第27話 大人の目にも涙

ー雨音が途絶えてきた頃ー



それまで名だたる楽団の指揮者が繰る指揮棒のように踊っていた凛央の筆も、止まりつつあった。


時刻は9時半。

いざ書くとなると止まらなくなってしまい

細部の造形までしっかりと調べ、ガンダムを毛ほども知らない彼女でも興味を惹かれるほど、上手く絵を仕上げることができた。


名古屋までは片道2時間かなぁ。

凛央は絵をラッピングし、もう5年近く愛用している青いリュックに詰めた。

一応レインコートも持っていこう。

あとサイフ、それとゴムも……。


当時の彼女は腕をだらりと下げた時の

肘ほどまで髪が伸びていた。

原付きに乗る時は髪は結わえておきたい。


凛央は微かな雨の残り香を鼻で心地よく感じながら、緑と黒の原付に跨った。

喜んでもらえるといいな。

それと同時に、赤福も楽しみだ。


彼女は鼻歌を歌っていた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



そして約1時間30分後…。



道路を辿って名古屋駅まで原付きで走り、

彼女は地下鉄の桜通線に乗った。

今は名古屋の千種区、吹上の外れに位置する病院に居る。依頼主の指定した受け取りがここだからだ。

「あの、すみません。」

「はい?」

受付で愛想笑いをしてくれたのは

恐らくは生まれつきであろう薄い茶髪っぽい黒髪がよく似合う顔の丸い若い女性。

「102号室の…」

依頼主からは、受付で102号室の患者に用があると言えばいいと伝えられていた。

「あぁ、伺っております。こちらへ。」

話は通しておいてくれたんだな。


少し鼻につく独特な病院の香りと、コツコツとテンポ良く鳴る高い足音を感じながら、茶髪の女性に案内されるまま院内を歩く。


何年ぶり、いや、もう10年になろうとしているだろうか。彼女が病院という場所に訪れたのは。




目的の部屋は二階へと繋がる階段を上がってすぐの所にあった。





「太田さーん。いらっしゃいましたよ。」



部屋のドアを女性がノックすると、部屋の奥からガタッと椅子の引く音がした。

程なくしてドアが開けられる。




すーっ……。


「あああっ………。あっ…あなたが…。」



中から現れたのは50代の男性だった。

白い髪を刈り上げており、いかにも仕事が

できそうな印象を受ける人だったが、声が優しさを帯びていて、柔らかいものだったのに少し驚かされた。




何秒か、何十秒か。

彼は凛央を見つめた。


「…絵、お持ちしました…。」

とにかくなにか言わなければと思い

彼女はそう言った。



よく見ると、部屋の奥に子どもがいる。

女の子…いや、男の子だ。


ベッドに横たわり、目だけでこっちを見ている。



またしても彼女は驚かされた。

あの子どもの、生気の無い白い顔に。




絶望に浸ったような目をしている。

眠そうで、元気のない目なんてものではなく

干からび、なにかを渇望しているかのような

目の光り方。




彼女は不謹慎にも、彼を見て死装束を連想した。

それくらい、心細い炎の擬人に思えた。



太田と呼ばれた男は、凛央を病室の外へ出るよう促し、自分も外に出てきた。


「わざわざご足労いただいて、申し訳ありませんでした…。」

深々と頭を下げる太田さん。

彼女は、この丁寧な謝り方は職業柄だろうな、と捻くれたようなことを一瞬感じた。


「いえいえ、全然伺える距離でしたので大丈夫ですよ。」

彼女がそう言うなり彼は安心したようで、

穏やかな笑みを浮かべながら名刺を差し出してきた。






太田 泰治やすはる

職業は名の知れた電子機器を始めとした製造会社の重役だった。


「自己紹介が遅れました。私、こういうものです。 改めて本日はわざわざどうもありがとうございます。」

「いえ、こちらこそご依頼ありがとうございます。 息子さんへのプレゼントということで、ラッピングまでさせていただきました。こちらになります。」

彼女はリュックの中のラッピングされた絵を取り出し、泰治に手渡した。



泰治はまだ絵がどんなものかもわかっていないのにも関わらず、うんうんと何度か頷いている。

その目には影の色が見えていて、口を開いたかと思えばこんなことを告げてきた。



「実は、…息子…智和ともかずと言うんですがね…。


………もう先が長くなさそうなんですよ、」



凛央は病院が待ち合わせ場所ということで

薄々こんな展開も予想してはいたが、いざ

現実に起こるとなると、人ごとのはずなのに胸がきゅっと苦しくなった。



「重たい奇病を患ってしまってね…。


いつかは治ると、学校に復帰するんだと

数週間前までは希望を持って勉強も頑張っていたんですが…、どうやら病気が深刻だと勘付いてしまったみたいで…。

よく笑う子だったのに…最近ときたら…、

ここの所は飯もさえ、好物のカツさえ

まともに食ってくれないんです…。






あんなに食べるのと漫画がッ……、

…ガンダムが……大好きだったのにッ…。」









泰治は本当に悔しそうに涙を流した。


大の大人の涙を見ることなんてやぶさかじゃないが、もうこれっきりにしてほしい。


本気でそう思った。


見ているこっちのほうが辛くなってくる。

あっという間に、心臓がえぐられるような

心苦しさが彼女の胸を占めた。



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