39.竜血樹 Dracaena draco

「フォールス・バインドウィード王宮魔道士が罪人として拘束された。」


 兄のカランコエの言葉がくわんくわんと脳内に響いている。一瞬前の落ち着いて聞けという約束を即座に忘れて、シャギーは足のつま先から脳天まで動揺し切っていた。先生が、罪人?拘束?


「待て待て待て待て」


 ふらりと扉に向かおうとする妹を全力で抱きとめながらカランコエが数歩引きずられる。シンプルに力が強い。無意識身体強化魔法の迷惑さに全身であらがいながら兄は声を張り上げる。


「とにかく話を聞け! 助けたいなら冷静になれ!」


 助ける、の言葉にシャギーがピタリと足を止める。そうだ、冷静にならなければ。頭を正常に回転させなければ助けられない。シャギーは思考能力を取り戻して兄を見た。カランコエが額の汗を拭いながら息を吐く。


「罪状は?」


 よろよろとソファに身を沈めると、正面に腰を下ろした兄に訪ねる。


「遺体の損壊と盗難」


 現代日本でも遺体損壊は刑事罰だったと思うが、宗教の力が強いこの国において死んだ後の体に害をなすことはそれよりも更に強烈な禁忌とされる。カルミア教の教義に聖女カルミアの復活とそれに伴う信者の復活というものがあるからだ。いつかやって来るとされるその時に肉体がなければ復活できないという教えだ。


「教会からの訴えでは複数回の墓荒らしを主張してるんだが、これは叔父上も否定してる」

「じゃあ、その墓荒らしが無罪だと証明できれば……」

「だが一件だけ、本人が否定も肯定もせず黙秘を通している犯行がある。それが故ソルジャー伯爵夫人、母上の墓を暴いたという一件だ」

「お母様の!?」

「父上も立ち会ってソルジャー家の墓を確認したが母上の棺は、消えていた」


 シャギーの脳内が疑問符で埋め尽くされる。フォールスが否定ではなく黙秘をしているということは、母ガーラントの遺体が無くなった件については全くの無罪とは主張できない、何かしらの関与があるということ。

 というか、おそらく事実を知っている可能性が高いとシャギーは考える。

 その事実を教会や国に対して知られたくないのならばガーラントの件についても何も知らないと否認しておけば良かったのだろうが、万が一にも関与の証拠が出てしまった場合、他の墓荒らしへの否認についても疑われるだろう。だからフォールスは黙秘という手段を取らざるを得なかった。

 教会がフォールスに追及したいのもおそらくここだ。亡くなった母に関して彼らには知りたいこと、あるいは知られたくない事実がある。


「研究が教会に漏れた……?」


 シャギーが呟く。フォールスと二人で行ってきた研究は四原素魔法を用いた光魔法の再現、そして贖人が持つ魔力障害の原因と治癒方法の究明に関するものだ。どちらもカルミア教の教義とは反するので、研究は極秘に進めてきた。そのどちらかなのかシャギーも知らない研究があったのか。

 いずれにしてもフォールスの周囲には教会の人間が潜んでいた。そして彼の研究内容が知られてしまったと考えられる。


「母上の遺体が無くなっていた件について思い当たることは?」


 カランコエの問いに、シャギーは首を横に振る。母ガーラントが贖人となったことが叔父の研究のきっかけではあるが、なにせ10年前のことだ。母に治療を施していたとは言うものの、その寿命を幾ばくか延ばすことしかできなかったと言っていた。今さら彼女の遺体から新たな事実が出てくるとは思えない。


「そうか……。だが、そのうち叔父上の件についてお前にも聴取があるだろうな」

「それは覚悟しています。先生の身柄は?」

「今は王宮で拘束してる。このまま王国の法に則って取り調べと裁判ができるならそこまでの罪にはならないが──教会は身柄の引き渡しを要求してる」


 シャギーとアイリスが揃って息をのむ。教会によって裁かれることになれば遺体の盗難は極刑にあたる。


「まあ、弟子のお前が連座させられる可能性も含めて、最悪の場合はうちも教会と事を構えるつもりで準備してるが」

「でも……! 教会の戦力は王国に限らないんじゃ」

「教会がその地にあるからと言って軍を動かせるかどうかはまた別だ。主戦力の聖カルミア騎士団なら勝てない相手じゃない」


 それでも、とシャギーは思う。武力衝突なくフォールスが救い出せるならそれに越したことはない。それと同時に、もしゲームの中のシャギーに味方となってくれる家族がいたのなら、彼女は処刑から救われたのだろうとも考え、複雑な気持ちになった。


「先生に面会は?」

「父上が国王に掛け合ってるが、今は叔父上の状況を聞き出すのが精一杯だ。王国はまだ引き渡しには応じてないものの、教会を刺激することを警戒してる」


 シャギーは唇を噛んだ。何とかフォールスの身柄引き渡し前に事実を明らかにしなくてはならない。母の遺体はどこにあるのか、なぜ持ち去られたのか、そして教会が主張する墓荒らしについて無罪を証明するものがあるのか。フォールスと話ができない今、弟子のシャギーが真相を掴めなければすべては教会によって闇に葬り去られてしまう。


「先生の研究室に行きたいです」

「研究についてはあらかた回収された後だが、どうにかできないか父上と相談しよう」


 カランコエが不安に揺れるシャギーの目を見て力付けるように頷く。


「ありがとうございます、お兄様」


 兄の存在がとても心強かった。





「あー! もう! こんな時に全然情報が更新されないなんて」


 学園の中庭でこっそりとゲームを立ち上げて情報確認していたアイリスがぼやく。フォールスのことは最優先だがシャギー自身の断罪回避を無視するわけにもいかず、学園には通っている。フォールスとの面会も研究室の捜索もできない今、情報が集められる場が学園しか無いという状況もある。とはいえ、何の収穫もなく放課後をむかえてしまった二人は中庭のベンチで話し合いをしていた。


「ゲームと現実のズレが大きくなったから未来が完全に不確定になったってことなのかもね」

「検索するワードの組み合わせで新しい情報が引っかからないか色々試してるんだけど……ごめん」

 

 役に立てなくてと萎れるアイリスの背中に優しく手を添える。二人して気が沈みかけるところを何とかしようとシャギーが立ち上がったところで、背後から男子生徒の荒々しい声が飛び込んできた。シャギーとアイリスが声がした方へと首を回らせると、こちらが死角となる植え込みの向こうに数人の人影がある。複数の声の様子から数人が一人に詰め寄っている気配を感じてシャギーは考える前にそちらへ足を向けていた。


「ドラセナ・ドラコ……!」


 詰め寄られていた男子生徒は攻略対象者だった。アイリスが息を呑んでシャギーの制服の裾を掴む。攻略対象者に近づくのは危険だと止める優しい指先にシャギーも一瞬足を止める。しかし目の前で少年が突き飛ばされ尻もちをつくのを見たら黙っていられなくて結局、植え込みから飛び出してしまった。

 ドラセナを取り囲んでいた少年たちが突然その場に割り込んできた人影にぎょっとする。文句を言いかけて、一見して少年に見えるその生徒が美貌の兄妹として学園で話題のソルジャー伯爵令嬢だと気付いて口を噤む。シャギーもカランコエも学園において剣術魔術ともにその能力の高さを遺憾なく発揮していることに加え、あの・・ソルジャー伯爵家の家門である。徒党を組んでいても相手が悪い。


「ドラコ侯爵令息、薬学の先生が理科準備室で呼んでいましたよ!」


 立っているだけでただならぬ威圧感を醸しているシャギーの後ろから、焦った顔のアイリスがひょっこりと顔を出した。それを逃亡の機会と捕らえて、詰め寄っていた少年たちがバタバタと走り去っていく。そうして、地面に座り込んだままのドラセナ・ドラコと、シャギーとアイリスの三人が場に残った。


「穏便にいこ穏便に」


 シャギーの背中をぽんぽんとなだめながらアイリスが言う。シャギーも平和的に生徒たちを立ち去らせたアイリスに「ありがと」と眉を下げる。二人の女生徒の様子を唖然と眺め、はっと気付いたようにドラセナが立ち上がった。


「なぜ僕のことを……?」


 長い前髪の間から警戒に満ちた瞳が除く。


「いやー、貴族の名前くらいは、ね?」

「そ、そう、侯爵家だもん。そりゃねえ?」


 シャギーとアイリスは一瞬目を泳がせつつ適当に誤魔化す。まさか乙女ゲームに出てくるので知ってますなどとも言えない。


「まあ、僕も君たちのことは知ってるけど……君はとても目立つから。ソルジャー伯爵令嬢」


 目立つと言われシャギーが苦々しく眉を寄せる。悪役令嬢としての存在をくらませるために男子の制服まで着ているのに目立ってしまうとは。第一王子の婚約者であるアネモネや天上的美貌を持つカランコエが近くにいるせいに違いないとシャギーは考えたが、当の本人の容姿や爽やかな態度が女生徒たちに騒がれていることに気付いていなかった。


「それより、あの生徒達は一体何? こういうことよくあるの?」


 聞きながら“イフェイオンの聖女”でのドラセナとの出会いを思い出す。中庭で寂しそうに座り込む少年が気になって声を掛けるというものだった。……まさかこれかとシャギーがはっとする。アイリスも気付いたようで小さく頷く。いじめに遭うような描写はなかったので気付くのが遅れてしまった。だが関わってしまえばこのまま見過ごすわけにもいかない。


「先生に相談とか──」

「必要無い」


 もし他の生徒から嫌がらせを受けているのならと言いかけた言葉を強く遮られる。


「問題は無いし助けも必要無い。放っておいてくれ」


 ドラセナ・ドラコはそう言い捨てて走り去る。その後姿を見ながら少女たちは顔を見合わせた。この出会いでシナリオに何らかの変化は起きたかもしれないが、それを確かめる前にひとまず帰宅しようと頷き合って二人もまた中庭を後にした。


 それを物陰から見ていた女生徒が一人。


「悪役令嬢シャギー・ソルジャー……! 居ないと思ったらまさかあのイケメン君だったなんて!」


 ドラセナとのイベントのために中庭に来ていたヒロイン、ヴィーナス・フライトラップだった。








【植物メモ】


和名:リュウケツジュ[竜血樹]

英名:ドラゴンズ・ブラッド・ツリー[dragon's blood tree]/ドラゴンツリー[dragon tree]

学名:ドラセナ・ドラコ[Dracaena draco]


キジカクシ科/ドラセナ属

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