第25話 いかれてる
ー俺が思わず上げた感嘆に
凛央さんは薄く笑った。ー
この、ろけっと が力無く落ちていく様は
無力の顕現とも言えるのではないか。
…月…?太陽?はたまた別の惑星…?
そんな想像を促す神秘的な球体と ろけっとが重なり、日食のような現象が起きている。
そして着目すべきは
絵を見るなり忙しなく目に飛び込んでくる
二つの要素。
搭乗している人間が死ぬかもしれない、
そして絵の配色が全体的に暗い。
そんな絵の雰囲気が醸し出す
そんなことは知らないといった具合に、
まるで刻一刻と増していくかのような。
球体が纏う無限の青白い
陰りを殺すでも、輝きを殺すでもなく、
極限まで研ぎ澄まされた闇と光が両立されており、絵の完成度と魅力が膨れ上がっている。
よく見ると真下は黒い大海。
そこから死装束を彷彿とさせる細くて
しなやかな、無数の人の手が伸びている。
まずい、堕ちたら最期だ。
直感的にそう悟った。
まさかと思い、絵の上側にも着眼してみる。
するとやはり、上、すなわち天からも
無数の手が伸びているのに気づいた。
お、この手に誘われれば助かるのか。
まだ助かる可能性があるのか。
そんな希望も束の間。
あ………。
絶句させられた。
天から垂れる蜘蛛の糸の如き手も
よく見ると大海から伸びているのと何も
変わらない、生気の無い死人の手だった。
上に誘われようが下に誘われようが関係
なんてなかった。
この ろけっと は打ち上がったが最期。
搭乗した人間諸共終わる運命だったのだ。
「おーい…ーーおーー…」
「…のーおーー?」
「のりおっ。」
はっ……!
っ…はっ………はっ……、…。
気付けば
凛央さんが俺の手から携帯電話を
取り上げているところだった。
「……まさか演技じゃない…?……、
………本気でコレに見入っとった?」
「………はっ……っうんっ…………。
なんかぁ……っすっげえっ絵だぁな……。」
俺は完全に語彙を失っていた。
語彙というより、言語能力を失っていた。
「答え合わせ…。答え合わせをしてくれ…。
これは…一体どんな絵なんだ……?
だ、題名は………。」
変な汗が止まらない。
「落ち着いて。 大丈夫? のりお…。」
「あぁ…落ち着いてるすごく落ち着いてる。だから頼む早く題名だけでも教えてくれ。」
脳味噌が自分のものじゃないみたいだった。
この絵に洗脳されている気さえした。
その表現はあながち間違いではないのかも
しれないが、そんな非論理的なこと…、
自分事ながらにわかには信じることができなかった。
やがて凛央さんが口を開く。
く、くる…。
まるで壇上の幕が開き、心待ちにしていた
劇が始まったかのような高揚感が
全身を鋭い稲妻のようにして駆ける。
「〝
…………………そうか…………。
点と点が繋がり、至極の快感が脳を浸す。
これは…赦しか…………。
寛恕。
それは 広く寛大な心で許すこと を差す。
死は救済である。
きっとそんな思想を体現した絵なんだ。
このろけっとに搭乗した人間は悪人なのかもしれない。
前科者というわけではない。
いや、もしかしたらそうかもしれないが…。
ろけっとに搭乗するにあたって着用する
宇宙服。
あれはこの世に数えられる程度しか無い。
その宇宙服をめぐって、あるいは宇宙へ発つ過程で、誰かを蹴落としたり貶めた人間が、このろけっとの搭乗者なのかもしれない。
もしかしたら、自分より有能な者を殺したりしたのかもしれない。
いわば
そんな可能性が考えられる。
そんな物語を想像した。
しかし死は救済であるというのがこの絵の
趣旨なんだ。
死はどんな罪も人間ごと消し去る。
苦しみや痛み、悩みや悲しみ。
その一切を消し去ってくれる唯一の救済。
俺は死にたくないからそんなの馬鹿げてると思うが、そんな考えに頷く者はいても不思議じゃない。
そんな気付きを得た。
〝寛恕〟か………。
俺は何度も何度も反芻した。
「……やっと落ち着いた……?」
「……………うん………。悪かった…。」
心配そうに俺の顔を覗き込む凛央さんの顔がよく見える。
あっちからこっちに戻ってこれた。
そんな不思議な感覚がした。
「……この絵の現物…見れねぇのか……?」
俺の絞り出すかのような問いに
「買ってくれたのは個人やからね。
その人の家にあげてもらわんと見れへんやろうね。売り物とかに出れば別やけど…。」
と答えた。
それを聞いて俺は憤慨した。
「は?
あんな凄い絵を手放すなんてありえねぇ。」
でも、凛央さんはあのろけっとのように
力無く、笑みを浮かべるだけだった。。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど
別に私は自分の描いた絵を
売られようが破かれようが構わないよ。
価値を見出して、お金出して、
わざわざ買ってくれたんだから。
買い主がどうしようと勝手でしょ?
絵は生き物じゃないんだから。」
…確かに彼女の言い分は的を得ている。
描いている作者がそう言うんだから、きっと彼女の言ったことが正論なんだろう。
でも。 だったら、そう俺は言って
「…俺があの絵……買いたかったな……。」
と本心をさらけ出した。
欲を言えば〝なんで俺だけ〟も、
この〝寛恕〟も、欲しい。
しかし〝なんで俺だけ〟も既に売れてしまっているだろう。
俺よりあの絵を愛せてない人間の手に渡っていると決めつけて考えると、やるせない怒りさえ覚えた。
しかしここで
凛央さんは俺の頭に手を乗せてくれた。
まあまあ、
「写真でよければアンタの分くらい焼いたるやん。」
そんな提案をしてくれた。
「それにアンタじゃあの絵は買えないよ。」
「……え?」
絵が買えない…?
どういうことだ…。
話が見えてこないぞ…。
「私の絵ってさ。たんまぁ〜にだけど
ありがたいことにオークションみたいな
感じで競りにかけられることがあるのね。
そんときは1番高い額提示してくれた人に
買ってもらうんやけど。
〝寛恕〟は330万で落ちたんだよ。
酷なこと言うけど、一端の子どもじゃ
こんなアホみたいな大金用意できんやろ。」
俺は耳がいかれたのかと思った。
さ…さん、びゃく…?
「…ホント、イかれてるよねぇ…。
……………私…お金怖いもん。」
凛央さんは呟くようにそう言って
こんな話を明かしてくれた。
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