第42話 妹
ーお願い。間に合って……………。ー
「……ねぇちゃん………。」
「…………ごめん えこ。
そうだよね。…私がしっかりしなきゃ。」
電車を使ってやってきたこの土地は
どうやら地図によれば岐阜県のようだ。
不安で一杯だった。
お父様が襖をいとも簡単に蹴り破り、
思わず耳を塞ぎたくなるような凄い怒声を
あげながら家を出てからはや数時間。
私たちはこの土地の見知らぬ町を歩いていた。
腕時計は9時47分を指している。
いつもはこの時間まで寝ている妹の えこ も
お父様の怒声で起きたあと、私以上に怯えていたが、ついて来てくれた。
私は怖かった。
理由は分からなかったが、お父様がお兄ちゃんを嫌っていることには前からなんとなく
気付いていた。
それ故にお兄ちゃんは家出したんだろう。
お父様は、はじめこそ清々するといったスタンスだった。でも昨日の夜から様子が変わり始め、忙しなくどこかと電話しながらお兄ちゃんに対してであろう独り言を吐いていた。
「はぁ…鬱陶しいな………」
「なんでもてめぇの思い通りになると思っとんなよ。」
「…鬱陶しい………」
初めてだった。
お父様の口からそんな言葉を聞いたのは。
もしかしたらきっと、家出したお兄ちゃんが見つかったら叱られる程度じゃ済まされないかもしれない。
そう確信したのはその直後だ。
さらにその確信に拍車をかけることを聞いた。えこが言うに、お兄ちゃんはお父様から
日常的に暴行を受けていたかもしれないらしい。
それを聞いた時、私は電車の中で人目も
気にせずしゃがみ込んだ。
あんなに私やえこには優しいお父様が
いくら気に入らないとはいえ、お兄ちゃんには暴力を振るうのか。
そもそも、お母様はそれを知ってるのか。
私が最後にお兄ちゃんをちらっと見たのは
1ヶ月前。
お兄ちゃんは雑巾で拭き掃除をしていた。
……いや、させられていた。
蔑みや嘲笑ではなく、その目は死んだ魚
さながらだ、と思ったのをよく覚えている。
生きる意味なんて見出せず
無駄を自覚して息をする。
そんなワードを人にしたような、生気の無い顔をしていた。
あのままあの家にいたら、きっとお兄ちゃんは駄目になっていた。
お父様もお母様も、私とえこにとってどれだけ優しかろうが、お兄ちゃんに優しくないのであれば意味がない。
このままじゃお兄ちゃんが可哀想だ。
だからこそ何ができるかさえよく考えないまま、お父様が電話で誰かと話していた地名を頼りに、静岡から岐阜まで電車を使ってきたのだ。
しかし、わかってはいたがこれからどうするか、闇雲に町を歩いたところでお父様やお兄ちゃんの目印なんて無い。
しかも、あまり人目のある所に長時間居るのは危険だ。
「…あの子んた凄くない?」
「ね…。可愛いし、なんか神秘的……」
「不良?…姉妹………?」
私は頭から伸びる白髪を掻きむしった。
とりあえず駅前という比較的人の集まるスポットからは離れよう。
私はえこの手を引いて少し離れた通りまで
走った。
さて、これから本当にどうしよう。
もう冬が近いからか、
冷たくて鋭い空気が肺を凍てつけていく。
そういえばお母様にも黙って出てきてしまった。
仮にお兄ちゃんを見つけられないままお父様に見つかったら当然、なぜここに居て、なにをしているのかという話になるだろう。
私は震えている えこ の手をしっかり握って、少し走ることを提案した。
「お父様、黒い車に乗ってったじゃんね。
その車…探してみよっか…。」
えこは怯えながらも頷いてくれた。
「そういえばえこ…。」
「…なに?」
「今日はゴムじゃなくて
えこは珍しく簪で髪を整えていた。
私はそれに一抹の不安を感じたが、とりあえず考えないようにした。
時間を確認すると9時51分。
なんとなく10時までには見つけないとまずい気がする。
やがて歩いていただけの私達は地面を蹴る
スピードを上げていった。
どれくらいのペースで走ろうか、
そう考えていたその直後。
「……ねえ。」
後ろから男に声をかけられた。
恐らくは警察官。
それは目元に傷のある、少し青いような黒髪の男だった。
男が警察だと思ったのは、着崩しているとはいえ紺色の制服と帽子をまとっていたからだ。
なぜか……なんとなく……。
………本当になんとなく………。
彼の雰囲気というかオーラというかが、
私達と近しいなにかを感じさせた。
「……はい。」
私とえこは脇の下に汗をかきながら男を見上げた。
まずい。
警察が声をかけてきたとなると、十中八九
質問をされるだろう。
子供二人で何をしているのか、と。
受け答えを間違えれば全てが詰んでしまうかもしれない。
迷子でない事を表明しなければ。
最悪親を呼ばれる可能性がある。
しかしその警察が放った言葉は私達を唖然とさせた。
「…君らまさかウセンの子………?」
「「え…っ……」」
私も驚いたが、えこも驚いていた。
さっきまで震えで声すらまともに出なかった彼女は、ここでやっとハッキリ言葉を発した。
「………なぜそれを……?」
「そうです…なんで…………?」
ウセン…。
それはきっと…私達の実家である
なぜただの一般人が…そんなことを……?
そもそも、なぜあの神社のことを………?
不気味なことに、男はその質問には答えず
くくくと声を殺して笑っている。
「やっぱ史実だなあ…」
そう呟いたのを聞き逃さなかった。
私達は男を問い詰めようとした。
しかしきゃんきゃん騒ぐなと言わんばかりに手を顔の前で払う仕草をすると、突然
もったいぶった仕草で南南西を指差した。
「あっちの方向に、築の新しい平屋がある。
恐らく、見れば一発で分かるだろう。
そこに兄ちゃんは居るぜ。」
男はそう言った。
男の話の内容も突然で、突飛で、なにより
私達の一番知りたいことだった。
なんだか一生分驚かされたような気がしている。
夢を見ているくらいの感覚。
「ねぇちゃん…。」
「……うん…。」
えこが催促してくるので私達は男が教えてくれた方向へと続く道を行こうとした。
しかし、1つ聞いておかねばと思い
振り返った。
「あなたが何者かはもういいです。
せめてお名前だけでも教えてくださいませんか?。」
それに対して男は面食らったような顔をした。
そして考え込む素振り。
ずいぶんと熟考だった。
私は思わず急いでいることを忘れてしまっていたため、やっぱり聞くのをやめて立ち去ろうとした。
男が口を開いたのは、約20秒後だった。
「…目玉でかし…と呼んでくれ。
あ、いや、…やっぱ今のナシ。
そうだな…。
監視者、とでも名乗っておこう。」
そういう意味じゃなくて、
本名を言えって意味だったんだけどな、。
私は半ば苦笑にも似た笑みを作って頭を下げ、えこと共に駆け出すことにした。
それからどれだけ走っただろうか。
存外距離があるものだと思った。
そのうえ見落とした可能性も無いことはない。
しかも時刻はすっかり10時を回っている。
でも、とあるレンガの壁を曲がったとき…
「「…あ……」」
私たちの目に初めて平屋が映った。
監視者さんが言っていた通り、周りの古めの家とは一線を画す築の新しそうな目立ち具合。
無情にもその近くには黒い車が。
私達は目を見合わせて頷き、平屋に駆け寄った。
そこのドアが、もはや出入り口という役割
しか果たせていない無力の顕現のように
蹴り破られているのを認めて初めて、自分の口内が生唾を炊いているのに気付いた。
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