19.雪起こし Christmas Rose





「母に会ったらしいね」


 にっこりと微笑んで少女を見下ろす、ウィンターヘイゼル公爵家のご令息。


「内緒にするって言ったのに……」


 対するソルジャー伯爵家ご令嬢は、令嬢らしからぬげんなりした表情を浮かべて顔を反らせた。


 薄っすらとした雪に覆われたソルジャー伯爵家の庭園。


 二人の男女が立つ足元には昨夜ちらちらと舞った雪による白い絨毯と、その白色に紛れて花を咲かせる白いクリスマスローズたち。空は昨日に続いて乳白色の雲に濁り、今にも新たな雪を降らせんと垂れ下がっている。

 空も地も花も、何もかもが白い色彩の中でシャギーは対極の色彩を持つ少年を見上げる。濡れたように黒い髪は白いキャンバスにうっかり墨をこぼしてしまったかのようだ。


 公爵令息は兄の友人としてソルジャー家を訪問しているはずなのだが、その兄の目を盗んで彼は何かとシャギーの前に現れる。


「いやいや恩人様の願いだからね、伯爵家には・・・・・、黙ってますよ?」


 スパイクが片目を瞑って笑う。


「なるほど」


 外には秘密にするが家庭内では情報共有されているということらしい。やんわり口止めするに留めず、きっちりと一切他言無用として言質を取るべきだった。シャギーはチッと舌打ちをした。

 シャギーの失礼な態度に、ふは、と小さく噴きだしたスパイクが肩を揺らす。相変わらずの寛大さに取り繕うことを忘れつつあるシャギーはハッとなる。気を許してはいけない、付け入られる隙は少ないほうが良い。


 笑いを収めた令息は、ふ、と一瞬だけ視線を外し、笑みのない横顔を向けた。


「ウィンターヘイゼル公爵家で君は大人気だ。──面倒なことにね」


 再び笑顔を向けながら肩をすくめ片眉を上げたスパイクにシャギーは首をかしげた。


 父親のもとに釣書が届いたということは二人の縁談は公爵の意向のはず。スパイクもその思惑を汲んで何かとシャギーを構っていたのかと思っていたが、もしかして彼にとってもこの縁談は本意ではないのかもしれない。


 真っ直ぐ見上げてくる少女にやれやれとため息をついてスパイクは言葉を続けた。


「知ってるかもしれないけど、以前からウィンターヘイゼル公爵家はソルジャー伯爵家に縁談を持ちかけてる。俺と、君の」


 いつ持ち込まれた話なのかは知らないが、先日父の書斎でそれを知ったシャギーはコクリと頷く。


「シャギーが知ってたってことは、やっぱり“お断り”は伯爵だけじゃなくて君の意向でもあるんだなあ」


 大げさにがっくりと肩を落としてみせるが、声も顔も笑ったままでその本音はわからない。この令息の仕草は何もかもが芝居めいていて、不意に覗かせる瞬間を見落としてしまえば真意は雪中に咲く白い花のように判然としないのだ。


「まあ、いいや。公爵家から俺に課せられてる使命が君とナカヨクなるってこと……ってのは変わらないし」

「それなら、今回のことも公爵家には都合が良いのでは?」


 面倒が増えたとはどういうことだろう。シャギーは尋ねる。


「君に近付いてたのが打算だったって部分は良いんだ?」

「想定内というか、むしろ他に理由がないのですが」

「いやあるでしょ。俺の個人的な恋愛感情とか」


 あの出会いで? シャギーはスパイクの戯言を鼻で笑い飛ばした。“おもしれー女”枠なんてものはヒロインにのみ許された特権である。

 年下の少女のクールな対応に、これまで数々の女性に言い寄られてきたのであろう少年は複雑な表情で頬をかいた。それから、ため息をついて目線を落とす。


「はあ。君が俺にとって魅力的かどうかってのはこの際置いておいて、シャギーの言う通り公爵家は君と接点が増えて大喜びだよ。君の公爵家での好感度が上がると俺がやりづらいってだけでね」

「やりづらい」


 頭の上に疑問符を浮かべるシャギーに公爵令息は正面から向き直る。その顔にいつもの貼り付けた笑みはなかった。


「俺としてはさっさと婚約して、適当なところで婚約破棄になるのが理想だった」


──で、で、出た!出た婚約破棄!! ここで出るんだ!?


 予想だにしていなかったところで“イフェ聖”のシナリオに触れて驚愕に目を見開く。ゲームのストーリーでは、シャギーのキツイ性格や思いを寄せるヒロインを害されたことによって婚約破棄に至ったかのような描かれ方だったが、まさか婚約したときからの計画だったとは。


「できれば協力して貰いたかっ……」


 呆然と立ち尽くすシャギーと向き合い、さらに言葉を紡ごうとして──いたはずの公爵令息は雪の上に這いつくばっていた。




「妹に詫びろ、スパイク」


 代わりにシャギーの前に立つのは、冴え冴えとした美貌を凍てつかせる兄のカランコエ。


「どっから聞いてた?」


 手をついて上半身を起こしながら、拳を握りしめたままの友人にスパイクが尋ねる。


「お前が公爵家からろくでもないお使いを頼まれてるってところからだ。縁談が持ち込まれてるのは聞いてたが、友人だと思ってたご子息が、まさか人の気持ちをないがしろにしてまでお家に忠実だとは思わなかったよ、認識を誤った。挙げ句、誑し込んで婚約を結んだ果てに棄てるつもりだったとは。大した計画だ」


 淡々と告げるカランコエの声は氷点下の気温もかくやと言うほどに冷えていた。


「立て」

「立ったらまた殴られるな……」


 殴られた頬をおさえたままスパイクが自嘲して、氷柱のごとく怒りを滴らせたカランコエに軽口を返す。殴られたのにヘラヘラしているスパイクも、公爵令息を殴ったカランコエも、どちらも胆力がバグっているのかもしれない。


 シャギーからは「俺としてはさっさと〜」のあたりで、生け垣からスパイクの背後に姿を現した兄が見えていたのだが、続いた言葉の衝撃で静止しそびれてしまった。


「あ、お兄様のこと罰するなら、人気急上昇中の私がウィンターヘイゼル公爵家に乗り込んで、息子さんからぶっこまれた心無い言葉を洗いざらい訴えます」


 取り敢えず公爵令息をやってしまった兄を守らねばと口を挟む。


「しないよそんなこと。これは……雪で滑って転びました」


 友人から怒りの鉄拳を食らったスパイクだが、殴られたことへの怒りは無いらしい。貴族令嬢に婚約破棄の汚名を被せるという自分勝手なプランへの反省は──わからない。なにせこの令息の本意はいつも雪の中。


「ごめんね? 忘れてシャギー」


 ヘラリと笑ったまま見上げてくる琥珀をシャギーは探るように覗き込んだ。





「いいですよ」

「シャギー、そんな簡単に許すな」


 怒りが収まらない様子のカランコエが二人の間に割って入る。労るように妹の手を取る兄の長い指をシャギーは安心させるようにぎゅっと握った。そのまま兄の肩からひょこりと顔を出して、雪の上に尻をついているスパイクに向かって言葉を続ける。


「いいですよ。婚約しましょう」


 にこりと笑うシャギーに、スパイクとカランコエが揃ってぽかんと口を開けた。








【植物メモ】


和名:雪起こし[ユキオコシ]/寒芍薬[カンシャクヤク]

英名:クリスマス・ローズ[Christmas Rose]

学名:ヘレボルス・ニゲル[Helleborus niger]


キンポウゲ科/クリスマスローズ属

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