5.黒花苧環 Aquilegia viridiflora Chocolate Soldier





「魔法を学べるのですか!?」


「もちろん。来週から家庭教師が来ることになっている。……少し急だった?」


 シャギーが父親から話を聞いたのはこれから出掛けようと支度をしているところだった。すでに行き先には連絡済みで、時間の約束も取り付けている。


 魔法を学びたいと相談した日から数日後。


 あの日はカランコエが取り乱して父親に兄妹の確執が知れることとなり、母親の死の真相を聞き出すに至り──つまりそれどころではなくなったので、てっきりそのまま話自体が流れてしまったのかと思っていたのだ。しかしソルジャー伯爵は娘の相談をしっかりと覚えており、家庭教師を手配してくれていた。


 いくらなんでも急だったかと心配する父親に、首を左右に振って否定する。


「ありがとうございます! お父様!!」


 兄のカランコエは相変わらず部屋から出てこないため彼が今何を考え、どうしたいと思っているのかは知れないままだ。

 だがそれはシャギーが立ち止まる理由にはならない。自分自身が最悪の未来から逃れるにも誰かを救うにも、力が無ければどうにもならないのだ。そのことを“持たない側”だった菊子の経験からよく知っている。


「では!! 行ってまいります!」


 シャギーは残りの支度を終えて、慌ただしく父親に挨拶をして馬車に飛び乗る。


 馬車の中、侍女と二人になったシャギーはこっそりと拳を固めた。そのまま天に向かって拳を突き上げたい衝動を貴族令嬢にあるまじき所作なので我慢する。


『やった……! これでようやく、下ごしらえ・・・・・が始められる』


 これは計画の第一歩だ。シャギーの目指す道、それは最初の死亡フラグを回避するために16歳までに剣の達人となること。




「甘すぎる……かな」


 娘の部屋を出て執務室となっている書斎へと歩きながら、アクイレギアはひとつため息をついた。


 この国で貴族の女性に求められるのは主に社交と家の存続に必要な婚姻を結ぶことだ。平民ならば自分の技能を活かして生きていくこともできるかもしれないが貴族社会でまだまだそれは難しい。であれば、シャギーにも魔法学の家庭教師など付けず淑女教育を徹底するのが一般的な当主としての判断だろう。だが、ソルジャー伯爵は娘のやりたいと思うことならば出来うる限りの協力をしたかった。

 兄カランコエから心無い言葉をぶつけられ、3年もの間辛い思いをさせてしまったことへの悔恨はもちろんあるがそれだけではない。妻の遺言、そして自分の中の愛おしいという気持ちに従ってそうすることを選ぶ。


『あの子たちを幸せにしてあげてね』


 先立つ妻からの願いは一般的な貴族としての幸せなのか、一人の人間としてのそれなのかはわからない。慣習に逆らうことや我を通すことには世間からの厳しい目や圧力など、幸せと呼べるかわからない痛みも伴うだろう。好きに生きることこそが幸せなのだとはとても言い切れない。それでも。

 それでもかつて王国の慣例を踏み倒してガーラントと結婚したアクイレギアは、間違いなく幸せだった。最愛の妻と過ごした短すぎる日々の思い出も、その愛しい妻が遺してくれた子どもたちの存在も、自分がこの世に生まれてきた意味そのものだと思える。それほど。


 だからソルジャー家当主として、二人の子どもの父親として、アクイレギア・ヴィリディフローラ・チョコレート・ソルジャーは娘にも息子にも自分の選んだ道を進ませるつもりだし、そのために自分が出来ることは何でもしてやれる覚悟があった。名前が長い。


「まあ、今のシャギーには誰が止めても自分の道を切り開いて行けそうな力強さを感じるんだけど」


 どちらに似たんだろうか……。8歳とは思えない冷静な判断力と意思の強さを思い返しながらアクイレギアは首の後ろへと手を回す。


「問題は──」


 書斎へ向かう足を止め、見つめた先には兄カランコエの部屋の扉が見える。


 あの日──兄妹の母親が贖人であったことを告げたあの夜から、アクイレギアは幾度も部屋を訪れているが俯いたカランコエの顔が上げられることはない。伏せられた瞳には混沌が揺れている。何を話しかけても返事はなかった。運ばせた食事には一応手を付けてはいるが、食欲が湧かないようで半分ほどがそのまま下げられてくる。


 自分が妹に向けてきた憎悪。


 それが全く謂れのない、理不尽な仕打ちだったと知って罪悪感に苦しんでいるのかもしれない。あるいはこれまで歪んだ形で発散させてきた感情の行き先を失ったことで喪失感と向き合っているのか。

 母を亡くした悲しみと同時に兄から虐げられ父親は気付かない。そんな苦しみを最も幼い身で耐えてきたシャギーを思えば甘えるなと叱責するべきことだとも思う。それでも父親は、アクイレギアはカランコエを責めることができなかった。もちろんシャギーの苦しみを考えるべきだという話はしたが、息子もまた幼かったのだ。悲しい勘違いもあった。そしてカランコエが未だ母の死を割り切れないのは、誰よりも愛情深いからこそだとも言える。


「カランコエ」


 閉ざされた扉に向かって呼びかけるともなく愛しい息子の名前を呼んだ。と、その時、真鍮のノブがカチャリとささやかな音を立てる。思わず息を呑んだアクイレギアの目に、ゆっくりと開かれていくドアが映った。


「っ父上……」


 ドアの向こうから姿を覗かせた息子はそこに父嫌が居るとは思わなかったのか、驚いたように身を引きかける。しかし再びその扉が閉ざされることはなかった。後ろに引きかけた足を留めて、覚悟を決めたように唇をキュッと結ぶとアクイレギアを見つめ返す。


「父上。僕は──」





「ヴィーナス、逃げてください」


 そう言って、美しい修道士は微笑んだ。


 少女と少年は夜の森を駆けていた。炎に崩れ落ちた王都の大聖堂。轟々と燃え盛る火を逃れた二人は国境を目指し森へと入った。隣国の教会まで辿り着けたら世界中に根を張るカルミア教に守ってもらえる。今夜の内に森を抜ければ、きっと敵の手から逃げ切ることができる。


 少女はやがて世界を救う聖女となるヒロイン、ヴィーナス・フライトラップ。そして少年は修道士カランコエ・トメントーサ。


 あと少しで国境を越えられる。あと少しで──


 鬱蒼とした木々が途切れて月が姿を現すのを視界に捉え、二人がここまで駆けてきて疲弊しきった足に最後の力を込めた刹那。


 ソレはそこにいた。


「お久しぶりですわね? カランコエお兄様」


 月を背負い、その光に反射する豊かなブロンドを泳がせて、一人の少女がそこに立っていた。


 貴族らしく豪奢なドレスは白銀に輝くドレープを花びらのように地上へ広げ、風に逆立つ金の髪はその中心に開く花冠のようだ。表情は逆光で見えないが艷やかな声には微かに笑いが混じっているように聞こえる。


 ソルジャー伯爵家の一人娘・・・、シャギー・ソルジャー。


 その姿をみとめた修道士が、ヴィーナスを背にかばうように前に出る。


 ヴィーナスは突然現れたシャギーが発する禍々しい魔力に気圧されていたが、彼女から発せられた言葉に息を呑んで、目の前のカランコエを見る。今、自分を守ろうとする修道士。彼のことを、彼女は何と呼んだだろうか。


「カランコエ、あなた……」


 シャギーは確かに修道士の名を呼んだ。おそらく過去に呼んだことのある関係を称して。──お兄様、と。


「ヴィーナス、逃げてください」


 シャギーを警戒した目線はそのままに、カランコエが横顔でヴィーナスを振り返って口元だけで微笑む。こんな時でも硝子細工のような美しさを失わない横顔に聖なる少女は首を左右に振って拒否する。


「聞いた通り、あれは私の妹です。私はもうソルジャー家の人間ではないのでそう呼んで良いのかはわかりませんが……確かに血はつながっている。この始末は私がつけなければならない。」


 少年は告げると再び背を向けてしまう。


「命に代えても私が止めます。その間にあなたは走って。国境はもう、すぐそこです」

「いや! いやよ! あなたも一緒に逃げるの!」


 ヴィーナスは修道士の言葉を受け入れることができなかった。だって彼は、彼はかつて言っていた。自分は魔法が使えないのだと。つまりカランコエの身を守るのは彼が握りしめている細い剣ひとつなのだ。


 二人のやり取りを聞いていたシャギーから、甲高い笑い声が溢れる。それは嘲りに満ちた音をしていた。


「聖女様をお守りするその心意気は素敵ですわ、お兄様。でも魔法も使えない“役立たず”のあなたが、どうやって私を止めようと言うのです?」


 黄金色の少女が右手を天に掲げると掌から生き物のように湧き出した炎が球体となって浮かんだ。火の属性魔法。赤々と燃える焔に照らされてその表情があらわになる。

 夜目にも赤い唇の端が弧を描いて上を向く。カランコエによく似た、けれど愛しい修道士よりもずっと激しい気性を映す顔立ち。暗く曇った瞳の緑色をドロリと溶けさせて少女は愉しそうに笑った。

 そして──



「はあぁぁぁ〰〰〰〰!美し〰〰〰〰!」

「いや、あの」


「あああ〰〰〰〰月を背負う悪役令嬢やば!推しが!推しの美しさが!推せるすぎるぅ!」

「いやだから」


「こんなに推せるシャギーたんが滅亡エンドなんて許せない。もうこの際、世界を滅ぼして幸せになろ?シャギーたんに厳しいこの世界を一緒に滅しよう?」

「滅するかァ! 滅しない方向で幸せになりたいわ!」


 シャギーは突然残念になり下がった令嬢アイリス・サングイネアの頭をはたいた。


 シャギーの外出先。それはサングイネア子爵家であった。 兄カランコエの贖人ルート回避について何か手掛かりは得られないだろうかと、転生者であり“イフェ聖”をいつでもプレイできる(さらに人名検索で運命を見ることもできる)チート持ちのアイリスを訪れたのである。

 そして見せてもらったのが先ほどのカランコエルートのムービーであった。


「いくらアイリスが極悪シャギー推しでも、私は悪役令嬢を降りるからね!? 破滅、断固、拒否!!」


 ハァハァと令嬢らしからぬ興奮でスチルのシャギーを眺めていたアイリスだが、その本人(幼女)に両肩を掴まれガックンガックンされたところで我に帰った。


「わかってます! わかってるってば。悪役令嬢のシャギーたんは私の記憶の中だけで生きるのよ……冗談です! 冗談! 死亡ルート回避絶対!」


 ギロリとシャギーに睨まれてシャキンと背筋を固くする。


「しかし優しいよねえ菊ちゃんは。ゲームには詳しく出てこないから知らなかったけど、結構キツイ扱いされてたんでしょ? カラン……お兄ちゃんに」

「恨んでないとは言ってない。クソ兄貴とも思ってるし。優しいなんてどっちの人生でも言われたことないよ」


 冷たいとは言われたかな。バイト先で。


「でもさ、10歳の子どもがハタチで死にます宣告受けて、それ以降は家族とも暮らせないとかは……しんどいじゃん。奴も一応、家族だし」


 前世では頑張っても頑張っても貧乏な“持たない側”だったけれど、家族は絶対だった。


 働けない父も、余裕のない母も、手の掛かる弟も妹も、煩わしいとは思っても居なければ良かったとは考えたことは一度もない。そこに在る人たちに何かをしてやられることが自分がその場所に存在する意味だと思っていた。シャギーにとって家族とはそういうものだ。


「おっ? てことは、やっぱカルミア教と敵対するつもり? 教会燃やしちゃう? 悪役令嬢ルート逝っちゃう?」

「逝くの字がもう破滅ルートだから! そっちは行かないし逝かない! てか教会燃やしたの私じゃないし!」


 教会と敵対するルートになど行くつもりは無い。だが一人の子どもを教会に行かせないことは出来るかもしれない。


「贖人ね……。まさかカランコエがそんな経緯で修道士になったとは思わなかったな」

「まだ可能性が高いって段階だけど。て、アイリスは思わなかったの?」


 前世のシャギーは最後の攻略者だったカランコエルートの途中で死んでしまったが、前世どころか今世においてもリアルタイムでゲームをやり込んでいるアイリスがカランコエが贖人である可能性に気付かなかったとは意外だ。

 いくら“イフェ聖”公式には贖人などという言葉が出てこなかったとはいえ、この国で育った人間ならばその存在は必ず知っているのだから。


「んー、だって贖人てことは魔力ゼロってことでしょ?」

「そうなるね」

「だから違うと思ってたの。魔法が使えないのと魔力がないことは別だから」


 そう言ってアイリスは再びゲーム機をポチポチ弄るとシャギーの目の前に画面を突き出す。目にした小さな四角の中では先程まで見ていたムービーから続くミニゲームが始まっていた。


 火球を放つシャギーと対峙するカランコエとヴィーナス。兄の下に出ている選択肢の表示。


▷回避する

▷剣で攻撃する

▷水渦を放つ


「水渦を……放つ?」


 シャギーはポカンとしたまま思わず表示された言葉を口に出していた。


 水渦、水の渦。つまりカランコエは。


「ヒロインを護るために、ここで水魔法が使えるようになるの」


 アイリスは説明すると“水渦を放つ”を選択する。途端、画面の中では膨大な量の水が渦を巻き、龍のような一筋となって18歳のシャギー・ソルジャーを襲った。







【植物メモ】


和名:黒花苧環[クロバナオダマキ]

英名:コロンバイン[columbine ]

学名:アクイレギア・ヴィリディフローラ・チョコレート・ソルジャー

   [Aquilegia viridiflora Chocolate Soldier ]

   

キンポウゲ科/オダマキ属

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