34.眠りの木 Pink siris

「こんな夜更けに、一体どういったご用向きでしょうか?」


 ソルジャー伯爵邸の門前で、ウィンターヘイゼル騎士団部隊長に問い掛けたのは、執事ではなく武装したソルジャー伯爵その人だった。


 ソルジャー家に到着した騎士団の部隊長が門前で訪を告げたところ、人ひとり通れる程度に開かれた鉄門の隙間から騎乗した人物が単身で出て来たのだが。


 それがまさかの伯爵家当主だと気付いた瞬間、部隊長は慌てて馬を飛び降り膝をつく。頭を垂れた首筋に冷ややかな気配を感じた。思わずがばりと振り仰げば門の上からヒタリと自分の首に狙いを定めた弓兵が数人。

 さらに、伯爵の背後に覗く門の向こう側にはソルジャー家の精鋭部隊がズラリと馬を並べていた。腕に覚えのある部隊長をもってしても肌が粟立つ程の、強者の気配が立ち上っている。


「夜分に騒ぎ立てして申し訳ございません。恐れながら、こちらにウィンターヘイゼル公のご子息がおられるのではないかと」

「ほう?」


 どちらからの情報ですか? などと無粋なことは聞かない。こうして武装して待ち構えていたソルジャー家側にも探られたくはないところなのだから。


「友人である息子を訪ねて来たのなら良いが、屋敷には年頃の娘も居ります。それが本当ならばご子息がどちらに居られるのか確認せねば」


 ギイイイイと重々しい音を立てて、門が広く開けられる。


「ご案内致します」


 部隊ごとすんなりと迎え入れる姿勢にウィンターヘイゼル側は驚愕する。邸内へと馬の向きを変えていたアクイレギアが、膝を着いたまま硬直する部隊長をちらりと振り返った。


「どうぞ?」

「は、ははは、はいっ!」


 部隊長は弾かれたように立ち上がり、あたふたと馬によじ登る。


 振り向きざまに一瞬だけ向けられた流し目には、凄まじい艶と同時に震え上がるような威圧感があった。当代ソルジャー伯爵は30半ばの年齢だと聞くが、どこか中性的な雰囲気も伴った美貌には僅かほどの陰りも見られない。


 完全に相手の空気に飲まれたウィンターヘイゼルの部隊が鉄門を通過すれば、エントランスまで続く石畳の両脇にはソルジャー騎士団が並んでいる。

 左右から迫る無言の圧迫感に挟まれ、まるで捕虜にでもなった気分で入口まで辿り着くと扉の中から執事が出て来た。優雅な所作でひらりと馬から降りた伯爵が執事に尋ねる。


「今夜、この屋敷にウィンターヘイゼル公のご子息はお迎えしているか」

「いいえ、そういった訪問はございませんが」

「──だそうですが?」


 再び顔を向けられて、部隊長は心臓がパキパキと音を立てて凍てついてゆくような心地になった。必死で己を鼓舞して威圧感に抗う。


「公爵様は、目で見て、確かめてくるようにと、仰せ……で……」


 最後は息が続かなかった。雇い主の公爵家の命令に背く訳にはいかない。さりとて、最強ソルジャー騎士団に囲まれるプレッシャーは並々ならぬものがある。板挟みで呼吸が細くなっていく。


「では屋敷内をお調べ頂きましょう。私も一人の父親として心配です」


 ソルジャー伯爵の言葉は最初から徹底して丁寧で柔らかく、物腰も穏やかそのものだ。だというのに、絶対零度の暴風を正面からぶつけられているかのような威圧感を感じてしまう。


 扉の中に招き入れられればエントランスには侍従とメイドが整列していた。非戦闘員だというのにこちらもなぜか圧が強い。圧倒され掛かったところで、列の中央を通って真っ直ぐ向かってくる若者の姿に再び息を呑む。


「長男のカランコエです。ご案内します」


 ソルジャー伯爵令息は父親の美貌を更に超えた、壮絶な美形だった。


 まだ10代であろう線の細さすら欠点よりも美点に数えてしまいたくなる。どれほど計算し尽くしても人の手では成し得ないと思える程の、凝縮された美がそこにあった。

 部隊長は芸術にはとんと疎い無粋な人間だったが、今、目の前にあるのは確かに芸術だと感じた。その芸術品が動き、喋る人間だということが信じ難いような心地になる。


 ソルジャー伯爵家を訪れてからずっと、ウィンターヘイゼル騎士団の部隊は相手のペースに乗せられたままだ。大人しくカランコエに付き従ってぞろぞろとルームツアーしている異常性にも気付けない。

 やがて伯爵令息がひとつの部屋のドアを開けて「なんてことだ!」と声を上げたときも、どこかぼんやりとした心地でそれを聞いていた。


 令息に続いて部屋に入れば寝室と思われるそこは無人だった。ただ他の部屋と違うとすれば夜だというのに窓が開いているということ。夜風にカーテンが揺れるのをみて部隊長がはっと正気を取り戻す。


「ここは……」

「妹のシャギーの部屋です。スパイク──公爵家のご子息とは想いあっていたようで、まさか」

「ま、まさか駆け落……!」


 叫び掛けた部隊長の口を白い掌が覆う。


バチィン!


 激しい音が自分の口もとから鳴ったことにも気付いて居ないのか、部隊長は急な乱暴にも無抵抗で口を塞いでくるカランコエを唖然と見つめている。


「妹は未婚の令嬢です。あまり大声で滅多なことは口になさらないでください」


 口を塞がれたまま、部隊長はコクコクと頷いた。


「これは……困ったことだね」


 部隊長の背後からアクイレギアがゆったり追いついて、眉間に皺を寄せる。苦悩に満ちた表情は精緻な彫刻のようだ。


「急ぎ公爵家に戻ってウィンターヘイゼル公に伝えてほしい。くれぐれもこのことが外に漏れないように。こちらもすぐに二人の捜索に出ます」


 アクイレギアの言葉に部隊長はまたもコクコクと頷くのみで返した。何せカランコエが口を押さえたままなので。


「ではよろしく」


 そう告げられ口を離された瞬間、鎖から解き放たれた犬のようにウィンターヘイゼルの騎士団は伯爵家を飛び出していった。





 その背中を見送った後、アクイレギアが深い深いため息をつく。


「カラン、僕は君に、ご子息を送り出すように言ったよね……?」

「そうですね」

「シャギーと二人で逃げたって、どういうこと!? 出来るだけ時間稼いで欲しいって言われても! 僕は父親として今すぐ追いかけて連れ戻したい気持ちで張り裂けそうだよ!」

「それは無理です父上。そんなことしたらシャギーは絶対に許してくれませんよ」


 わあわあと騒いでいたアクイレギアは苦いものでも飲まされたかのように、渋い顔で言葉を詰まらせた。


「ぐっ……!」

「あいつは言っても聞きません。今のスパイクは大人の都合に踏み潰されそうな無力な子どもで、シャギーはそういうのに一番弱い。絶対に放り出せない」

「それがあの娘の良いところなんだ……なんだけど! そんなややこしい好みのど真ん中を突いてくる奴が居るなんて……! なんて恐ろしいんだ君の友人は……」

「父上、霧の撹乱結界を張りに行きますよ」

「カランは平気なのかい!?」


 それは、と少年は言葉を切る。カランコエだって妹は何よりも大切で、危険に晒したくないし傷ついて欲しくもない。正直、手を出したスパイクのことも何発か殴りたい。


 でも仕方がない。シャギーが選んだのだ。


「失望されたくないからですよ」


 かつて妹が導いてくれた、許してくれた、救ってくれた、その自分に報いたい。許し、救う者でありたい。


 父親は息子の肩をぽんと叩いた。


「うちの子たちは本当に立派だなぁ……そんなに立派でなくてもいいのに」


 頑張り過ぎなくてもちゃんと愛しているからと伝えて苦く笑うと、息子も小さく口の端を上げた。揃って少し苦く切なく息をついて、歩き出す。


「よし、騎士団総動員で、王都すっぽりいくぐらい大規模な水魔法頑張っちゃおうかな」





「霧が深すぎる」


 森を歩いていたシャギーは立ち止まって、前方に広がる霧を見た。


「ソルジャー家の愛深すぎない?」


 スパイクもシャギーに並んで足を止める。


「いや王都の霧はソルジャー家の撹乱魔法だけど、これはさすがに自然のやつだから」


 もったりとしたクリームのように濃密な霧は強めの風魔法を使えば吹き飛ばせるのだが、潜んでの移動なので派手な魔法は使いたくない。追手が迫っていないか十分に気配を探り、二人は霧が薄くなるまで一旦休息を取ることにした。


 大樹の根元に身を寄せると肩を並べて腰を下ろす。


「そういえば聞きそびれてたんだけど、スパイクはさ、その……見えてるよね?」


 霧のヴェールに包まれた森の中でも、精霊だまりから噴き出す青や緑の精霊がそこかしこに光っている。

近くにあった精霊だまりを指差してシャギーが尋ねるとスパイクがぎょっとしたように目を見開いた。


「シャギーも精霊が見えてる……?」


 こくりと頷いて肯定すると、スパイクは言葉を失ったまま固まってしまった。


「昔は見えなかったんだけどね、魔力の循環量が先生を超えたあたりから見えるようになって」

「じゃあこれって魔力量に関係あるってこと?」

「確証は無いけどおそらくは」


「そうなのか、俺はてっきり……」


 スパイクが口にしかけた言葉を飲み込む。


(てっきり、自分が“獣の因子”だからかと思ってた?)


 言いかけた言葉の続きが、シャギーにはわかる気がした。けれどそれを口には出さない。スパイクが話す気になるまでは。


 ふわり、水の精霊の青い光が少年の首筋に舞い降りる。身体に触れても消える様子はない。


 もしもスパイクが獣の因子ならば、精霊を消滅させるという能力──言ってみれば光と逆の闇魔法は他の四属性魔法や光魔法同様に、本人の意識を持って発動できるということだ。それなら、四属性魔法の理論で擬似光魔法を再現できたように、闇魔法もまた模倣が可能かもしれない──。


「シャギー?」


 スパイクの声で、はっと我にかえる。


「ごめん、ボーッとしてた。こんな時なのに」


 言い繕いながら、馬鹿なことを考えたなと自嘲する。擬似光魔法の再現は王立研究所の設備やフォールスの理論や指導があってのものだ。フォールスの研究室に戻れない以上は机上の空論に過ぎない。


「疲れてるんでしょ……少し休んだら良い。霧が晴れたら起こすから」


 スパイクがそっとシャギーの頭を包んで、自分の肩にもたれかけさせる。


「スパイクは?」

「眠れないから大丈夫。繊細なんでね」


 戦場に向かう旅でもそう言って少しでもシャギーを休ませようとしていたことを思い出す。あの時は今のように恋心を通わせ合うようになるなんて、想像もしていなかった。


 こんな状況で眠れる訳がないと思ったが、試しに目を閉じて見れば待ち構えていたように身体の奥から眠気が湧き上がってくる。自分の肝の太さに感嘆しながら、シャギーはゆらゆらと全身を支配してゆくそれに身を任せることにした。


 たった数週間、数日。想像もしていなかったことが人生に起きる時、そこに時間は関係ない。


 いつか闇魔法の理論を解き明かし、スパイクを解放することもできるかもしれない。眠りに落ちる寸前に、シャギーはそんなことを考えた。






【植物メモ】


和名:ネムノキ[合歓木]/ネフリノキ[眠りの木]など

英名:ピンク・シリス[Pink siris]

学名:アルビジア・ジュリブリッシン[Albizia julibrissin]


マメ科/ネムノキ属

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