
「詫びとかそういうのいらないから、取り敢えず立ってくれる? 何か……いや何これ? こわい」
怯えた級友の様子にカランコエが妹に視線を戻せば、いつの間にか首を捻ったシャギーが今度はカランコエでなくスパイクを見上げていた。ホラーだ。
「シャギー、ダメだぞ」
「すみません、ちょっとだけ面白くなってしまって」
腕一本で床を軽く弾いて瞬時に立ち上がる。令嬢らしからぬ軽々とした身のこなしにスパイクが息を飲んだ。
「お前の妹、身体能力が訳わからないことになってない?」
「なってる。並の剣士なら圧倒できる位には強い。ちなみに魔力で身体強化してるから、魔力操作も訳わからないことになってる」
「ソルジャー伯爵家どうなってんの?」
「父親の教育方針が自由だから」
「あ、そう……」
どうやら許されたらしい。いきなりの断罪ルート突入を回避してシャギーは額の汗を拭う。危ない。武力での死亡ルート回避に全振りしすぎたせいで礼儀作法と社交能力が死んでいた。そちらもどうにかしなければ不敬罪で処刑されることもありうる。
食事は父や兄と共にとるのでテーブルマナーは問題無い。礼儀作法についてはしばらくカランコエを見て倣おうとシャギーは心に決めた。
場の空気が落ち着いたところですかさず執事が飛び込んできて公爵令息を屋敷内へと案内する。兄弟の迎えに出たものの思いもよらない展開に冷汗をかいて見守っていたようだ。
素早く応接間へと通されお茶が出される。気苦労をかけてすまないとカランコエはこっそり使用人に耳打ちをした。
「妹君は同席してくれないのかな?」
一連の移動に紛れて消えようとしていたシャギーはスパイクの言葉にぎくりと固まる。先程までの戸惑いをすっかり内側に収めてにっこりと微笑む令息にシャギーは引きつった笑みを浮かべた。救いを求めて兄の方を見る。
「いや、妹は……」
「冗談だよ」
カランコエが助け舟に入ろうとしたところで、スパイクが黒い笑みを引っ込めてふっと苦笑した。
「色々と驚かされたから、ちょっと意趣返ししただけ。またねシャギー」
そう言って公爵令息はヒラヒラと手を振った。緩くウェーブした黒髪の下で蜂蜜色の瞳が細められる。どうやら怒ってはいないらしい。シャギーは黙って深く礼をしてその場を辞した。
「武人みたいだな」
楽しそうに笑うスパイクをカランコエは疲れた目で見つめた。
◆
「婚約者、ですか」
「お話の中ではそうだったというだけですよ。現実では違います」
王立魔導研究所。研究員フォールス・バインドウィードに与えられた研究室でシャギーは師にスパイク・ウィンターヘイゼルとの邂逅を報告していた。
4年前から始まったフォールスの魔術指導は今でも週に一度の約束で続いている。当初は実技中心であったが、すべての属性をひと通りマスターしてしまった今は、月に一度くらいは研究所で精霊学の論文を読んだり、フォールスの研究を手伝ったりしている。
「シャギー、この石盤に魔力を送ってもらっていいですか? すべての属性を均一に」
言われたとおりに、石盤に両手を置いてゆっくりと体内の精霊を流す。触れた部分がゆるく熱を持ち石盤がぼんやりと白い光を放った。
「やはり個人差でなく属性が重要ですね……」
フォールスは魔力障害の研究を専門にしている。一切の魔力を持たない“贖人”も、神に定められる存在などではなく魔力障害の一種であり治療可能なのではないかという疑惑を前提にした研究のため、カルミア教の力が強いこの国では決して表にはできない研究である。
早世した母ガーラントの死にも関わる叔父の研究を、シャギーは積極的に手伝っていた。
「シャギーが四属性を持っていてくれて助かりました」
姪と同様に四属性を持つフォールスが微笑む。光魔法以外の地・水・火・風の四大元素すべての属性を扱える人間はとても少ないのだ。ソルジャー家の血が共通する二人だが父のアクイレギアや兄のカランコエはどちらも水の精霊を扱う力しか持たない。
「そういえば、そのウィンターヘイゼル公爵子息も四属性持ちらしいんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。アイリスにスパイク・ウィンターヘイゼルについて調べてもらったので」
アイリス・サングイネアの素性と能力についてはフォールスとも共有している。
「そうですか……。お話の中ではカランコエが教会に身を置いている設定でしたね?」
「はい」
「となると、ソルジャー家はシャギーが継ぐことになります。ウィンターヘイゼル公爵家の三男、という点ではシャギーとの婚約は十分にあり得ることだと思いましたが、四属性持ちを公爵家が簡単に他家に出すとは思えませんね」
「えっ? あり得ます? 三男とはいえほぼ王族ですよ?」
「むしろ王族だからこそあり得ますよ。王家は昔からソルジャー家の武力と名門の血を抱き込みたいんです。まあ、王家に限らずシャギーとカランコエ……それに今は独り身の兄上も含めてソルジャー家には山程縁談が来ていると思いますよ」
知らなかった。
シャギーは内心で父親に深く感謝した。「興味がない」と宣言していることで見合い話はすべてブロックしてくれているらしい。貴族社会でどうやってそんなことを可能にしているのかわからないが、愛が深い。
それにしても、それだけソルジャー家が引く手数多だということは籍を抜けているとはいえ叔父のフォールスに持ち込まれる話も多いのではないだろうか。ただでさえ王立魔導研究所に所属する有能な魔術師なのだから。
「──先生、昔モテないって言ってたの嘘でしょう?」
「もてないとは言ってませんね」
弟子に疑惑の目を向けられ、師はしれっとそれを流した。
「資料室に行きましょう、シャギー。公爵家ご子息の属性について気になります」
魔導研究所の資料室には魔力測定を受けた人間の属性がすべて保管されている。そんな個人情報が自由に閲覧できていいのかと思うがシャギーの知る前世とはその辺の認識が違うらしい。王立機関というだけでかなりの権限が与えられている。
師弟は資料室でスパイク・ウィンターヘイゼルの魔力属性を確認して、顔を見合わせた。
「記録されている属性は風、のみですね……」
「はい」
魔力測定は10歳で行われるため魔力の安定しない子どもでは発現していない属性を秘めていることも十分にあり得ることだ。ゲームでも、主人公の光魔法は15歳で発現するし、カランコエも17歳くらいまで魔力なしと判定されていた。しかし。
「アイリスの占いには6歳で発現したと出ていました」
そう、つまり。
「なぜ、スパイク・ウィンターヘイゼルは属性を隠しているのでしょう?」
シャギーは師に問う。
「その理由についてはわかりませんが……。何にしても“裏”があって“事情”がわからない以上、あまり関わらないほうが安全ですね」
眉間に皺を刻んだフォールスは腕組みをして長い指を顎先で遊ばせている。
ゲームの中でシャギーがスパイクから受ける仕打ちは婚約破棄だけではない。ソルジャー家からの除籍と王国からの追放である。
先日、アイリスに見せてもらったストーリーがシャギーの脳裏で再生される。放逐され、森を彷徨う惨めな令嬢の姿。その背中に黒い影が忍び寄り──。
シャギーはゾクリと身を震わせる。ゲームでの自分は所詮、脇役。最期までは描かれない。しかし死を予感させるには十分な引きだった。
【植物メモ】
和名:トサミズキ[土佐水木]
英名:スパイク・ウィンターヘイゼル[Spike winter hazel]
学名:コリロプシス・スピカータ[Corylopsis spicata]
マンサク科/トサミズキ属
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