第29話 祝福

ー「これ、お姉さんが描いたんですか?」ー


智和は震える声でそう言った。


こんなにも美しい色を、作品を、

彼はこれまで見たことがなかった。


そもそも絵に関心が乏しかったのは事実だったが、好きなキャラの絵ともなると話は別だ。心の底から素晴らしいと感動していた。



事実、凛央の目論んだ通りファンなら

総じて納得するであろう最高の出来だった。


武器が纏う鮮やかなあかと、マントのように装甲を装飾するモビルスーツと宇宙の奥ゆかしいこん

智和は目を見開いて、暫くそれに見入った。




「気に入ってくれた?」

わざわざ聞かずとも答えは分かっている

だろうに、凛央は智和に聞いた。


「……はいっ……。すごいです………

………………………、………………。」





「智和………。」



泰治はゆっくり立ち上がって

智和を抱きしめた。



智和は涙を流していた。


 


もう何があっても嬉しいだなんて思えない。

もう何があっても感動できない。



自分の死期が近いことを悟っていた智和は、

ここ数日の父親の、焦るような反応を見て

未来が無いことを確信していた。

いつ死ぬか分からない命。

そんな気が気でなくなる体で生活なんか

できやしないと思っていた。


 






泰治も涙を流し始めた。


男手一つで育ててきた、たった1人の家族。

かつては太田泰治にも、妻と娘が居た。



娘は交通事故により、まだ幼稚園さえ卒業

しないうちにその短過ぎる生涯を終えていた。


 

娘が欲しかったという彼の妻はショックで

精神を病み、終いには行方をくらました。

家から少し離れたところにある樹海には

それ以来なんとなく近寄らないようにしている。




智和だけは守ろうと。

泰治は必死に努力をした。


智和が行きたい、やってみたい、

そう言った事はなんでも叶えてやるため

仕事も頑張った。

いつか智和と、泰治の生まれ故郷である

北海道で旅行をするのが密かな夢だった。


毎週3日は休みをとって、なるべく智和と

居られるようにした。



その結果がこれかと、彼は神さえ恨んだ。



神様。

どうか智和幸せにしてやってください。




何度それを先祖の墓や神社で願ったか

まるで覚えていない。


まだまだ60年、70年という

自分が生きてきたより長い年月を過ごせる

はずだったのに、なぜ智和だけがこんな目に遭わなければいけないのか。


罪は無いと当然分かっていながらも

智和と同じぐらいの他の子供を見るたび

泰治はやり場のない怒りに溺れかけた。

 





どいつもこいつも

未来があるだけマシじゃないか。





彼は企業の重役ということで、金銭は正直

有り余っていた。

泰治には趣味といった趣味もなく、ただただ生活費を差し引いた給料が通帳へ貯まっていくのを眺めるだけの日々。


息子だけが、彼の生き甲斐だった。





金なんか要らないから


せめてもっと智和と一緒に居たかった。





「父さん……俺……。」

「……あぁ…………。」



「俺、もう長くないんだよね。」


智和は泰治に聞いた。


「…………………あぁ…。」

嗚咽混じりに泰治は、智和に伝えた。


「……あと半年だ……………。」





智和は息をついた。


凛央は太田親子をずっと眺めていた。






しばらくして、

「…絶対に、もう半年しか生きれないの?」

息子は父親に聞いた。




凛央は見た。

彼の目に生気が宿っているのを。

泰治もぼんやりとではあるが、息子が幾分

元気を取り戻した事を察した。 


「…………………。」

「……何か方法はないの………?」

「…………………。」


泰治は真剣な息子を見て助けてやりたいと

改めて強く思った。

しかしまだ手立てがあるのか、彼には

分からないかった。








「………俺……まだまだ生きてたいよ。」








泰治は智和に近づいていき、手を握った。






「………探そう。

 お医者さんに相談してみる。

  ……俺は…………絶対に諦めない。」



泰治が覇気の籠もった声でそう言ったのを

聞いて安心した智和は、力強く笑った。

そして、凛央の方を向いた。




「お姉さん。 ありがとう。

あなたの絵を見て、生きる希望が芽生えました。ガンダムが一層好きになりました。

これから映画もやるだろうし、僕は死ねない。いや、絶対死なない。

……あなたと父のおかげで僕は幸せです。」



死ねないを死なないと言い換えたところか、

はたまた彼の希望に満ちた表情でか、

それよりもっと前の、生きる希望が芽生えた

という言葉でだろうか。

 


泰治はおいおい声を上げて泣きはじめた。


その泣き声が響くなか、凛央はこう言った。

「まだ死んじゃだめだよ。」




 

その言葉に智和は気付かされた。 


これまでは、病気という抗いようの無いものは、自然や災害のように絶対なる存在で、

目を付けられたが最後、理不尽に心身を

蝕まれる死神のようなものだと思っていた。


しかし、病は気からという言葉がある。


まだ諦めなくていい。


病気が死神だったとしても、

生か死かを決めるのは自分なんだと、

その余地があるんだと、

生きるのを諦めない権利はあるんだと、

そう気付かされた。



俺には父さんがいるじゃないか。

情に厚くて優しい、大好きな父さんがいる

じゃないか。

俺はひとりぼっちなんかじゃない。


そう思うと勇気と涙がこみ上げてきた。








凛央はお辞儀をして、静かに病室を出た。


泣き合いながら愛し合うあの親子を

心から祝福しながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る