12.火焔着せ綿 Leonotis leonurus





 イフェイオン王国において騎士爵は世襲ではない下級貴族に属する。だが、一部の家門では自らの騎士団と領土を持つ領主階級の家系も存在する。

 乙女ゲーム“イフェイオンの聖女”で攻略対象となる騎士、レオノティス・レオヌルスもまたそのような有力な騎士の家系の生まれであった。


 レオヌルス家の有する騎士団は王都の北西に飛び出た国境の地を守護している。地図上で見ると猫科の耳のような形をした領地は通称“獅子の耳”と呼ばれ、レオヌルス家の勇猛な騎士は王国と領土の奪い合いをしてきた遊牧民や自治区の兵たちから恐れられてきた。

 その武功が特に認められた先代は、自領の騎士団を弟に任せ、王立騎士団の騎士団長を務め上げた。そのためレオヌルス家は今や地方の小領主にとどまらず、王都でも広くその名が知れている──。


 シャギーは白く霞む思考の端でレオヌルス家のデータをつらつらと思い返していた。もちろん、ゲームの設定として知っていた内容だ。

 そんなシャギーの前で今、現実として起きている出来事。それは12歳のレオノティスがブッシュ・クローバーにボロ負けして弟子入りするくだりに違いなかった。


(わ、わ、忘れてた──!!)


 背中に滝のような汗をかきながら、心のなかで絶叫する。レオノティスとブッシュ・クローバーの邂逅。それがどこで起きることなのかゲームで明言されてはいなかったが、少し考えれば騎士団の演習場だろうと想像がつく。だというのに。

 ゲーム通りの展開ならばシャギーはここに居ない。つまり本来出会わなくてよかった場所に自分からノコノコ顔を出していることになる。


(面目ねえ……)


 自分のうっかり具合に、協力者であるアイリスやフォールスにも申し訳ない気持ちになってくる。



「息子のレオノティスだ。見習いとして今日の演習に参加させて貰いたい」


 シャギーは大柄な騎士達の背に隠れるようにして演習場に現れた少年を覗き見る。集まった騎士達の前で、目を吊り上げてギラギラした表情をあらわにしている赤毛の少年。橙色に燃えるようなくせ毛が激しい気性を表しているかのようだ。

 その隣で、少年の背に手を添えている大柄な中年が少年の父レオノティス家の現当主だろう。たてがみを思わせる長めの髪と相まってまさしく獅子と呼ぶべき風貌である。いかつい。騎士団長だったという先代のコネで、我が子に経験を積ませたいという親心から息子を連れてきたのだろう。


 父親が演習場を去った後、現騎士団長から練習刀を渡された少年はようやく口を開く。そしてその第一声で演習場を氷点下に叩き落とした。


「俺……アンタ達より強い。から、演習は、いらない」


(うわあ……)


 この展開を知っていたシャギーですら一瞬で冷えた場の空気に色んな意味で手汗が止まらない。万が一にもこれから起きうる騒動に巻き込まれないようジリジリと後退する。


「ブッシュ・クローバーと対戦したい」


 一方でふてぶてしく言い放ったレオ少年は一切の空気を読まず、目当ての人物を探して視線を巡らせる。シンとした無音に支配される演習場。その沈黙を破ったのは豪快な笑い声だった。シャギーもよく知るその声。


「ご指名どーも、お坊っちゃま」


 からかいを隠さないブッシュ・クローバーの様子にレオノティスの唇がへの字に結ばれる。不満を表す様子など意にも介さずクローバーは少年の前に立つと、無造作に剣を構えた。


 突然やってきた礼節のレの字もない乱入者の態度にピリピリしていた空気が、一瞬でざわめきに変わる。前触れもなく剣を構えた男に対してレオノティスも慌てて構えた。いくら生意気とはいえ客人扱いの12歳の少年に怪我をさせるわけにはいかない。騎士団の面々は王国最強の剣士を止めようと動き出す。が、周囲が止めるよりも早く。


 クローバーはつまらなそうにひとつ息を吐いて、構えをといてしまった。


「相手にならねえな」


 まだ一合も打ち合わせていない相手にそう断じられて、今度はレオノティスが剣呑な空気をまとわせる。


「お前──」

「シャギー!」


 文句を言おうと少年が口を開く、その声を遮ってクローバーが呼んだそれ。それが自分の名であることを、シャギーはこの瞬間に忘れてしまいたかった。

 少女が必死で隠れていた最後尾まで振り返る騎士達によって道が開いていく。こんな救いのないモーセロードがあるかと、開かれた絶望の道をシャギーは眺めた。


「お前が相手してやれ」


 ニヤリと笑ってよこすクローバーは間違いなく悪魔に見える。


 自分と同じ歳ほどの少女が演習場にいるとは思っていなかったレオ少年の目が驚きに開かれた。ついで、それをクローバーからの侮辱と受け取ったのだろう。見開かれた瞳が怒りに燃える。


(めっちゃ怒ってるじゃん! 私全然、関係ないじゃん!!)


 声に出すのもややこしいのでシャギーは師に向かって全力の不満顔で抗議するが、クローバーはニヤニヤとそれを受け止めてしまい撤回する様子は見られない。処刑場に向かうかのようにノロノロと歩むシャギーだったが、ふと閃いた。


 今はまだ練習刀による演習で、周囲には騎士達も居て、死の危険はない。ということは。


(ここで油断させておけば、16歳になった時、天狗のまま育ったレオノティスに勝てる確率が上がるのでは!?)


 今日ここで会ったことは最悪の失敗だと思っていたが実はストーリーを変える大チャンスだったと気付き、シャギーの気持ちは一気に上向いた。


(よーしよーし! 来なさい! 無様に負けてあげましょう!)


 だがその算段はすぐに覆されることとなる。先程までの消沈から急にやる気の構えを見せた弟子の様子に不穏なものを感じたクローバーによって。


「言っておくが小僧に負けたらお前も破門だからな、シャギー」

「はああ!?」


 思わず声に出てしまったシャギーにやっぱりな、とクローバーが口の端を上げる。


「おい少年、紹介するぜ。俺の愛弟子だ。」


 完全に言葉を失ったシャギーの肩を掴んで赤毛の少年に向き合う。


「コイツに勝てたら、相手してやってもいいぜ?」


 ダメ押しとばかりに挑発されてギリギリと釣り上がるレオノティスの目尻の角度をボンヤリと計りながら、シャギーは自分の血管もまた切れそうになっていることを自覚した。








【植物メモ】


和名:火焔着せ綿[カエンキセワタ]

英名:ライオンズ・イヤー/ライオンズ・テイル[Lion's ear/Lion's tail ]

学名:レオノティス・レオヌルス[Leonotis leonurus]

   

シソ科/カエンキセワタ属

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