第43話 やっと会えたね
ー恐怖、怯え、焦り、怒り、……ー
様々などす黒い感情が目まぐるしく絡み合い、複雑な図形を構築したかと思えば消え、粒のように細かくなって、背骨を中心に
身体中を
蹴り破られたドアに掛けようとしている俺の手が震えているのは恐らくそのせいだろう。
木が棘を作っているところを避けながら、ゆっくりとドアを押す。
施錠部分が完全に破壊されているため
押しても引いても開くんだろうが
押したのに特に理由なんかない。
俺は殆ど放心状態だった。
早く凛央さんに会いたい。
このまま凛央さんの家にあがれば、恐らく
凛央さんがいる。
でもそれと同時に奴も居るだろう。
ガクガクカチカチ煩いほどに骨をぶつけ合う顎と、そこから吐き出される深呼吸のような俺の息遣い。
肺と腹が痛い。足はずっと震えていたが
その震えも一気に倍増したように思う。
俺には勇気が欠如していた。
奴と対峙し、凛央さんに会う勇気。
正直奴の顔は思い出しただけで吐き気を催す。
でも
これだけ恐怖に押し潰されそうになっていても鮮明に思い出せる凛央さんの屈託の無い
優しい笑顔は、今の俺が到底抱くに値しない
庇護欲と、ここ数日の感動を蘇らせた。
その2つを天秤に掛け、俺自身に問いかけるのには時間が必要だった。
裕美さんの協力があって…。
凛央さんに全てを委ねようとしていたあの
状況から、せっかくここまで来られたじゃないか。
それなのに、まさか彼女を助けない気か、と左翼の俺が偉そうに義理堅いフリをして
でもその一方で…。
俺がこのままのこのこ凛央さんと奴の前に
現れたところで一体全体何ができるんだ、と。
凛央さんは「私が何とかしてあげる。」と言ってくれたじゃないか、と。
右翼の俺が現実から目を背け、成り行きに
全てを任せる姿勢を決め込もうとしている。
誰でもいいから決断を代わりにしてくれと さえ思う。
「行け」と言われれば出たとこ勝負で立ち向かう無謀な覚悟はある。だが
「よせ」と言われればきっと躊躇無く退いてしまうだろう。
でもその直後、そんなんじゃ駄目だよなと
思い力無くしゃがみ込んだ。
俺はあることを思い出していた。
いつかの婆さんが俺に貸してくれた
緑色の手ぬぐい…即ちタオルのことだ。
俺は凛央さんの胸を借りて泣いた。
過去と生まれた環境が憎たらしくて、
外の世界の飯はひたすら美味くて、
腐っていると思っていた世の中でこんなに
優しい人に出会えたのが嬉しくて、
俺はおいおい泣いた。
そこで貸してもらったタオルだったはずだった。
そうだ。
凛央さんは言ってくれたじゃないか。
「それ、返しにまた来よ。」と。
彼女は俺に、未来の話をしてくれたじゃないか。
また2人であの店に行きたい。
あの店じゃなくとも、彼女の手料理でも
大大大大大歓迎だ。
凛央さんといろんな飯を食いたい。
また風呂にも入りたいし、出掛けたい。
願わくば一緒に暮らしたい。
彼女が許してくれるなら、その先だって。
思えば、俺はまだ何もしていない。
家出をして、凛央さんに事情を話しただけ。
そんな俺を…。
凛央さんは俺を元気付けてくれた。
凛央さんは俺を安心させるために、
俺と暮らすために、たくさん努力をしてくれた。たくさん笑わせてくれたし、たくさん感動させてくれた。
今だってそうだ。
何枚か壁を隔てた先で、俺のために俺の敵と
戦ってくれているかもしれない。
俺は自分という存在がひたすら情けなくて
ちっぽけなものだと改めて思い知らされた。
俺は凛央さんのために何かをしたか?
いいや、していない。
善意で拾ってくれた彼女を癇癪で殴り、
悩んでくれた彼女を身勝手に責め、
助けてもらっているという自覚も曖昧な
まま。
ある意味自覚が無い分、単純に態度が悪い
よりたちが悪いよな。
今までの俺は到底、彼女の優しさと金に
寄生していたに過ぎなかったのだ。
……。
そこからの俺は早かった。
唇を固く結んだと思えば、勢いよく家に
上がり込んでいた。
ひたすら凛央さんに謝りたかった。
そして
感謝を伝えたい。未来の話をしたい。
『大好きだ』と愛を伝えたい。
容姿だけでなく、内面も全て加味した上で
愛していると伝えたい。
でもまずは、俺も戦わなければいけない。
もう目を背けてはいけない。
一緒に飯を食って、料理もちょこっとした
キッチンのあるリビング。
そこのドアを勢いよく開けた。
「…………ッ!?…っな…なんっ…な…、
…な…なんでっ……………?」
……凛央さん。
やっと会えたね。
死人が帰るってきたかのような反応をするのは無理もないだろう。
彼女からしてみれば、上手く俺を奴から遠ざけたと思っていたに違いない。
もうヤなんだよ。
もう凛央さんに迷惑をかけたくない。
だからせめて、自分の決着は自分でつける。
「は?どういうことお姉さぁん。
…おるやん。なんなら来たやん。俺の息子。なんで知らんなんて嘘ついた?」
俺の予想通り、
ソファーには勝輝が鎮座していた。
いつもならてめぇには恐怖しか感じねぇけどよ。なぜか今だけは不思議とそれが薄れてんだ。
「俺はお前なんかの息子じゃない。」
勝輝はぎょろりと俺を睨んだ。
初めてだった。
こいつをお前だなんて呼び方したのは。
「なんやって?おめぇなんて言ったんや?」
勝輝は凄みを帯びて立ち上がった。
俺は思わず後ずさりしかけたが、俺がここに到着した事実に頭を切り替えたであろう凛央さんが、俺のすぐ横に来てくれたおかげで、たじろぐことも後ずさることもなく、俺は勝輝を睨み返すことに成功した。
…怯むな。
俺には凛央さんが居る。
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