第50話 お風呂?…ご飯?……

ー「…凛央さん、着いたっぽいぞ。」

 「…ん…、…。…うんっ…………。」ー




監視者の手配してくれた〝ホテル〟とは

どうやら宿泊施設のことを指すらしい。


半日いるだけでいいなら大袈裟だなぁとも

思ったが、どうやら休憩目的にも使われることがあるんだそうだ。



時刻は一時四十分を過ぎたところ。

車を降りた俺は、肌寒い風が先ほどまでの展開で帯びた興奮を冷ましていく感覚を微妙に思いながら細くそびえるホテルを見上げた。


「…さぶっ。」



凛央さんも遅れて車を降りてきた。



「すみません…、。ありがとうございました…。」

「あ、…ありがとうございました。」


「いえいえ。警部の指示ですので。

それよりこちら、ホテル代だそうです。

余っても返金していただかなくて結構とのことなので。」


そう言って車を運転してくれた警官は封筒を差し出してきた。

……少し分厚くないか?


凛央さんも同じ事を思ったらしく

「あの、ホテル代は結構です。それくらいなら出せますので。」

と受け取るのを渋った。 


「いえいえ。これも指示ですので…」

「いえ、額が多すぎます。

ただでさえ清掃代も出していただけるみたいなので、流石にそこまでは大丈夫ですよ。」


そんな凛央さんの言い分を聞いてもなお

封筒を引っ込めない警官。

すると警官は周りを憚るような視線を流した後、小声でこう言った。



「受け取っていただかないと、僕が困るんですよ…。…あの…もしも簡単に退いたことがバレたら怒られるかもしれないんです…。

警部が居ない時でも…なんか監視されてるみたいに…仕事怠けてたりすると筒抜けなことがあって……。それで、…その…。」


警部というのは無論、監視者のことだろう。


警察の階級には詳しくないが、奴は相当高い地位の人間だということがうかがえる。

公の捜査で指揮系統を持っているならまだ

分かるが、独断で三人もの人間を顎で使っているからだ。



しかもこの警官は言った。

「監視されてるみたい」「筒抜け」と。



俺は監視者に特別な力があることを確信し

つつ、凛央さんに進言することにした。


「……ここは受け取っとこうぜ。

いつか返せばいいじゃねぇか。」


凛央さんはそれを聞いて頷くと、その封筒を手にした。


「それじゃあ、僕はこれで。」


そうして警官とも離れることになった。



ホテルの入口に取り残された俺達は

いつまでも佇んでいるわけにもいかず、ホテルへと足を運んでいった。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





「はい。ではこちらがキーになります。

ごゆっくりどうぞ。」




凛央さんは受付で素早くやり取りを終え

代金と引き換えに鍵を手にし、後方で壁に寄りかかっていた俺の元に戻ってきた。



「ご苦労さま。」

「…んーん。3階だって。」

「おう。じゃあ行こうぜ。」


こうして俺達は三階へと向かった。

初めての〝エレベーター〟に恐怖を覚えた後は、凛央さんに続いて長い廊下を歩いていく。

床が絨毯のようになっているせいか、土足で踏みしめていくたびに特別な感じがした。


やがて一つの部屋の前で止まる。



がちゃり



という音とともに滞り無く鍵が回り、扉は

開いていった。


 


「うわあっ…。」

「ん…。いい部屋やん…。」




その部屋には、ホテルの外見からじゃとても想像できないくらいに良質な空間が用意されていた。


大きなベッドが一つと、凛央さんちにあったのと同じかちょっと小さいくらいのテレビ。

脇には少し背の低いテーブルと、それを囲う三つの椅子。

さらに奥には二つの部屋がある。



「ここ一番グレード低い部屋なのに…。」


「おう…。俺も想像以上だった…。」


このホテルの、単体で見れば少し鬱蒼うっそうとしているともとれる廃れたビルのような外見は、部屋の良質さの代償だったんだなと、俺は根拠も無く勝手に納得した。



「のりお。そこの冷蔵庫開けてみてくんない?」

「?…これか?」


凛央さんの目についた冷蔵庫を開けると、そこには水と茶が入っていた。

ホテルってのは、こういう備品も揃えてあるもんなんだな。


「そのお茶一本ちょうだい。」

「おう。俺も一本飲んでいいか?」

「うん。当たり前じゃん。」


そうして俺達は水分を摂った。

すると急に凛央さんが笑い出した。

「……ふふふっ。」

「…?…なんだよ?」

「……んーん。ただすごい美味しそうに

水飲むなぁと思ってさ。」

「…今日初めて口に物入れたからだよ。」


昨日ぶりに笑ってくれた凛央さんに照れながら、俺は平然を装った。

腹の底では凛央さんの笑顔に心を癒されながら、あんな事があった後でもいつものように笑ってくれるんだなと、ひたすらに安堵していた。



でも、それにしては少しぎこちない笑みだった感が無いでもない。



「のりおシャワー浴びる?」


実は凛央さんちを出る前に、着替えを小さな鞄に入れて持ってきていた。



「…せっかくだが俺はいい。

ゆっくりしてこいよ、凛央さん。」


再三思うが、凛央さんには本当に世話になっている。

今日は特に、凛央さんが俺を護りきってくれたと言っても過言ではないだろう。


よく考えてみれば…。

俺は勝輝に一発も蹴られたり殴られたりしてない。




凛央さんが全部護ってくれた。





だからせめて、一人でゆっくり体を休めてほしい。その一心で凛央さんにそう言った。







「……そっか。」




でもなぜか凛央さんは、それにをした。


「…あ、じゃあさ。

先に食べ物でも買ってこよっか。」




凛央さんにそう言われて俺は初めて、自分が腹を空かせていることに気が付かされた。



たしか、このホテルには食いもんを扱ってる店が入っていたはずだ。

名を、〝コンビニ〟と言ったか。



「いいのか? シャワー浴びてからでもいいし買い物くらいなら俺一人でも行けるぜ?」


車で十分に睡眠できなかった凛央さんとしては一刻も早くシャワーを浴びて眠りたいことだろう。

凛央さんにかけなくてもいい苦労はかけられない。



「…タバコ吸いたいんだ。」




そう思った矢先のその返答に、俺は何も返すことができなかった。





☆☆☆☆☆☆☆








そうして訪れたコンビニ。


凛央さんは

「好きなの買ったらええよ。」

と言ってくれたが、コンビニの食いもんや

そもそも食いもんに対して知見の無い俺としては、何が美味いのかや口に合うのかが分からなかった。


かと言って、凛央さんに委ねたり合わせたりするのは何となく気が引けた。


凛央さんはさっき俺に笑ってくれたが、その笑顔も少々ぎこちなかったんじゃないかと思えたからこそ、なんとなく俺の態度が慎重になっている。



やはりまだ元気が無い。

だからこそ、休ませてやらないといけない。

そのためには一人にしてやるのが一番だろう。



「俺、これにする。」


俺は昨日の夜、凛央さんが黒い車と接触した後、作りかけていた晩飯を片付けて食べるよう促してきた、あの家にあったものと同じ〝カップ麺〟とやらを頼むことにした。


容器の色によって味が違うんだろうが

醤油…シーフード…チリトマト…カレー…


読めはするが味の想像が付かないものが並んでいるのを見ると、無難そうな醤油に落ち着きたくなる。


だから俺は醤油を手にとった。



「あ、…私もそれにしよっかな。」

すぐ後ろで声がした。


見ると凛央さんが緑の容器、チリトマトとやらに手を伸ばしているところだった。



「私お腹減ってないから要らないかな。」

みたいなことを言われると居心地が悪いなと思っていたが、そんなことはなくて安心した。




「…やっぱ俺もそれにする。」

そうして俺は、チリトマトのカップ麺二つとすぐ食える焼き飯を抱えた。

焼き飯は半分こするんだ。



「あの、23番のタバコもください。」

「、…はい。」



そうしてタバコを頼んだ凛央さんを、一瞬

意外そうに見た若い男を後にしてコンビニを出た。




「…凛央さん。」

「…んー?」


平日の昼下がりということで人の気配が少ないホテルの廊下。そこで人目を気にする必要なんか特にありはしない。

それに悩んでいてもしょうがないと思い、俺は一思いに聞いてしまうことにした。





「……改めてになるけどよ…、………

………………どういう心境だ……?」






凛央さんは覇気で確かに伝わるくらい強く

俺を護る覚悟を持ってくれていた。


俺のために怒って、泣いてくれた。



しかし俺の代わりに殴られて蹴られて、危うく刺されかけた。


そこにやってきた妹と謎の男。



半日で多くの出来事があったし、感情の起伏も激しかっただろう。

自分で言うのも変な話だが、俺を、もとい

家出してきた子供を拾うという大冒険が

こんな展開に変化するだなんて想像もしてなかっただろう。


だから疲れてるのなんて当たり前だ。



でも、その先のことを訊きたかった。



「気持ちの問題だが…俺は申し訳なさとか

不甲斐無さから…あんたに頭を上げられない…。

凛央さんが疲れてんのは百も承知だ。

今はそっとしといてほしいに違いない。


……でも勝手な話だが…

………凛央さんには笑っててほしい……。」



実のところなぜ俺がこんなにも強い不安感や気不味さに襲われているのか、自分でもよくわかっていない。


ただ……なんとなく元気の無い凛央さんを

見てんのが辛いだけなのかもしれない。


凛央さんと今日の出来事を振り返ることができていないのが不安なだけなのかもしれない。


けどなんかこのままじゃ駄目な気が漠然としていた。






「……意図がわかんないな。」


これに対して存外あっさりと返した凛央さん。



俺達はいつの間にか立ち止まっていた。

ここで駄弁だべんのは通行人の邪魔になるかとも思ったが、人が全くと言っていいほどいないのを思い出した。




「…………………とりあえず部屋行こ。」

「うん。」




こうして場面を廊下から部屋へ変えた。







がちゃり。




鍵の回る音が部屋に響くのと同時に、凛央さんは俺の名前を呼んだ。




「……………のりお。」

「…ん?」


「…………………それ置いて。」



「え?」

言われなくてもそうするさ。

俺は買ってきたものをテーブルの上に置いた。




「えっ、ちょッ!?」





次の瞬間

俺は突如として突き飛ばされた。









それもどうやら凛央さんに突き飛ばさたらしい。



だがそれを呑み込むのには時間を要した。



ベッドで仰向けにされた俺はすぐさま首を起こすと、凛央さんは上着を脱いで椅子に掛けているところだった。


入れ墨の若々しい深緑をした薔薇の茎が

やけに鋭く目に止まった。


    




カーテンは空いていた。



俺に覆いかぶさるようにして四つん這いに

なった彼女の顔を見つめたのは、昼下がりの柔らかい光が眩しいくらいに差し込んでくる

角度で……。









なによりなんとも艶やかな景色だった。







「…りっ…りぉ……凛央さ…」











頭は真っ白だった。



これから起こることに胸を躍らせながら。

全身が心地良いくらいに痺れを感じながら。



ひたすら顔を紅潮させた。





 





「……もうさ……しけこんじゃおっか……」




凛央さんは俺の耳元で





あまあく囁いた。

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