40.ヴィオラセ Violacea

 シャギーの魔術の師であるフォールスが拘束されてから2日が経った。未だ教会への身柄の引き渡しは行われていない。シャギーはそのことに対して目に見えない何か、運命のようなものに感謝する。そして祈る。明日も師の命が繋がれますようにと。

 教会には祈らない。ただ、もしもこの世界に本当の神と呼べる存在が居るのなら、自分たちを守ってくれる大いなる意思が存るのなら、どうか。


 私のすべての愛を世界に捧げます。どうか、私に愛を注いでくれた人たちをお守りください。





「王宮から聴取を受けるよう通達が来た」


 カランコエがそう告げに来たのは、シャギーが学園から戻ってすぐのことだった。フォールスの件が起きてから、兄は学園を休んで王宮に詰めている父と調整を続けてくれていた。シャギーの聴取が教会主導でなく王国側の権限のもとで行われることに感謝する。そればかりか。


「場所は叔父上の研究室に決まったよ。残された証拠がないか検証しながらの聴取になるそうだ」

「ありがとうございますお兄様……!」

「俺じゃない、父上が頑張ってくれたんだ」


 証言を取るという体裁ではあるが、ついにフォールスの研究室へ入る許可を得た。シャギーは唇を固く結んできりりと眦を引き絞る。瞳の中、瑞々しいグリーンに隠れてぐらりと炎が上がる。

 絶対、教会が隠そうとしたものを突き止める。師はおそらくそれを知ってしまったのだとシャギーは確信していた。例え母親の墓を暴いたのがフォールスであったとしても構わない。納得できない理由のもとにそれをする人ではない。


 翌日、シャギーはカランコエとともに王宮の敷地内にある魔導塔に上がった。度々改築がなされる絢爛な居城に比べ、装飾の少ない堅牢な塔は建てられた当初のまま歴史ある趣を残している。この魔導塔にフォールスが所属していた王立魔術研究所がある。フォールスの研究室に通されるのはシャギーのみ、カランコエは別室で待機となった。


「ソルジャー伯爵令嬢ですね? フォールス・バインドウィード王宮魔導士の教え子と聞いていますが」


 見張りの王宮騎士に左右を固められた状態でフォールスの研究室に入ると、教会側の立ち会い人だという若い修道士に迎えられた。肩をさらりと流れる髪は雪のように白く、赤紫色の瞳が見定めるようにシャギーの表情を伺う。


「はい。王宮の許可を得て、ここで研究の手伝いをしていました」

「そうですか。私はヴィオラセと申します。レッドクラウン大聖堂で補佐司教を務めております」


 レッドクラウン大聖堂。


 シャギーは気取られぬよう息を飲んだ。王都イフェイオン・ユニフローラムから東へ向かった場所に位置する“教会の都”イフェイオン・ピンクスター。街の中心にあるレッドクラウン大聖堂の司教を務めるのは教皇・・ロサ・ガリカ・オフィキナリス。補佐司教だというヴィオラセは教皇の直属の部下ということ。

 カルミア教の総本山が直接介入してきた。その事実に心臓が圧し潰されそうになる。


「聴取とは言っても弟子だというあなたのお力をお借りしたい部分もあるのです。なにせ、バインドウィード氏の研究資料は非常に難解なので……」


 協力してくださいますね?


 す、と細められた目は微笑んでいるようにも威圧しているようにも見える。声からも表情からも感情が読み取れない青年に戸惑う。しかしそれを表に出せばこのまま相手にペースを握られたままだ。シャギーは臍の下あたりにぐっと力を入れて背筋を伸ばす。


「私にできることでしたら、もちろん」


 真っ直ぐに目を見つめ返しながらそう答えた。ヴィオラセの色素のない眉が僅かに跳ねるがそれは一瞬で、すぐにまた表情は封じられた。そのままヴィオラセの立ち会いのもと、数人の研究員とともに魔道具や手記を確認していく。研究の内容は表向きは魔獣の生態についてのものである。手記の中に犯行につながるような要素がないか、記録に無い研究などは無かったのか、シャギーは質問に答えていく。実際、シャギーの目から見てもそこにフォールスの行動のヒントになりそうなものはなかった。


「──特に不審な研究はありませんね」


 研究員が結論をヴィオラセに告げると、若き補佐司教はゆったりと頷いた。その様子を見てシャギーは思う。ヴィオラセは、フォールスの研究内容を知るためでなく、そこに教会の秘密が明かされそうなものが無いかどうかを確認するために派遣されたのかもしれない。動機となりそうな記録が何も見つからないことに、むしろ満足そうに見える。

 だとすれば、教会はどこでフォールスに疑念を抱いたのか。贖人と魔力障害、疑似白魔法の研究が漏れたのでは無いのなら、なぜフォールスを教会の敵と見なしたのか。


(盗まれたお母様の棺、そこに教会の隠したい何かが──)


 ふと、異臭が流れてきてその発生源をたどれば、研究用の小型魔獣の小さな檻が壁際に積まれていた。研究室に出入りしていた頃はシャギーも世話をしていた魔獣たちだが、すでに亡骸となっている。フォールスが拘束されてから誰も世話をしていなかったのだろう。


「これらも処分しなければいけませんね」


 檻の前に立つシャギーに、研究員が告げる。


「処分するのであれば、引き取って埋葬してもよいでしょうか? 私も世話をしていたので」


 シャギーの言葉に研究員がどこか痛ましい顔をして頷いた。森で遭遇したのならその場で討伐対象となる魔獣なのに、こうして研究のために飼育することにどこか倫理的に引っかかってしまう。前世の記憶の影響だろうかとシャギーは思った。

 魔獣の骸を革袋に詰めるシャギーと研究員の横を尻目にヴィオラセは「では私はこれで」と立ち去ってしまう。あくまで教会が祈るのは人類の命と安寧だけだということらしい。


 別室に居たカランコエのもとへ戻ると、兄は端正な顔に安堵を浮かべて立ち上がった。同じ美形でも表情の読めないヴィオラセと違う兄を見て張り詰めていた緊張がゆるりと解れるのを感じる。


「大丈夫か?」

「問題はなかったんですが、なさ過ぎて……」


 フォールスを釈放できるような材料も得られなかったとため息をつくシャギーの肩に、ぽすんと手を乗せてカランコエが労る。


「叔父上のことはお前一人がどうにかすることじゃない。気を張りすぎるな」




 その日の夜遅く、数日ぶりに父のアクイレギアがソルジャー伯爵邸に帰宅した。心なしかやつれた顔に披露の影が滲む父にシャギーが熱いお茶を用意する。アクイレギアは深く息を吐いてソファに身を沈めた。


「シャギー、今日は聴取を頑張ったね。カランコエもついていてくれてありがとう」


 向かいに掛ける二人の子どもたちに柔らかく声を掛ける。兄妹は揃って頷いて、王宮に動きはないかと父の言葉を待つ。


「フォールスが、ガーラントの遺体の窃盗を認めたよ」


 うつむいた父の頬に、緩いウェーブの銀髪がはらりと落ちた。シャギーは目を見開き、カランコエも言葉を失う。


「なぜ……」


 シャギーとすれば、なぜ認めたのだと言いたかった。何らかの事情で母の棺を持ち出したのだとしても、それを認めてしまえば教会に裁かれる可能性がぐっと高まる。


「愛していたからだと、そう言っているそうだ」


 しかし父はシャギーが「なぜ遺体を盗んだのか」と問いかけたのだと思ったらしい。フォールスが語ったという動機を告げる。父の言葉に、幼い日に精霊の森でフォールスと語った日が蘇る。


『お母様に恋をしていたりなん、て、』

 ほんの出来心で尋ねたシャギーに、フォールスは柔らかく微笑んで言った。

『今になって振り返れば、恋をしていたのかもしれないなと思うことはあります』

 あの日の記憶は一片たりとも失くしていない。吹き抜ける風も、二人の頭上で揺れていた木々の葉の奏でる鈴のような音も、暗紫色のフォールスのローブが正義の旗のようにはためいた、その光景とともに鮮やかに刻まれている。


『大丈夫。いざとなったら私がシャギーを連れてどこまでも逃げますから』


 あの日、世界で一番信頼する魔法使いはそう言った。その言葉を証明するように、いつだってシャギーの味方で居てくれた。



「遺体を運んだ場所や詳細については相変わらず黙秘していて、だからまだフォールスが犯人だと確定したわけじゃないんだ」


 父が気遣うように言い、シャギーの頭を優しく撫でる。アクイレギア自身も弟が処刑されるかもしれないという状況と戦っている。諦めるわけにはいかない。生きる希望と守護をくれた先生の命を。


「父上、叔父上の教会への身柄引き渡しは免れないとお考えですか?」


 カランコエが、隣に座るシャギーを気遣いながらも、意を決したように尋ねる。


「正直、厳しいな。王都にいるヒッポリテ大司教から直々に引き渡しの嘆願書が届いてる。王家もソルジャー家は敵に回したくないと、今は教会からの圧力をなだめてくれているけど」


「──引き渡しまでどのくらいの猶予がありますか」


 シャギーも、震えそうになる指先を握り込んで父親に尋ねる。


「できるだけ長く、1ヶ月……2ヶ月はどうやっても長引かせてみせる。ウチも軍備を整える必要があるからね。フォールスも耐えてくれる」


 先日カランコエが漏らした通り、やはり父のアクイレギアは弟のフォールスを見殺しにする気は無いらしい。教会との武力衝突も視野に入れた回答だった。焦る気持ちは無くならないが、シャギーは家族を信じる。フォールスを救い出す時間と機会は必ず父と兄が作ってくれる。それならば自分にできることをするだけだ。


「少しの間、学園を休んでもよろしいでしょうか」


 そう告げたシャギーに「ゆっくり休みなさい」とフォールスは許可を出す。兄のカランコエに部屋まで送られて、ようやく長い一日が終わった。





 そして、およそ一週間ぶりに学園に登園氏したシャギーは、目にした光景に息を飲む。


「スパイク……」


 シャギーが学園を休んでいる間に復学したのだろう、かつての恋人。そして。


「やだ怖ぁい、睨まれちゃいました」


 スパイクの腕に両手を絡めた一人の女生徒──“イフェイオンの聖女”ヒロインのヴィーナス・フライトラップの姿。


 かつて自分の姿を映していた温かな琥珀色の瞳は、今は温度を感じない。立ち尽くすシャギーの姿を見ても眉一つ動かさずに相対する姿からは完全にシャギーへの気持ちを失ったようにしか見えない。

 勝ち誇るようにヴィーナスの唇が弧を描き、クスクスと意地の悪い笑いが漏れる。肩先でさらりと揺れるローズブロンドの髪、胸元に輝く赤い宝石のネックレス。ゲームの中で散々眺めてきた聖女となる少女の姿。


 気がついた時には、その白い首筋に手を掛けていた。


「シャギー!」


 懐かしい声に名を呼ばれた。しかしその感慨にふける余裕もない。ヴィーナスへと伸ばされたシャギーの手を掴んで聖女をかばうように立つ、かつての婚約者。まるでゲームのシーンの再現のようだ。怒りで目眩がする。

 だがスパイクに止められたことでほんの少しの冷静が戻ってきてもいた。今ここで聖女を害したらどうなるのか。自分の身の上だけでなく家族にも影響があるはずだ。何よりここで騒ぎを起こせば拘束中のフォールスを救うことも難しくなる。


 シャギーは唇を噛んで踵を返した。背後からヴィーナスの声が聞こえてくるが追ってくる様子はない。次第に足が早まりやがて駆け出す。


何も出来ない自分が、ひどく惨めだった。





【植物メモ】


品種名:ヴィオラセ[Violacea]

別名:ラ・ベル・スルタン[La Belle Sultane]

系統:ロサ・ガリカ[Rosa gallica]


オールドローズの品種

バラ科/バラ属

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