11.ブラックヒーロー Tulip Black Hero





「叔父さんに話した!?」


 シャギーがサングイネア子爵家を訪問したのはフォールスに前世の記憶のことを打ち明けた翌日のこと。当然アイリスは驚き、そして心配した。


「その……お医者さんとか呼ばれなかった?」


 アイリスが心配する方向性が自分と同じだったのでシャギーは思わず笑ってしまう。


「呼ばれなかったし──多分、信じてくれた」


 たとえ気が触れたと思われなかったとしても、前世でこの世界のことを知ってました、なんて話はくだらない子どもの嘘か妄想だと流すのが普通の反応だろう。客観的に見れば本人ですらそう思う。だというのに、フォールスはシャギーの話に驚きはしてもその言葉を疑う様子は少しも見せなかった。


 あの時のことを、シャギーはこの先もずっと忘れないだろうと思う。





 その日師弟は再びソルジャー家の森へ来ていた。


 シャギーは風の魔法を習ったが先日の霧と同様にそれはまだまだ弱く、細い枝を揺らして空へ吸い込まれていった。

 師はそれでも、ちゃんと風が発生したのだから上出来だと微笑んでしまう。シャギーにとってはどうにも不本意な結果だが焦っても難しいことは前週の授業で何となく理解している。


「そんなに焦らなくてもいいのでは?」


 フォールスからそう言われた時、シャギーはついに自分に“前世”としか言いようのない記憶があり、この先の未来を変えなければ破滅が待っているという荒唐無稽な話を披露する決心をしたのだ。


 冬色の魔法使いは、じっと黙って少女の話を聞いていた。


「とても不思議な話ですね。なるほど、10歳にしてはしっかりしてるなあと思ってました」


 シャギーの話を聞き終えてフォールスはのんびりとそう言った。話が長くなるとわかっていたので二人は朽ちて横倒しになった木の上に並んで腰掛けている。ふかふかの、香りの良い苔がクッションとなって柔らかくて。風に揺れて絶え間なく形を変える木漏れ日が金と銀の髪の上をちらちらと舞っていた。


「歳はいくつだったんですか?」

「18歳でした」

「若いなあ」

「若いですか?」


 16歳で成人となるこちらの世界では18歳と言えばもう立派に独り立ちしている年齢である。シャギーの父親が結婚したのも18歳だし、父より2歳下の母など18歳の時にはシャギーを産んでいる。


「若いですよ。若すぎます」


 フォールスが菊子という別世界に生きた少女を悼ぶ。その言葉の中にもう一人、若くして命を散らしたガーラント──シャギーの母親であったその人が含まれていることに気付く。


「そういえば先生はいくつなんですか?」

「お父様から聞いていないですか? 28歳です」


 アクイレギアの2歳下ということはガーラントとは同じ歳だ。父母が幼馴染みであったということは父の弟であるフォールスもまた、母と幼馴染みであったのだろう。


 もしかして。


「お母様に恋をしていたりなん、て、」


 思わず言葉に出してしまったが、些か無神経な質問だなと気付いて口をつぐむ。気まずく叔父を見上げるがフォールスは気にするふうもなく微笑んでいた。


「そういうのが気になるお年頃ですか? ちょっと早……いや、18歳ならそうですね」

「興味があるわけでなく、ちょっと思っただけです! すみません、失礼でした」


 からかうように言われて、少女は唇を尖らせるものの素直に謝罪した。


「いいえ? そう──恋、とは考えませんでしたね。当時は」

「当時は」

「今になって振り返れば、恋をしていたのかもしれないなと思うことはあります」


 フォールスはさらりと過去の恋心を認めてしまう。ガーラントが故人であるがゆえに出来ることなのかもしれない。今もなお兄の妻でシャギーの母として存命であったならばやや複雑な話になるが、それでも過去の話だ。


「先生は結婚しないんですか?」

「やっぱり興味があるんじゃないですか? こういう話」

「いいえ。純粋な疑問で」


 前世でコイバナに縁のなかったシャギーは、自分の興味がフォールスの言う「こういう話」に当たるのかわからない。


「研究所にこもっていると出会いがないんですよ。シャギーも将来、研究所に入るなんてことになったら気を付けてくださいね。先に見つけておかないとなかなか難しいですよ」

「覚えておきます。──まずはその歳まで生き延びないと」


 だいぶ脱線してしまったが、そうなのだ。シャギーの未来は今どれだけ積み上げられるかにかかっている。なにせゲーム通りならば前世よりも短く終了してしまう。


「それは確かに深刻な問題ですね」


 フォールスは膝の上に肘を立て細長い指を顎先でトントンと遊ばせている。思考する時の癖なのだろう。


「シャギーは剣術も頑張っていますしある程度の危険なら避けられるだろうと思いますが、言いがかりをつけられて処刑となると王族やら教会やらの権力に対抗するのは難しいですね。まあソルジャー家が黙っているとも思えませんが」

「前世で見たお話の中では、私は家族……というか少なくとも兄とは関係が悪そうだったので、今の家族関係についてはちょっと救いかもしれません」

「お話の中ではカランは教会でしたね。ソルジャー伯爵は登場しない、と」

「そもそも私自身の性格にもだいぶ難がありそうだったので、今こうして未来を知ることで処刑やら追放やらが回避できればそれが一番なんですけど。あまり楽観するのもどうかなって。アイリスによれば強制力のようなものが働く可能性もあるらしく」


「強制力?」

「どんなに避けようとしても、出来事が筋書き通りに集約してしまう力、らしいです。あちらの世界にはそういう話も多いそうで」

「それは怖い。サングイネア子爵令嬢の存在はとても心強いですが予見できても抗えない可能性があるというのは厄介ですね」


 うーん、と二人して頭を抱える。


 緑の風が葉を打ち鳴らす。シャリシャリシャリと鈴がさざめくように響いて頭上を掛けてゆく。


遠く近く鳥が鳴いている。人に知られぬ言葉で秘密のやり取りを交わしているかのように点と点は呼応して、やがて森全体に広がってゆく。彼方から届く水の音。水音は泉へ向かって同じリズムで行進している。


 しばらくはそうして、森のざわめきの中にしんとしていた。


「まあ、おいおい考えましょうか」


 沈黙を破ったのはフォールスで、その言葉にシャギーも同意する。今ここでどんなに考えても実際その時になってみないとどうにもならない。できることはやっている。


「話してくれてありがとう」


 そう言ってフォールスは身を起こし、座ったままのシャギーの前に立った。その瞬間、風を受けた暗紫色のローブが花開くように膨らんで、ふわりと影を落とす。


「大丈夫。いざとなったら私がシャギーを連れてどこまでも逃げますから」


 穏やかに笑う魔法使いの頭上で星のような数の葉が揺れる。緑色の天井で鈴が鳴っている。


 幾千、

 幾千、

 幾千、

 

 鳴り止むことなく届く歓声のように。


 息をのんで見開かれた少女の瞳。その視界を埋める暗紫色をした正義の旗が、はためいた。





 あのとき森で聞いた鈴の音をシャギーは今でも思い出すことが出来る。


 未来への不安や恐怖に囚われそうになる度にその音は耳の奥で響いて、自分の力ではどうにもならなくなった時に登場するヒーローの存在を思い出させる。風に膨らむ暗紫色のローブはまるで正義のマントのようだった。

 やるだけやって、ダメだったならばその時は王国最強の魔術師がさらってくれる。それは守護となって心を照らした。


 あれから2年──あの時よりはずいぶん強くなったのではないかと自分に厳しいシャギーでも思う。騎士団での剣術の稽古は想像以上に苛烈で、しかし余分な思考を挟む余地もなく剣を叩き上げる環境は幼い令嬢を確実に剣士へと変えた。


 魔法だって、多彩なだけではなくひとつひとつの威力も増している。心の成長に呼応するというそれはフォールスから守護の言葉を得たあの日から着実に安定してきている。師から受け取る愛は自信を得始めた最近では取りこぼすことも少なくなってきて、それはそのまま魔法の強さに現れるのだ。


 だが、培ってきた心も実際のソレ・・を目にすればやはり恐怖にすくんでしまう。目に焼き付いているシーンが蘇る。霧が晴れて、倒れる少女の胸に刺さる剣と流れる赤い血。


 実際に、目の前に現れた恐怖。


 その日騎士団の練習場に現れたのは人の姿をした未来。

 4年後にシャギー・ソルジャーを殺す少年。12歳の、レオノティス・レオヌルスだった。







【植物メモ】


和名:鬱金香[ウコンコウ]

英名:チューリップ[tulip]

学名:ツゥリッパ・ゲスネリアーナ[Tulipa gesneriana]


●チューリップ・ブラックヒーロー[tulip Black hero]

 八重遅咲き暗紫色の園芸品種

   

ユリ科/チューリップ属

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