16.小葉紅葉 Japanese Maple





「ソルジャー伯爵令嬢、シャギー・ソルジャー。両家合意のもと君との婚約は破棄された」


 桜色の髪の少女を背後に庇うように立ち、少年は言う。


 少女はヴィーナス・フライトラップ。光魔法を発現させたことでカルミア教の守護を得た聖女だ。そしてクロツグミのように艶やかな黒髪を持つ少年はスパイク・ウィンターヘイゼル公爵令息。その怜悧な美貌が感情なく見つめる先には金の髪をした少女が一人、寄り添う二人に対峙している。


 三つの人影が立つのは鮮やかな紅葉に彩られた楓の森。


 敷き詰められた朽葉の絨毯。風が巻いて、燃えているような樹木から色とりどりの葉が新たに地にこぼれる。間断なく降りしきる赤と橙。


「あなたの好きなところなんてひとつもなかったけど、その目だけはきれいだと思っていたわ。──スパイク」


 婚約破棄を突きつけられた令嬢、シャギー・ソルジャーの唇にかすかな嘲笑が浮かんだ。


 一見すると琥珀に見える公爵令息の瞳がクローズアップされる。そこには周囲の景色にも負けぬ鮮やかな紅葉の森が封じられていた。瞳孔と虹彩の境界を彩る朱赤が金色へ滲み出す、中心から縁に向かって広がるグラデーション。


「そうか。俺はこの瞳の色がこの世で一番嫌いな色だ」

「つくづく気が合わないのね、私達」

「最後までな」


 最後。


「聖女を害したとしてカルミア教は君の国外追放を求めている。おそらく王家は教会の訴えをのむだろう。ソルジャー家からも除籍となるだろうな」

「そんな……!」


 淡々と告げられる公爵令息の言葉に反応したのは、罪を突きつけられたシャギーではなくヒロインのヴィーナスだ。スパイクの腕にすがる細い指先が震えている。その指先を包むようにそっと握りながら令息は少女をいたわるように微笑む。


「ヴィーナス、君が気にすることじゃない。これは彼女自身の罪だ」

「スパイク……」


 見つめ合う男女。二人を眺める令嬢の目には何の感情もない。


「行け──シャギー」


 公爵令息がヴィーナスから外した視線をシャギーに向ける。


 赤が降る。

 朱が降る。

 緋が降る。

 絶え間なく。


 同じ色を瞳に映した彼がどんな表情をしていたのか、その背中からはわからなかった。






「滅びろ」


 ゲームの画面をシャギーに見せていたアイリスがぼそりと吐き捨てた。


「まあ、聖女イジメちゃってるからなあ……カルミア教の後ろ盾ある人に何しちゃってんの私さん」

「シャギーたんは悪くないからね?」

「悪いよ。聖女が教会から与えられた精霊の宝珠盗んだんでしょ?」

「婚約者がいる相手にちょっかいかけるからよ!」

「それで怒るほど婚約者のこと好きそうに見えないけどね」

「つまらない男に引っかからないとこも推せるわあ」


 アイリスのシャギー推しはぶれない。


 本人としては自分とは別物の存在なので微妙だが、少し嬉しいような気持ちにもなる。なんせ、ゲームの中のシャギーには悲しいほどに味方が居ないのだ。


「基本誰も愛さないからね、シャギーたん」

「……」


 なるほど、それは味方も居まい。だが。


あの・・お父様が自分の娘をあっさり除籍するとか、考えられないけどなあ」


 シャギーが引っ掛かっているのはそこだった。公爵令息については正直どんな人間なのか知らないし興味も無い。婚約さえしなければ無害と言っても良い。だが父親については実際に15年間同じ家で暮らしてきてよく知っている。家族への愛の深さに関しては少々過激派とも言えるアクイレギアが今さら教会に屈するだろうか。

 確かにガーラントの教会行きを拒んだ負い目はあるだろう。ゲームの中で息子のカランコエに定められた贖人の運命を受け入れたのも、その負い目と考えれば納得できなくもない。だが教会での保護と国外追放では訳が違う。アクイレギア・ビィリディフローラ・チョコレート・ソルジャーは、そんな運命を家族に許す人間ではない。


「アイリス、しばらくの間お父様の運命を見てもらっててもいいかな?」

「まかせて!」


 アイリスがニヤッと笑って、手のひらの中にゲーム機を消した。





「やあ、シャギー」


 にこりと微笑むウィンターヘイゼル公爵令息。無言で深々と礼を返しながらシャギーはひくりと頬を引きつらせる。なるべく避けようと思っているのだが、シャギーがホラーチックな土下座をキメたあの日から彼はやたらとソルジャー家にやって来る。


 なぜか。


「スパイク、あまり妹を追い詰めるな」


 兄のカランコエのお友達だからだ。


「追い詰めるつもりは無いんだけどねえ……もしかして髪の毛触ったのまだ怒ってる?」


 訪ねながらシャギーの顔を覗き込む。15歳にしては背の高いシャギーに対して腰を折るようにして顔を寄せている。カランコエと同じ歳のはずだがすでに180センチ以上あるのでは無いだろうか。


「近い」


 カランコエがスパイクの後頭部をはたいた。公爵令息をぶったね? 兄さん。


「ソルジャー兄妹の俺への警戒が強い」

「普段の素行だろうな」


 カランコエは悪びれることなく答える。常に表情の動きが少ない兄だが普段から見ているシャギーにはよくわかる。どうやら割と本気で妹を心配してくれているらしい。

 少しくすぐったい。かつて虐げられていた頃は兄にこんな感情を抱くなんて想像もできなかったなと、シャギーは小さく笑った。カランコエもそれに気付いて表情を柔らげる。


「仲がいいねえお二人さん、人を悪者にしてさ」


 兄妹の様子を見ていた公爵令息がやれやれ、と肩をすくめる。散々な扱いをされている割に怒った様子はない。鷹揚な態度は大貴族のお坊ちゃまらしく金持ち喧嘩せずの精神なのだろうか。あるいは本人の気質が温厚なのか、他人への興味が薄いのか。


 カランコエに言わせればスパイクは寄って来る女性への対応に問題があるらしいが、シャギーはそれを知らない。シャギーが知るのはゲームの中のスパイク・ウィンターヘイゼル公爵令息だけだ。バットエンド回避のためだけに関わりを避けているという現状に後ろめたさはある。今こうして対面している限りでは悪い人間に見えないところが一層、罪悪感を掻き立てていた。


(だから、あんまり会いたくないのになあ)


 ちらりと見上げれば視線が合った公爵令息が「ん?」と首を傾けて見つめ返す。


「あ」


 傾けた角度で窓からの光が瞳に反射して虹彩が透けて見える。その色を見たシャギーは思わず声を漏らした。


「どうかした?」


 口を開けて見上げるシャギーを正面から覗く瞳。


「紅葉の森……」


 呟いたシャギーに、今度はスパイクがぽかんと口を開いた。







【植物メモ】


和名:コハモミジ[小葉紅葉]/イロハモミジ[伊呂波紅葉]

英名:ジャパニーズ・メイプル[Japanese maple]

学名:アケル・パルメイタム[Acer palmatum]


ムクロジ科/カエデ属

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る