41.無憂樹 Sorrowless tree

 スパイクとヴィーナスのもとから逃げ出したシャギーはそのまま教室に駆け込んだ。入学する前はスパイクと学年が違うことを残念に思ったり、その後はクラスが違うヒロインの動向が掴みにくいことをもどかしく思ったりしたものだが、今は顔を合わせずに済むことがありがたい。

 始業前の教室は人影もまばらだ。シャギーは真っ直ぐ自分の席に向かい、へたり込むように腰を下ろした。心臓はドクドクと早鐘を打ち指先は微かに震えている。これは怒りだろうか。それとも哀しみ? ひどく嫌な気分だった。


 ゲームのシナリオとは違い、スパイクはこれまで学園に居なかった。シャギーは休んでいたのでいつ復学したのか正確にはわからないが、この数日のことだというのは間違いない。そのほんの短い間に、シナリオの遅れを取り戻すかのように早速ヒロインと知り合っている。

 乙女ゲーム“イフェイオンの聖女”において、スパイク・ウィンターヘイゼルとヒロインの出会いの切っ掛けはシャギーだ。悪役令嬢シャギー・ソルジャーが、ヒロインを害そうとしたところに仲裁に入るのが、シャギーの婚約者であるスパイクなのだ。


 そう、今朝の状況はまるで出会いのシーンの再現。しかしスパイクの腕に絡みついていたヴィーナスの様子を見るに既に二人は出会っていた。おそらくヴィーナスは、シャギーが休んでいる間にスパイクが復学したために出会いイベントを無視してスパイクにアプローチしたのだろう。つまり。

 ヴィーナスはほぼ間違いなく、乙女ゲームのシナリオを知っている。聖女として先読み能力を持つ可能性もあるので断言はできないが、おそらく転生者と考えて良い。攻略対象に意識的に接近していた様子から疑惑はあったが、ここへ来て確信に近いものを得た。

 イケメン達と恋愛が楽しみたいだけならば放置して良い。だが、今日のように、意図的にシャギーやアネモネといった悪役を巻き込もうとするならば距離を取るだけでは足りない。シャギーは先程向けられたヴィーナスの嘲るような表情を思い出してギリ、と奥歯を噛んだ。


 それに、あの女の背後にあるのはカルミア教会なのだ。ヴィーナスがどこまで教会の事実を知るのかはわからないが、フォールスの拘束があってからシャギーの中で募るばかりだった教会への不信は、いよいよ確信的なものになっていた。もしかして、ゲームの中のシャギーも──

 そこまで考えたところでポンと肩を叩かれる。顔を上げるとアイリスが立っていた。


「顔色悪いよ。大丈夫?」

「うん……あのね、さっき──」


 シャギーが今朝の出来事を話そうとした途端、廊下の方から女生徒の悲鳴が聞こえた。教室に居た生徒達が何事かと出ていく背後から、シャギーとアイリスも廊下を覗く。そこには一人の男子生徒が倒れていた。意識を失った青白い顔に見覚えがあり、シャギーは思わずあっと声を上げる。その様子にアイリスも気付いたようだ。先日、ドラセナ・ドラコに詰め寄っていた生徒の一人だと。


「医務室に運ぶ」


 シャギーは人垣を割って男子生徒の脇に屈むと、身体強化した力で抱え上げた。男子の制服を着ているとは言え一見して華奢なシャギーが人間一人を軽々と担ぐ様を生徒たちはぽかんと眺めている。そのまま颯爽と立ち去る姿を女子生徒たちのうっとりした視線が見送った。アイリスは秋波を集める友人の背中を慌てて追いつつ『かっこいいなあ』と思わず口元を緩める。悪役令嬢のスペックにド根性を注入して鍛え上げられたシャギーは文句なしに最強……騎士になっていた。令嬢成分どこ行った。


 貴族の子女が多く通う学園の医務室には、王宮医師が派遣されることになっている。白いひげをたっぷりと蓄えた老医師はシャギーが背負ってきた男子生徒の様子を診察して命に別状はないことを確認した後、医師は「またか」とため息をついた。


「他にも同じ症状の生徒が?」


 シャギーが尋ねると医師は頷き、このところ急に倒れる生徒が増えているのだと言う。症状は軽い貧血と見られ重症者も出ていないのだが、同じ症状なのが気になって王宮にも報告を上げたところらしい。シャギーとアイリスは顔を見合わせる。急に倒れる生徒が増えるという展開は乙女ゲームのシナリオ通りだ。ゲームの中ではシャギーが生徒たちに流していた麻薬が原因だったはずだが、この世界でのシャギーはもちろんそんなことはしていない。しかし現実に事件は起きている。放置して良い事態とも思えなかった。

 男子生徒にはドラセナ・ドラコと揉めていた経緯も含めて事情を確認したい。彼が目を覚ましたら話たいとだけ医師に告げて、二人は医務室を出た。


「これって、あの事件よね? 」


 アイリスが小声で言うのにシャギーが頷く。


「ゲームでも犯人はシャギーたんだと匂わせつつ確定してなかったけど、やっぱ冤罪だったんだ」


 アイリスは悔しそうだった。闇落ちしたシャギーも愛していると言いつつ、推しが陥れられていたというのはやはり許せないらしい。


「どうする? お菊ちゃん。真犯人、探す?」

「探す。冤罪かけられない保証はないし、これ以上犠牲者が増えるのもね」


 生徒たちは麻薬を“頭がスッキリするお茶”だったり、“気分が高揚するお茶”だと認識していた。依存性に気が付くも周囲にバレて家に迷惑がかかることを恐れて犯人については口を噤んでいたのだ。


「イフェ聖でわかってたのはハーブティーだってことだけよね。栽培場所の倉庫もわからないし……」

「でも、これまでに倒れた生徒が誰かはわかるかも」


 口元に指を当てて悩むシャギーの肩にアイリスが腕を回し、自分の制服の胸ポケットをトントンと叩く。そこにはアイリスの転生アイテムのゲーム機が入っていることを察してシャギーがポンと手を打った。本来のストーリーと離れすぎたせいなのか未来のことはほとんど表示されなくなってしまったが、すでに起きている出来事については検索で調べられるはずだ。放課後から早速行動することを決め、取り敢えず今は授業へ戻ることにする。


「そう言えば、学園に来てて大丈夫なの?」


 一週間ぶりの再会について語ることもなく騒ぎが起きてしまい、フォールスがどうなったのかもまだ話せていない。しかし、シャギーが学園に来たということは何かしらの気持ちの変化があったのではとアイリスは思う。


「そうね、やるべきことは少しわかったかな」


 そう言って、若葉色の瞳の奥で静かに闘志を燃やすシャギーの手をアイリスはそっと握る。


「あんまり無茶したらダメだよ」





 学園から帰宅したドラセナ・ドラコは、ふと物憂げな吐息を漏らした。立ちっぱなしで作業していた手を止めて、傍の椅子に腰を下ろす。そのまま何とはなしにぐるりと周囲に視線を流した。学園以外ほとんどの時間を過ごしている場所の、見慣れた景色。彼の居る場所は貴族街にあるドラコ侯爵家のタウンハウス、その庭に設けられた20畳ほどの小さな温室だ。棚状になっている壁面は薬草の鉢で埋め尽くされ、斜めに切り取ったような傾斜を持つガラス張りの天井からは暖かな日差しが燦々と降り注ぐ。製薬室として使えるように床は板張りで、中央に置かれた長テーブルにはガラス瓶や魔導コンロ、乾燥させた薬草や図鑑など製薬道具が散らばっている。ドラセナは疲れていた。

 ドラセナが遠縁である侯爵家の養子となったのは3年前のことだ。ドラコ家は代々製薬業を営んできた家系で、侯爵位にまで上り詰めた経歴も王家御用達の薬屋となったことに端を発する。

 実父は貴族の端くれに生まれたとはいえ、引き継ぐ爵位も領地もなく生活は豊かとは言えなかった。しかし、ドラコ家の血筋なのか薬学の学者としては一流で、その学識は息子へと惜しみなく注がれた。ドラセナは父の知識を吸収するだけではなく、効果を応用したり組み合わせる発想力では父親をも上回る才能の片鱗を見せた。その天才性に目をつけたのが養父となる侯爵で、彼は息子を引き取る代わりに実父の研究への援助を提案したのである。ドラセナは貧乏学者の息子から侯爵令息になり、実父はドラコ侯爵領からささやかな土地と管理権を得た。

 両親から金で売られたのだ。その思いはいつもドラセナの心を暗くする。侯爵家にはもともとドラセナのニ歳上と一歳下に子どもが居たが、彼らは突然できた兄弟を居ないものとして扱った。そんな侯爵家での折り合いの悪さも、ドラセナの陰鬱とした思考を助長させたのかもしれない。人と目を合わせ、そこに蔑みを見てしまうことが怖くて前髪を伸ばした。

 養父は薬師としてのドラセナにしか興味を持たない。「こんな薬を開発しろ」と注文を押し付けてくるばかりで、連れてきた養子が家庭に溶け込めるかどうかなど気にもしない。屋敷に居場所がないドラセナは温室にこもるしかなかったのだが、義理息子を製薬漬けにしたい侯爵にとっては謀らずも都合の良い結果となった。そんな日々にも、もう慣れた。それは今の疲弊した心の直接の原因ではなかった。

 ドラセナ最大の憂鬱は半年ほど前に開発した薬に起因する。養父に命じられるまま開発したものだが、それが世間に大々的に公表されることはなかった。それとなく尋ねたものの「販路は依頼主の指定がある」とそっけなく伝えられて終わった。もともと、どんな薬を開発しても試薬や増産についてはドラセナの知るところではなかったので、流通についても気にすることではない。

 しかし、あの薬には欠陥があったのではと、そんな胸騒ぎがしてならない。もしも養父がその欠陥に気づいていながらも増産に踏み切り、世に流通し始めたのならば──。


 ドラセナ・ドラコはこの世界が嫌いだ。自分を売った実の家族も、私欲のために引き取って良いように使う侯爵家も、自分を蔑む生徒たちも、世界はドラセナに愛を与えず奪うばかりだ。だがふと、脳裏をよぎる二人の生徒。


 一人はソルジャー家の風変わりな令嬢。剣術に入れ込み、魔術塔に通い詰め、ドレスで着飾ることもしないという。学園でちらりと見かけたときも男子の制服を着て女生徒を侍らせていて、あまり関わりたくないと思ったのだ。

 だが彼女は生徒に絡まれるドラセナをあっさりと解放した。貴族の子女が通う学園は厄介ごとから逃げ回ることに長けた生徒ばかりなのに、当然のように介入して相談できる人はいるのかと尋ねたのだ。その時は侯爵家に厄介者と扱われることが怖くて逃げてしまったが。

 そしてもう一人、ヴィーナス・フライトラップ。百年ぶりに現れた光魔法の使い手、つまり聖女だ。その聖女様がどういうわけか最近やけに絡んでくる。


『ドラコ家はつらくない?』


 ヴィーナスはドラセナにそう尋ねる。金のために引き取られた身の丈に合わない侯爵家など居づらいに決まっている。しかしそんな養子縁組など貴族社会では珍しいものでもないことも理解している。現にヴィーナス自身が平民から男爵家の養子に入った身だ。


『わかるよ……私も、急に男爵家の養子にされて……お母さんと引き離されて』


 そう言って、ドラセナに寄り添う素振りを見せる。だが自分と彼女では境遇は大きく違うだろうと思う。教会という最大の後ろ盾を持つヴィーナスは、王子にすら気安く語りかけられる女王として、学園に君臨しているのだから。

 共感はできないものの、彼女の持つ聖女の身分は味方となれば強いだろう。ヴィーナスの縁で教会の庇護下に入ることができたなら、この先ドラセナがドラコ家を裏切ることも可能かもしれない。

 

 権威をものともせぬ者と権威に守られた者。対照的とも言える二人の姿を思い浮かべ、この憂鬱を無くしてくれるのはどちらなのだろうと、ぼんやり思った。






【植物メモ】


和名:ムユウジュ[無憂樹]

英名:ソロウレス・ツリー[Sorrowless tree]/アソッカ・ツリー[Asoka tree]

学名:サラカ・アソッカ[Saraca asoca]


マメ科/サラカ属

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