第38話 黒い車の行方


ーどれどれ…。

あはア、いはイ、うはウ、えはエ、おはオ、かはカ、きはキ、くはク、けはケ、こはコ、さはサ、しはシ、すはス、せはセ、そはソ、たはタ、ちはチ、つはツ、てはテ、とはト、なはナ、にはニ、ぬはヌ、ねはネ、のはノ、ははハ……ははは。まぁいいや。んで

ひはヒ、ふはフ、へはヘ、ほはホ、まはマ

みはミ、むは厶、めはメ、もはモ、やはヤ

ゆはユ、よはヨ、らはラ、りはリ、るはル

れはレ、ろはロ、わはワ、をはヲ、んはン


うっし……。…………全部覚えた。ー



今日は別々に風呂に入り、外はいよいよ

本格的な夜を迎えようとしていた。



先に風呂に入らせてもらった俺は凛央さんと入れ替わるなり、買ってもらった本の包装を破いて早速読み始めている。


彼女が風呂場に向かってから二十分余りが経ったころ、凛央さんって長風呂なんだなと

ふと思ったが、そうではないことに気付いた。

「あ…風呂掃除してくれてんのか……。」

感謝を伝えなければいけないな…。


それからさらに五分後、

凛央さんは黒いに白い長という服装で、髪をで乾かしながら出てきた。


「早速読んどんね。」

「おう。風呂掃除お疲れ様。」

「んー。どーもー。」

凛央さんは歌うように返事をしながら冷蔵庫へ向かい、小さい箱を二つ取り出してきた。


お、か…。


しかし

あ、まだご飯食べてないんやった……。

そう呟いた彼女はむくれたような顔を作って箱をしまい直した。

そんな凛央さんが幼く見えておかしかった

ために思わず笑ってしまったのは内緒の話。

そして彼女は、俺の手元を覗き込むようにして近づいてきた。

「ちなみにどんくらい読み込めた?」

「一応…平仮名に対応するカタカナは

一通り覚えた。それと、カタカナの語彙を

少し。」

「うそ、はっや。」

凛央さんは、にやっと笑うとメモ用紙とペンを出してきた。


…だよな?

あれはメモ用紙で、あれはペン。

……イケてんな…?分かるぞ……。

応用できてきてる………。

俺は自分の成長が実感できて嬉しくなった。


「これは?」

凛央さんが『ファゴット』と書いた紙を俺に見せてきた。

「ふぁごっと…だな。それが何かは流石に まだ知らねぇけど。」

「おっ、正解。マジで成長しとんね。」

凛央さんは笑みを浮かべながら俺の頭を撫でてきた。俺が本当にカタカナを習得したことに驚きつつもどうやら喜んでくれているようで、またしても満たされたような気持ちになった。

「好奇心は人を動かす貴重な原動力だからなっ。」

凛央さんは誰かのマネをするように、気取った口調でそう言った。

しかし次の瞬間には普段の落ち着いた声で

「それに、ファゴットなんか聞いたことなくてもしゃーないよ。楽器の名前だからね。」

と言った。


「んだよ。そりゃわかんねぇな。」

そんな名前の楽器があるのか。

もしかしたらこの辞典にも載ってるかもしれないな…。

まだまだよく読み込まなければ…。


再び辞典を開こうとする俺を、凛央さんが

制す。


「焦んなくていいんだよ。


とりあえず一歩は踏み出せたでしょ。

これから覚えてけばいいじゃん。


慣れてけば大丈夫だからね。」


さとすように、優しく穏やかに

彼女は教えてくれた。



そして俺の横から離れる。

どうやら晩飯を作ってくれるつもりらしい。



ゆっくり…焦らず……か………。





「のりお…?」

そして今度は俺から、キッチンに立った

凛央さんに近づいていった。

「…なんか手伝うよ。」

昼飯の時は箸と茶を注ぐことしかできなかったからな。

風呂掃除の仕方でも教えてくれ。アンタに家事やらせ続けるなんて申し訳ねぇ。俺も力になりたい。」



あれ…。

なんでそんなセリフが口走ったんだろうか。

も…

将来を指す言葉じゃないか。


なぜだろう。

凛央さんが堪らなく恋しい。


今まで一番強くそう想う。

凛央さんが恋しくて恋しくて仕方がない。



なんと言ったらいいんだろうか。

カタカナを会得してもなお、表現の仕方が見つからないが、拙いながらもその理由を、頑張って説明してみようと思う。





俺はきっと逃げてるんだ。


正直なところ、まだ俺はこの一生涯を凛央さんに養ってもらえ続けるだなんて想像が

できないでいる。

このままこの家に居候し続けられるビジョンなんか、一ミリも浮かんでいない。

本当に俺はこのまま、彼女と居続けていいんだろうか。


でも、凛央さんはそれを良しとしてくれる。


だからきっと俺はその未来を


しかし希望を見る俺の邪魔をする

一抹の不安がある。

それは、あのデカい店で感じた嫌な視線だ。



実は

あれについて一つ、俺なりの仮説がある。


それが合っているか合っていないか、

それは じきに分かることだろう。

けどもしその仮説が合っていたら、、、

俺はきっと…………








でも何より











「………のりお………?」


しまった、シリアスなこと考えすぎて顔に

出てたかもしんねぇな……。

「…なんでもない。」

「? なになんでもないって。 


じゃがいもの皮剥いてっつっとんの。

イケる?」


あ、俺…凛央さんの言葉…聞き逃しちまってたのか……。


「おう。それくらい朝飯前だ。任しとけ。」

俺は無理矢理笑顔を作って作業に取り掛かった。

俺が凛央さんからピーラーを受け取ると

後ろの机から音楽が流れだした。

目を向けるとその正体はスマホ。


どうやら電話らしい。

「ちょっとごめん。…電話してくるね。」

そう言ってそそくさとドアを隔てた部屋へと行ってしまった。



………。

明らかに凛央さんが固まった。ほんの一瞬。

思いがけない相手からの電話だったのだろうか?


やがて四個のじゃがいもを処理し終えた頃

凛央さんは帰ってきた。

「誰からだった?」

「…………。」


俺が声をかけても凛央さんは首を横に振る

だけ。

気のせいだろうか。

いつもは鋭いながらもキラキラしている彼女の目には、なにか緊張のようなものが

宿っているように思えた。 



そして今度はこう言い出す始末。

「ちょっと外出てくる。…ごめんね。」






こりゃなんかあったな。

そんな態度取られたら犬でも分かるぞ。


俺は胸がざわつくのを感じながら、凛央さんがサッと上着を着てから出ていった玄関を

力無く眺めた。

しかしそんな時間も長くは続かず、


………俺は部屋を一つ移動することにした。


キッチンのあるリビングの横の部屋の

カーテンをめくれば、いい角度で外が見られるかもしれない。



カーテンに手を掛けると、

『はやく捲れ』という声に混じって

『絶対捲るな』という声が聞こえた。

なぜ葛藤するのかが分からなかった。

別に見てしまえばいいじゃないか。

 

でも、なぜか…。




カーテンを捲るのが怖かった。









しかし

〝好奇心は人を動かす貴重な原動力〟

その言葉を体感した瞬間、カーテンは捲れ

窓越しではあるが鮮明に外の様子をみることができた。




よく目を凝らすと凛央さんが居る。

そのすぐそばには、………。












闇夜でも関係なく黒光りした、怪しい車がライトを点滅させながら停まっていた。



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