第44話 死んでくれ
ー「…もう呆れて言葉が出ませえん。」ー
勝輝は徐ろにため息をついて、おどけたような気取ったような、気色悪い口調でそう呟き凛央さんを指差した。
…クソが。偉そうに指なんか差してんじゃ
ねぇぞゴミクソ野郎が。死ね。
「お前マジでどういうつもり?
出てった
こっちとしては訴えたってもええんやぞ。」
そしてクソ気持ち
俺はそれで怒りが沸点に達しかけ、怒鳴ろうとした。
しかしそれを左手で制した凛央さん。
その手は僅かに震えていた。
「……もう、やめにしませんか?」
予想外のセリフに驚いたのは勝輝だけではなかった。
俺も目を見開いて凛央さんを見上げた。
その直後
俺はさらに驚かされることになる。
彼女の目にはいつしかの、静かな怒気を
孕んだ確かな怨念が宿っていた。
「…のりおを、あなた方の元に帰す気はありません。ドアの件は目をつむります。
出ていってください。
そしてもう二度と、この子に関わらないで
ください。
…お願いしますっ。」
彼女は
しかし最後の〝お願いしますっ〟には
精一杯の葛藤が込められているような印象を受けた。
俺は例えどれだけ自分に非があろうとも、
こいつに頭を下げて謝るだなんてマネを
もう二度としたくない。
彼女も俺と同じような気持ちを持ってくれているようだったが、彼女は意地を張らず、
勝輝に頭を下げるということをやってのけたのだ。
それはきっと、なるべくこいつを刺激せず
穏便に主張を通そうという魂胆があるからだろう。
感情的にならず、適宜に上手くいなす。
やっぱ凛央さんは大人なんだな…。
俺はつい頭なんか下げることねぇよ、と
口を挟みかけたがやめておいた。
俺が勝輝を怒らせて、何もかも台無しにする理由なんて無い。
「で?」
それに対してやはり勝輝は餓鬼だった。
左頬を中途半端に上げ、明らか不機嫌そうな顔を作って凛央さんの発言を踏み
ゴミ野郎が。
皆目話し合う気がねぇなら喋らせんなよアホが。
「俺はそんなこと聞いてねぇんやて。
さっさと返せ。
そしたらすぐ出てったるわこんな気分悪いとこ。」
それでも凛央さんは退かなかった。
「…帰しません。」
「はぁあ?」
「絶対…帰しません…。」
どうやら勝輝は、こんなにも意志の強い人が俺を拾っただなんて全く予想していなかったらしい。
大方こいつは無理矢理自分の主張を通して
生きてきたんだろう。
意見を折衷せず、なにがなんでも自分の主張を10割で通そうと身勝手に振る舞い、そのうえで自分に非なんか無いと思い込んできたんだろうなと伺えた。
でも、かく言う俺も実は凛央さんを見くびっていた。
「自分の子どもなら、何をしてもいいんですか?」
「はぁ?」
「自分の子どもだからといって、本人が出ていきたくなるような環境で育てる親なんか、親失格だって言ってるんです。
私からのお願いは1つだけです。
もうのりおに関わらないでください。」
凛央さんは何度も何度も俺を守ろうとしてくれたし、救ってくれた。
そして今も、俺を
護ってくれている。
実は勝輝が口を開いて気色悪い雑音を発するたび、凛央さんがたじろいでいないかとビクビクしていた。
〝訴えたってもええんやぞ〟
勝輝がそう言った時なんて、この上なく肝を冷やしたものだ。
しかしその心配はもういらなさそうだ。
彼女の目が、それを保証してくれていた。
「はぁ?
そもそもなに人の子ども馴れ馴れしく呼び捨てしとんやて。
………鬱陶しいなてめぇ。」
はい出たお前の
お前は歳と図体の割に、
餓鬼でゴミでアホでクソだから
罵ろうとしても鬱陶しい以外の語彙がねぇんだろ?
最低最悪のゴミ野郎が。死ねよ。
「はよ返せ。」
「帰しません。出てってください。」
「うるせえ。返せて。」
「……、がぃ……ぃで……」
凛央さんが何か言った。
でも、それは俺にも聞き取れなかった。
「はぁ?なんて?」
やがて怒鳴り声とも表現できる凛央さんの
決して綺麗でない、かすれかすれの言葉が部屋に響いた。
かんちがいしないでっ
その時初めて聞いた。
凛央さんの荒々しい口調を。
「なんなのかえせかえせってっ!!
物じゃないんやて物じゃ!
常にアンタの思い通りになると思ったら大間違いなんやて!!!
今までアンタがこの子になにしてきたかはこの際どうでもいいわっ。
でも、
この子は帰りたくないって言ったのっ。
アンタのもとには帰りたくないって
涙流しながら私に打ち明けてくれたのっ!。
絶対帰さんつっとるやろうがあっ!
さっさと帰れよっッ!!
もうこの子には指一本触れさせんからっ!」
凛央さんは泣いていた。
泣き叫びながら、勝輝を睨んでいた。
そんな彼女の背後にいる俺。
凛央さんに護られているという実感が最高潮に達し、俺も涙を流してしまった。
彼女の背中はさながら、実の子を護る母親のようだった。
俺には無縁だった親子の絆とやらに似たものが、俺と凛央さんとの間に築かれているような感覚がして、さらに涙が加速した。
愛されてんだな俺。
そう思うと嗚咽が止まらなくなった。
「…急に叫ぶなや鬱陶しい。
いい加減にしろよてめぇ。」
「………………」
「………」
「………」
「のりお。」
「……なんだ…?」
凛央さんが俺の名前を呼んだ。
「前に言ってくれたよね。
…もう帰りたくない、って。」
勝輝が俺を見る。
「……うん。」
俺は頷いた。
「この子にはこの子の人生がある。
この子はもう帰りたくない。
なら、私はそれを尊重してあげたい。
アンタに口を出す権利はもうないよな…?
アンタのせいでこれ以上、この子が狂うなんて絶対に許さない。
だからお願い。
もう出てって。」
凛央さんの主張はずっと変わらなかった。
勝輝は顔を赤くして左手で作った拳を震わせていたが、やがてふーっと息をついて天を仰いだ。
「…気分悪い……」
それを諦めたと悟ってか、凛央さんはくるりと俺の方を向いて俺を抱きしめてきた。
「もう大丈夫だよ。」
あぁ…………。
終わった…のか………。
俺も彼女を抱きしめ返した。
彼女の心臓は、それはそれは激しく拍動していた。
凛央さんは巨乳だ。
それ故に、心臓の鼓動は乳房越しにしか捉えられないはず。なのにこんなにも鮮明に感じられるのは、彼女が超がつくほど緊張していた証だった。
それと同時に、そんな状況でも俺を護るために精一杯戦ってくれた証でもあるだろう。
もともと凛央さんは泣いていたが、俺が頭をさすると一層泣き出して目を閉じた。
泣きたいほど感謝したいのはこっちの方だよ。
そう思いながら俺も目を瞑ろうとした。
「………………?
………っ、おいっ!!?」
はじめから
分かっていたはずだった。
そもそも、凛央さんに抱きしめられて痺れた今の脳であったとしても、ちゃんと考えれば気付けたはずだった。
こいつがそう簡単に非や負けを認めるかって。
凛央さんは完全に勝輝に背中を向けていた。
俺と勝輝は向かい合っていたために、勝輝が右足を踏み出して、左足を浮かせたのをしっかり認識した。
でも、俺は反応が遅れた。
「ッッ!!?………、………っ…………」
「…あ………っ…りおさ………」
まず、俺の鼓膜は鈍い音を捉えた。
その直後、凛央さんが倒れ込んでくる。
勝輝は、凛央さんの無防備な背中に鋭い蹴りを入れた。
「…何終わった気でおるんやて。
てかそもそもてめぇも餓鬼やろうが。大人に逆らうんじゃねぇよ。
…おら。行くぞ。」
そして俺の腕に手を伸ばそうとしてきた。
でも、俺は顔色一つ変えずその手を振り払った。
「…おい。なに?てめぇもまだ抵抗すんの?」
抵抗云々じゃない。
凛央さんが言っただろ。
二度と俺に触れさせんって。
俺のことてめぇに触れさせたら、そんな凛央さんの決意を
理由なんかそれだけで十分過ぎる。
俺の頭は既に使い物にならなくなっていた。
こんなにも激しい怒りに満ちたことのある人間なんて、この世に両手で数えられるくらいしかいないのではないか。
…いや、誰もこんな経験無くていい。
こんなにも激しい怒りを抱くことなんて、もう俺だけでたくさんだ……。
体が熱い。
体の中の水分が全て蒸発してしまったのではないかと思うほど、体中の全てがカラカラだった。
「はよ行くぞて。」
「……」
「………おい。」
「………」
勝輝は息をついた。
そしてうめき声をあげながら床に頬を擦りつけ、痛みに悶える凛央さんに唾を吐いた。
俺はその一瞬の連続を、まるで写真のように言葉にできない気持ちで見ていた。
「あああああ!!!
このクソ女のせいでえ!
てめぇはもっとイかれてまったなぁ!!
あああ!クソ女が!!!!
鬱陶しいなぁ!!!」
そして
凛央さんの横腹を思い切り蹴飛ばした。
凛央さんはそれを受けても声を出すことは無かった。ただ力無くうずくまっただけだった。
俺は、えらく酷い無気力感の中で、表現を変えることも、何かを考えることも、何もかもを止めた。
そして、どっさりとその場に座り込んだ。
……ごめんなさい。凛央さん……。
辛うじてそう思うことはできた。
やってしまった。
結局一番やってはいけない展開だ。
凛央さんも、きっと後悔している。
俺を拾ったことを。
無論、俺も後悔している。
それと同時に、凛央さんを巻き込んだ俺を何よりも強く恨んだ。
まず、頭を思い切り地面に叩きつけた。
そして、自分の首に手をかける。
でも、それより前にすることがあるか
と思い直し、ゆっくり立ち上がった。
「………あ?」
俺はその場で1メートル飛んで、勝輝の顎に回し蹴りをぶち込んだ。
そして自分でも驚くくらい強い力で握り拳を作り、尻餅をついた勝輝の頭を殴った。
今度は癇癪なんかじゃなく、
純度100%の怒りで殴り続けた。
やがて勝輝の血と俺の爪が掌に食い込んで出た血との区別がつかなくなってきた。
それを勝輝の着ていた柄シャツでねたぐって、今度は足蹴にしてやることにした。
きっと初めてだろう。
人から殴る蹴るの暴行を受けるのは。
でもまぁ、死ぬまでせいぜい味わうといい。
俺が今まで食らってきた分。
そして、
俺の
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