36. 蠅捕草 Venus Flytrap

「殺(や)ってしまいましょうか」


 机に両肘をつき、組んだ両手で口元を隠すようにしてフォールスがボソリと言った。



 シャギーが叔父の研究室を訪れたのは王都に戻って一週間後のことである。兄のアクイレギアから凡そのことは聞いていたのだろう。シャギーが研究室に着くなり奥のテーブルセットへと通され、冒頭のセリフだ。


「いやいやいや物騒が過ぎます」


 シャギーは過激な師に突っ込んだ。


「たかが失恋じゃないですか」


 戻ってからの数日ですっかり言い慣れたセリフでなだめる。そう。


 アクイレギアやカランコエ、そして公爵家。ソルジャー伯爵家もウィンターヘイゼル公爵家も巻き込んでの騒動となったが、結末を一言で言うなら婚約を予定していた二人が別れただけのことだ。

 沸々と怒りをたぎらせるフォールスを見ながら、お父様とお兄様の怒りも凄かったな……と遠い目になる。


「公爵家と戦争だ」


 今のフォールスと全く同じ姿勢をした父のアクイレギアは、話を聞くなりそう言い放った。父を止めるべきである兄のカランコエも父の傍に立って腕を組んだまま頷いている。

 シャギーは必死で止めた。


 アイリスにも報告が必要かなと考えていたら、向こうから来た。占いで知ったのだろう。


「よっしゃ、アイツ呪おう」

「やめて」


 アイリスは前世からの遺物でチートしているのであって実際に呪術師的な力があるわけではないのだが、一応止めた。


 たかが失恋。


 それを口にする度に心はまだ痛かった。けれども、それを口にする度に自分の代わりに怒ってくれる人たちの存在を実感して救われてもいた。

 そしてその間もスパイクは一人で痛みに耐えているのだと思うとやるせなかった。


 救い難い孤独から救いたくて、持てる力のすべてで行動した。けれどその手は届かなかった。スパイクが一人で居る孤独の淵は、シャギーが思うより、そしておそらくスパイク本人が自覚しているよりもずっとずっと深いのだ。


「精進しなきゃね」


 フォールスの研究室からソルジャー家の自室へと戻ったシャギーは、一人になった部屋でポツリと呟いた。


 この世界で目覚めた時からの行動原理である、断罪ルートへの恐怖など、もはやすっかり消えていた。ただ今は救いたかった。愛する人の孤独を生み出した、歪んだ世界から。


「カルミア教もウィンターヘイゼルも、ぜんぶの裏を暴き出してやる」


 涙は少し。それで終わりにして、シャギーは不敵に笑った。





 絢爛と飾られた講堂で執り行われた、イフェイオン王立学園の入学式。


 国王本人ではないが代理となる王族も出席しているため、厳かな空気に包まれて式は進行する。静謐な空気の中、興奮を隠しきれない少女が一人。

 肩先できっちり揃えられたローズブロンドの髪がふるふると揺れている。隣の女生徒がちらりとそちらを見やるが、緊張だろうと、特に気に留めることもなく視線を壇上へと戻した。壇上では、一人の男子生徒による祝辞が始まるところであった。


 大窓から注ぐ光を浴びた生徒は極めて美しい姿をしていた。金に銀に揺らめいて輝く白金の髪。白磁の肌に、グランディディエライトの瞳。


『はうあああッ! こんなところに居たのね! カランコエ……ッッ!』


 先日、数百年ぶりとなる稀有な光魔法を発現させ聖女としてカルミア教会に保護された少女、ヴィーナス・フライトラップ。

 彼女もまた、この世界を乙女ゲーム“イフェイオンの聖女”としてプレイした前世の記憶を持っていた。


『なんで教会じゃなくて学園に居るのかはわかんないけど、出会えるんだからオッケーよね。んで、次は……』


 講堂を包み込む拍手の中、祝辞を終えたカランコエが壇上から降りていくと、次いで一人の入学生の名が呼ばれる。


「入学生代表挨拶、リナンサス・グランディフロルス」


 呼ばれた名前にさざ波のように拍手が湧き上がる。


『キターーー! リナ王子!!』


 ヴィーナスもまた熱心に拍手しながら、壇上に向けて必死で目を凝らす。


 学園には身分を持ち込まないという原則があるため、敬称を付けられず呼ばれた名。それはイフェイオン王国第一王子のものであった。


『攻略対象者……』


 この時、心の中でそう思った人間が会場に三人存在した。


 一人は“イフェ聖“主人公として自身の恋人候補へ熱い視線を向けるヴィーナス・フライトラップ。


 ゲームには登場せず、しかし誰よりも“イフェ聖”を把握している存在、アイリス・サングイネア。


 そして、アイリスの隣で将来自分を殺すかもしれない相手を見定める、“イフェ聖”における悪役令嬢シャギー・ソルジャーであった。


 アイリスと一瞬アイコンタクトを交わしたシャギーは、改めてゲームの攻略対象者である第一王子を観察した。


 壇上へと上る優雅な足取りからして高貴さが溢れ出ている。黄金が溶け出したような深いハニーブロンド、薄紫に見えて微かに淡黄が揺らぐアメトリンの瞳、クリームにバターを溶かし込んだような暖かな肌色。

 稀少な色彩を掻き集めて作り上げたような第一王子の姿は、数多の異国の王族の血が入っていることを体現している。かの悪名高きブラッドコレクターである公爵家にも引けを取らないだろう。


 イフェイオン王国はオーニソガラム帝国から独立して成り立った国である。帝国の配下にあった時代にはツルバキア=ビオラセアと呼ばれた地方は、その名の表す通り、ツルバキアとビオラセアという二つの領からなる地であった。

 ツルバキア領主が独立を宣言した際に力を貸したのがビオラセア領主であったソルジャー家だ。ツルバキアとビオラセアの二領は帝国からの独立を機として、イフェイオン王国というひとつの国を打ち立てた。

 イフェイオン王国の最初の王はツルバキア領主だったが度重なる帝国との戦いにおいてその血筋は途絶え、もともとツルバキアの有力貴族であったグランディフロルス家が王家となる。


 ビオラセア領主であったソルジャー家が王位に就かなかった理由としては、独立の主権を握っていたのがツルバキアだった為だと言われているが、政治力が弱かったせいではとシャギーは考えている。

 権力には興味を示さず、しかし先だって彼女の祖父であるベゴニアが起こした動乱の通り気に食わなければ王家にも従わない。それがソルジャー家の気質である。


 この地には周囲の国を侵略し膨張してきた帝国時代から、侵略した国の王女を権力者の妻に迎えることで領民の不満を鎮める慣習があった。

 それに倣い、戦争と婚姻によって領土を広げ平定してきたのがグランディフロルス王朝で、分家にあたるウィンターヘイゼル公爵家はいわば本家のやり方を手本にしたに過ぎない。途中からその目的が領地と権力の拡大ではなくなったようだが。


 それぞれの思惑が交錯する中、式は滞りなく進み、生徒たちは緊張に溢れていた講堂から解放された。


「あー、疲れた……」


 アイリスがげんなりと呟いて伸びをする。子爵家の令嬢としては些かはしたないかもしれないが、平民も貴族も入り混じった学園においては誰も気にしない。


 アイリスが10歳で貴族籍へ入ってから8年が経つ。本来なら2年前に入学している年齢だが、何せアイリスがこの世界で生きる目的は「最推しのシャギーの幸せを見守ること」である。まだ貴族の生活と教育を学び終えていないからと主張して、今年シャギーに合わせての入学となった。

 もともと彼女は王国の庇護下に置かれて、占いによって王国の危機を回避するという公務もある。子爵令嬢という枠を超えてかなりの言い分を通せるだけの実権があるのだ。


「どお? 目的はチェックできた?」


 アイリスの言う目的とは、シャギーを陥れる危険性のある攻略対象者達のことだ。シャギーはため息とともに首を左右に振った。


「あの空気でキョロキョロしてるわけにもいかないし、王子だけ」

「だよねえ」


 思った以上に厳格だった空気を思い出してアイリスも同意する。彼女の方でも第一王子しか見つけられなかったのだろう。


 もっとも、5人の攻略者の内カランコエとスパイク、そしてレオノティスの3人は既に旧知の仲である。今日初めて目にした第一王子のリナンサスを除けば、直接目にして居ないのは──


「どういうつもりなんですの!?」


 その時、二人の耳に女生徒の高い声が飛び込んできた。

 声のした方向を見遣ればどうやら中庭の一角らしい。シャギーとアイリスは顔を見合わせて、そろりとそちらへ移動した。


 校舎の死角となる壁際に、一人の少女が立っており、少女を取り囲むようにして三人の令嬢が詰め寄っている。


「あちゃー、ヒロインちゃん……」


 アイリスがボソリと呟く。二人とも、その少女のことはゲームの中でよく知っていた。イフェイオンの聖女、主人公のヴィーナス・フライトラップ。


「ご自身から殿下に話し掛けに行くとは、あなたはどういったご身分の方なの?」


 先程、声を荒げていたのは取り巻きの令嬢なのだろう。それを諫めて、落ち着いて貫禄のある声がヴィーナスを問い詰める。おそらく声の主は第一王子の婚約者、コロナリア公爵令嬢のアネモネ・コロナリア。ゲームにも登場したリナンサス王子ルートの悪役令嬢だ。


「学園は身分関係無いって聞いたもん!」


 ヴィーナスが唇を尖らせて抗議する。何だかゲームのヒロインとキャラが違うな? と、違和感を覚えながらシャギーとアイリスが見守る。


「あなた、リナ王子の婚約者でしょ? すっごく意地悪されたって言いつけるから!」


 アネモネの頬がひくりと引きつり、顔から表情が抜ける。初対面の高位貴族に対して啖呵を切った上に、王族への勝手な愛称呼びと、やりたい放題のヴィーナスを前にして、その気持ちはわからないでもない。しかし。


 表現を凍らせたまま、アネモネが、すう、と華奢な右手を持ち上げる。


(あ、打たれる──)


 そう思った時には、シャギーの体は反射的に動いていた。振り上げた右手を何者かに取られたアネモネが振り返る。


「どう言うつもりですの? どなたか存じませんけど、この不敬な娘を庇うつもり?」

「私が庇ったのはあなたです。彼女は──」


 シャギーはアネモネの耳にそっと口を寄せた。


「教会の保護下にある聖女です」

「──!」


 公爵令嬢だけあって王国の力関係は頭に入っているらしい。シャギーの耳打ちに息を飲んだアネモネは手を下ろした。

 取り巻きの生徒たちは何が起こっているのかわからず、オロオロとしている。そしてヴィーナスもまた、ポカンとするばかりだ。


「御礼を言うわ。あなたは?」

「ソルジャー伯爵家の者です、コロナリア公爵令嬢」

「え、でもソルジャー家には……」


 シャギーは人差し指を口もとに当て令嬢に沈黙を促した。


「事情はいずれ。そろそろ人が来ますから戻りましょう」


 シャギーはアネモネを促すとちらりとヴィーナスを見て去っていく。アイリスが慌ててその後を追った。


 アネモネとその取り巻きも居なくなり、一人その場に残されたヴィーナスは呆然と佇んでいた。


「何これ……」


 起こるはずのゲームイベントがキャンセルされ、頬を打たれることもなく、通りすがるはずの王子も現れなかった。そして正体不明の登場人物。


「なんかめっちゃイケメンの子に助けられちゃったんだけど、何これ!? 誰あれ!? いきなりの隠しキャラとか? 何これ!」



 驚きのあまりシャギーとアネモネの話が耳に入っていなかったヴィーナスが勘違いするのも無理はなかった。学園の制服を着たシャギーは、ブレザーにパンツスタイル。つまり、男子用の制服を着ていたのだから。


 戸籍や性別を偽るような大袈裟なことはしないが、深く関わらなければ男性として認識される。


 悪役令嬢としてのあれこれに巻き込まれない為、シャギーはゆるっと男子生徒枠で学園生活を送ろうと目論んでいた。







【植物メモ】


和名:ハエトリグサ[蠅捕草]

英名:ヴィーナス・フライトラップ[Venus Flytrap]

学名:ディオネア・ムスキプラ[Dionaea muscipula]


モウセンゴケ科/ハエトリグサ属

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