第52話 かぞく


ー「おー。…ちゃんとヤれたー?」ー



ホテルは凛央さんの家から二十分弱離れたところだったということもあり、結局裕美さんに迎えに来てもらうことになった。


監視者は迎えを寄越すと言ってくれたが、きっとまた部下を走らせるに違いない。

本人が来ないなら部下も災難だろうということで、申し訳ないが裕美さんに頼んだというわけだ。歩くには寒すぎるしな。


部屋を出て受付のあった大きな場所に戻り

凛央さんが手続きをしている間に、裕美さんはやって来た。


「お、お疲れ様です…。」


「ふん。凛央のためなら喜んで走るけどさ、

クソガキ。アンタは私に言う事あるよな。」


「…はい…。すいませんでした……。」


「まじでさあ。1時間以上待ちぼうけすることになるなんて思わなんだわ。凛央とのハメ撮り動画で手ぇ打ってあげるわ。ほら。」


「は、はめ…どり?」


「? まさか撮ってないとか言わんよね?」


…なんだ〝はめどり〟って。鳥か?

…旨い鳥か何かなのか?



ここで凛央さんは戻ってきた。

その顔には心底の申し訳なさが籠もっていたように思える。


「ご、ごめんね裕美。なんかお願いある?」


「うーん。……私もヤらせて?」



……こりゃ実はヤってないって言ったところで信じてもらえるか怪しいな。

てか裕美さん本当は男とか言わねぇよな?


「…み、ミスドでもいい?」


「………………………まぁ良し。」



こうして凛央さんは〝ミスド〟に守られた。

外に向かって歩き出す二人に着いていき、さっきも乗っけてもらっていた白くて四角い車の後部座席に乗りこむ。

置いてあった透明の傘を踏まないように気を付けながら、固まった足を床につけた。







☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





そして何度かの右左折を繰り返して。

やがてすっかり見慣れた平屋が見えてきた。


懐かしさのような安心感がこみ上げてきたのを認めながら、車のドアを開ける。


「…じゃあね。凛央、のりお君。」

「…はい。お世話になりました…。」

「うん。ホントごめんね。」


裕美さんはここで何故か笑みを浮かべた。





「…なんか二人………似合うよな。ムカつくけど。」



「「?」」


俺も凛央さんもキョトンとした。

……似合う?



「ふふっ。忘れて忘れて。あ、ミスドは忘れんでよ?」

「うん。…オールドファションやんね?」

「分かっとるやぁん。後はセンスで頼むわ。」

「…何持ってっても喜ぶ癖に。」

「はー!?誰が扱いやすい女やて!!」

「そこまで言っとらんわ。…ありがとね裕美。」

「はいよっ。またね。」




裕美さんは最後に俺に笑顔で舌を見せつけて去っていった。

凛央さんと一緒に、その車が小さくなっていくのを見守った。




「…ありがとう裕美。」

凛央さんは独り言を言った。


「よっぽど仲良いんだな。アンタら。」

「まあね。伊達に十幾年付き合ってないから。」


そう言った彼女の顔は笑っていた。

有り難みを噛みしめるような、柔らかい笑顔だった。


「…家入ろ。」

「おう。」


そうして、俺達は何事もなかったかのように門の役割を全うしている直されたドアを開け家に入った。


「………まじで直っとんね。

家具とかも……まさか…新調されとる…?」


「そりゃ流石にねぇと思うが……。

…………すげぇ木の香りがするな。」


地面に赤いペンキをぶちまけたみたいに飛び散っていた血が跡形もなくなっているのは勿論、どんなカラクリかは知らないが家具も新調されたのではないかと思うくらいに、元通りになっていた。


「業者ってそんな凄え集団なのか?」

 「いや、そもそも小1時間でここまでキレイにできるってなかなかの離れ業やと思うけど……。ホントに腕の立つ人たちやったんやろね。」


「……まぁ良いか。」

「………そうね。考えても推察の域を超えることはできんしね。」


俺達はまるで時間が戻ったかのような雰囲気のリビングを見回しながら、部屋着に着替えた。


「のりおー。何時ー?」

「…三時前だな。」

「そっかあ。…ほんなら昼寝でもしよっかなあ…。」


凛央さんはソファーに寝転がると、手を伸ばして小さいもこもこの布団を広げた。


「……のりおも寝とく?

てかご飯食べやあよ。そういえば。」

「んー。また気が向いたら食うよ。それよか俺は寝ない。なんとなく起きてたいんだ。」

「…ふーん。わかったあ…。」


そして大きな欠伸を一つして、彼女は目を閉じた。







……………………やっぱ美人だな。


彼女の寝顔を眺めるのもほどほどに、俺はこの部屋の棚を目指して起き上がった。

目的のものは前と変わらない位置に置いてある。

凛央さんの絵集だ。

これが見たくて仕方がなかった。


凛央さんが眠っている今、これを見て他に凛央さん成分を補給する手段はない。


…なんか裕美さんに似てきたかもな。

だなんて思いながら、俺は蟹の絵、もとい『なんで俺だけ』のページを開いた。


確か時計塔の絵まで見たんだったな。


次のは………………………、…………………















俺は全身の鳥肌が立っていくのを認めた。



なんとなく絵の時計塔の時刻を見たからだ。


その絵で刻まれている時刻は三時二分。

写真越しにも分かるくらい鮮明に描かれているため、分単位で時刻が分かる。










この部屋の時計が指し示す時刻三時二分を示していた。



単なる偶然だとは分かっていても俺はより

一層、凛央さんの絵を神秘的な物に感じざるおえなくなった瞬間だった。





俺は凛央さんの顔を再び見つめた。

凛央さんは口からよだれを垂らしながら既に爆睡していた。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆






こうして三時間が経った。





「…………………………ぬぅ、………」



俺は首に柔らかいものが当たる感覚を覚えながら目を覚ました。

…どうやら寝てしまっていたらしい。

床に寝そべって。


…しかし、床にしては柔らかく抱きとめられている感覚がある。


床ではなかった。

俺はソファーに寝かされているのだった。


恐らく床で寝てた俺を、いつの間にか起きた凛央さんがソファーまで運んでくれたものと思われる。


…また迷惑かけちまったかな………。



もうすっかり外も暗くなり始めていた。

それに伴って電気のついていない部屋もそこそこ暗い。

夕方を少し過ぎたくらいの時間帯なのだろう。


…それよか凛央さんが見当たらない。

「……凛央さん…」



俺はかけられていた布団を畳んで、リビングを出ることにした。向かったのは昨日の夜に凛央さんが寝ていた部屋。しかしここにも彼女は居なかった。


「……?」


そうして結局リビングに戻ってきた。

そこで俺は、なんとなく部屋が廊下より寒いなと感じた。

よく見ると引き戸が空いている。

外の庭と部屋を繋ぐ引き戸だ。

そこにかかっているカーテンの隙間から服の柄が見えた。




凛央さんはそこに居た。

まだ長いタバコを指に挟みながら、空を見上げていた。






「凛央さん…」

「おはよー。…結局寝たんだねのりお。」

そう言って凛央さんは笑った。



「ん……。すまねぇ。」

「んーん。謝ることなんかないよお。

あ、ソファーに運んでくれてありがとってこと?」

「あぁ。」

「ふふふー。どういたしまして。」

凛央さんはまた笑った。











凛央さんの笑顔って……ホントに可愛いな。








 


そんな情に浸っている俺をよそに、凛央さんはタバコを灰皿で揉み消しながら口を開いた。



「のりお。」

「……ん?」

「のりおはさぁ。…丸くなったよね。」

「……おう…。自分でもそう思うよ。」


何度も言うようだが、家出してきた二日前から今にかけてが、これまでの人生で最も色濃い時間であると自信を持って言える。


「でも、それは凛央さんのお陰だよ。」


俺も俯いて笑ってみせた。



凛央さんはそれを見て目を細めた。



「のりおの笑顔っ…眩しいよう。」

「それ俺のセリフな。」




「ふふふっ。」

「あははっ。」

 







…やべえ。……凛央さん……大好き♡





俺は胸がきゅんきゅんするのを抑えながら、凛央さんと笑った。


こんなにも素晴らしい人が、俺のそばで笑ってくれている。これからは、こんなにも素晴らしい人と暮らしていける。



そう考えると10割イメージしきれていないはずの未来にも関わらず、絶大な期待と幸福を感じざるおえなかった。



しかもここで



凛央さんがこんなことを言った。














「もう私たち…ってことでいいのかな?」





























「わぁッ!!どしたの?!」












「あ゙ああああああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ああ゙あ゙あ゙あ゙!!」


  





俺は

堪らず凛央さんに抱きついてしまった。


親指の背爪くらいあるのではないかと思うほど大粒の涙を流しながら、かすれかすれの大声をあげて泣いた。















なんて、








なんてあったかい響きだろうか














言わずもがな、俺は家族が嫌いだった。


…無視されるし、


…殴られるし蹴られるし、  


……助けてくれないし、








…………俺を一人ぼっちにする。







家族という存在がどれだけ価値のあるものか知っている人間が、果たしてどれだけ居るだろうか。


家族だから、という理由で親子間の扱いや態度を雑なものにし、関係に甘え、関係を軽視し、関係を飽食する。そんな人間の

どれだけ多いことか。










贅沢なんだよ。






汗水垂らして働いた金で飯を食わせてもらえて、あったけえ布団と屋根の下で寝かせてもらえて、学校にも行かせてもらえて、その上娯楽まで用意してくれて、何より愛を注いでくれる。




それ以上に何を望むんだよ。






俺は、

いろんなものを、

特に愛を、



与えてもらえなかった。






普通と呼ばれる家庭が羨ましかった。





だからこそ、家族という言葉が嫌いだった。



 




でも、それと同時に憧れてもいた。

家族という関係に。












だからこそ、凛央さんがという言葉を使ってくれて、滅茶苦茶嬉しかった。




大いなる幸せを感じた。





 



深い愛で満たされたような気持ちになった。






「…………俺らは……家族か……。」

「………」 









「家族って…………………最高だな。」














「…のりお。」

「………ん…?」



「歓迎パーティーしよう。」

「…………え……?」






「のりおを私の家族に迎えるパーティー。



…結局昼カップ麺食べとらんやろ?

美味しいもん、いっっぱい買ってこよう。





…ほら、行くよっ。」




凛央さんは俺の手を握って立たせてくれた。






立たせるだけなら恋人繋ぎじゃなくてもいいのにな、と言うと、



悪戯っぽく笑っていた。

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