第30話 今の私が好き

ー俺は暫く凛央さんの話を聞いていて

     夢のような話だと思った。ー


絶望に浸った人が立ち直っていく様。

凛央さんの言葉。

泰治氏の葛藤。

そのどれもが想像に易い

ありそうで残酷 つ、夢のような現実の話。


「で、絵も渡したしもう帰ろうと思って

病院出て、原付き乗ったのね。

…聞いてる?のりお。」


「おん。聞いてるよ。」

しまった。少しぼけっとしてしまった。



「そしたら後ろから 画家さんっって呼ばれてさ。振り返ったら泰治さんが立ってたの。

どうしたんですかって聞いたら、少し時間をくれないかって言われてね。1時間くらい後でその病院の近くの喫茶店で待ち合わせしたんだ。



さすが仕事人だと思ったね。

泰治さん予定より10分くらい早く喫茶店来ててさ、なにやらそれっぽいアルミケース持ってんの。

私が飲み物注文するなり周りをちらっと見て、泰治さんケース開けたんだけど、……

…何入ってたと思う?」



凛央さんは力無く笑って俺を見つめてきた。

正直検討がつかない。

あるみのけーす…けーすってのは入れ物だろ。…なにか価値のあるものか…?


「…金か?」

「せーかい。いくらやと思う?」

凛央さんは、少しだけさっきより明るく笑った。

嫌な質問だな。答えにくい。

上過ぎても下過ぎても良くない。


「分からねえ…けど、百万くらいなら封筒に入るんじゃねぇか? …多めに考えると…

二か三じゃないのか?」



凛央さんの目を見返す。

すると彼女は襟足を指で弄びながら、おもむろに立ち上がった。


「ちょっと待ってて。」 

そう言うと部屋を出ていった。

……何が始まるんだ…?

………まさかそのけーすを持ってくるん 

じゃないだろうな。





しかし本当にそのまさかだった。

予想より少し小さな鈍色にびいろの丈夫そうな箱を手に、凛央さんは戻ってきた。

それを俺の前に置くと、がちゃっと音がするなり、一切の迷いなく蓋を開けた。

「はい。ーー円。」





「え…、」
















俺はまたしても耳がいかれたと思った。


凛央さんの告白に絶句させられてばかりじゃねぇか。

絵といい墨といい これといい、凛央さんは

どんだけ色んなもんを持ってるんだよ。

「信じらんないでしょ。これで1億円。」



あるみけーすに入っていた万札はおびただしいほどの量で、彼女の言う一億というのが、間違いないだろうなと思わせるほど、万札の山には存在感があった。


「泰治さんも泰治さんだよ。


〝これは智和を育てるために貯めていたお金です。全て差し上げます。〟

だなんてエグいコト言い出してさあの人。


智和くんの今後に…。治療とか、遊ぶためとかに使ってあげればいいじゃん。

でも、それは事足りてるんだって。

あ、凄いお金持ちなんだなって思ったけど、

でも当然そんなん受け取れるかって言ったよ。当たり前。

あの時は確かに1日1食生活とかするくらいめちゃくちゃお金困っとったけど、こんな

悪い事しな手に入らんような額、一端の

凡人が持っとって良いワケないからね。




でも、やっぱイかれとんのはお金と私でさ。


あぁいや、

誰だってこう思うのはしゃーないとは思うけど…。

断りつつも、人からこんな額譲り受けるのは人道に反するでアカンやろって分かっとっても……。やっぱり腹の底じゃ 


もしこれが手に入ったら…

 


だなんて俗なこと考えちゃうわけよね。」


彼女の言葉には有無を言わさぬ説得力があった。俺も彼女の立場になって考えた。

確かに、相手が是非とするなら、相手の益に一枚噛んでいる俺が貰っても、文句はあるまいと思うかもしれない。

俺は黙って頷いた。



「…そうだよね。

やっぱ…私は抗えんかった。

 

絵も描きたかったし、赤福云々思っといてなんやけどしっかりご飯も食べたかったし、エアコンも欲しかったし、キャバクラで働きたくもなかった。 


泰治さんが

〝貴女が智和に希望をくれたんだ。

貴女がいなければ、私は智和さえも失うところだった。これは私の誠意なんだ。〟

みたいな事言ってくれたのが…決定打になって、貰っちゃっても…良いんじゃないかって

気持ちが…おっきくなっちゃったんだ…。」



彼女の言葉は徐々にぽつりぽつりと間隔が

長くなっていき、やがて息をついてうなだれた。


「………忘れもしないよ…。


1億背負って絶好調うはうはでさ、私…アホみたいに浮かれた。


万札で200円くらいの切符買って、

5000円札で赤福4箱買って、

そんでも9999万以上残っとって、


昼ご飯は万札眺めながらスーパーで買った

お弁当食べて、

夕方にかけて録画してあったアニメ見ながら赤福二箱食べて、

キャバクラには日給も要らないからもう辞めるって電話して、

夜は引っ越すための物件と万札眺めながら、

テイクアウトしてきた、今までの私じゃ絶対頼まなかったであろう、いちいち高い中華料理食べて、

まだまだ醒めない興奮と火照ほてりを帯びたまんまお風呂入って、

風呂上がりにも赤福食べて、


死ぬほど贅沢したんだよね。

次の日もその次の日もって、結局1日1万

くらいのペースで食べて寝て遊んでって暮らしてさ、絵も描かなくなっちゃた。



あーあ、みっともないな


って今でこそ思うけど、それに気付くのに

当時の私は1ヶ月もかかっちゃった。

まぁ気付くっていっても痛い思いして

気付かされたんだけど…。




それからはその1億を拠点にして、

売れる画家で、怠けない人間で、

浜岡凛央という個人でいるために、努力

したんだ。

墨入れたのもその時期かな。」


凛央さんはここで服をめくり、左肩に彫られた薔薇をじっくりと撫でた。


「この1億は、そうこうして私が絵で稼いだ

お金で修復して、取っておいてあるの。

ありがたいことにそれから3年くらいで

私の名前も売れてきてね、

この1億に加えて1000万円。

絵で貯金できたってタイミングの半年前、

ここに引っ越したんだ。」


凛央さんは木製の天井を見渡しながら

感慨深そうに言った。



「……言ったでしょ。…お金怖いって。

敢えて反感買う言い方するけど、もう私に とって300万程度は端金はしたがねなの。

だから、〝寛恕〟とかは例外としても、普段は一生懸命絵を描いて、500円から売ってる。もうお金に固執したくない。

贖罪しょくざいとか…そういう意じゃなくて、私の絵を愛してくれる人が求めやすいよう、願ってのこと。

私の絵で誰かの心に何かを響かせたいって、アーティスト精神で活動してるんだ。






だから私は、今の私が好き。


自信を持ってそう言える。この1億で、

いつか私にご褒美をあげるの。」






彼女は薄く笑って、俺の目を見つめてきた。

凛央さんが凄え人だなって、改めて気付か

された瞬間だった。


俺は彼女に言った。

「あんたはすげえな。」




凛央さんは にかっと、

嬉しそうに白い歯を光らせた


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る