第4話 俺たちゃ腹ぺこ

ー やがて再び寝かされた俺。

 しかし、

まださっきの気持ちは胸に残留していた。ー


笑ってしまった時に降ってきた、

恥ずかしいような楽しいような気持ちが。

「さあクソガキくん。」

「黙れ。糞餓鬼っていうんじゃねぇ。」

「私に何か言わないといけないことが

  ふたーつあるんじゃないかな?」


二つ…?

〝ごめんなさい〟…とかか?

あともう一つ……。

って謝りたくもねぇよ…。

しかし女は耳に手を当てて催促してくる。

梃子でも俺が謝んのを待とうってか?

はっ…。

図太ぇ野郎だよ…。あんたは……。

「悪かった…。殴って…。ごめんなさい。」

「ん。よく言えました。」

そう言うと女は左手で立てていた人差し指と中指のうち、中指だけ折りたたんだ。

……もう一つ…………。

「……わからん。」

「えー……。」

眉間に皺を寄せて口を尖らせる女。

それを見てふと、

なんかひよこみてぇだななんて思ったり。

相変わらず間抜けな面だったが、さっきよりは幾分不愉快さが消えているように感じた。

「〝拾ってくれてありがとう〟…やろ?」

……んだよそれかよ…。

「だから、誰も頼んでねぇって言ってんだろうが。」

二度も説明しなくちゃいけないのが一々怠い。

「ひどーい。私かわいそー。

 かわいそーだなー。」

ちっ…うぜえぞ…やっぱ言わなきゃ駄目か…

……糞女が……。

「あっ…ありがとう…。ありがとうな…。

…拾ってくれて。」

「ふふっ!イヤイヤ言われても嬉しくないっつーの!!」

そうは言ったのものの女の表情は満更でもなさそうだった。切れた口で痛々しくも快活に笑っていやがる。

「口…切れてんぞ。」

女は指で口元を拭った。

あかい血が尾を引くように指を汚していく。

他人の血を見るのは久し振りだった。

「んー。まぁこんくらいなら唾つけとけば治るやろ。」

そう言って傷口をぺろっと舐めるなり

「おなかへったなあ…」

と呟いた。

「私夜まだなんだよねー。

作んのダルいしな…。外で食べよっか?」

そして俺の方を見てくる。最後の問いは俺に向けて発せられたものらしい。

外で食べる…。というと飯屋に行くということか? どうにか拒否して

行ったことがないのを

悟られんようにせねば。

「腹…減ってねぇ。何もいらねぇ。」

正直空腹は酷かったが、これ以上甘えまいという虚勢きょせいの元に強がると、それを見越したかのように

「ホントに……?」

と聞いてきた。

「あぁ。いらねぇよ。」

そう言って女を睨むと

女は初めて俺を睨み返してきた。

どんな事を言っても

どんな態度をとっても

睨んでくることが無かった女の鋭い視線に

若干たじろぎながらも、結局十数秒程

睨み合った。

その中で気付いたことがある。

それは女の目が見惚れるほどに麗しい茶色

をしているということだ。

しかしそんなところに着眼していた

俺をよそに、女はため息をついた。

苛つくな…。

それはそれは深いため息だった。


「言うの迷ったんやけどね。」

そう切り出して俺に近づいてくる女。

すると、俺の頬に優しく手を添えてきた。

「アンタのことここまで運んでくる時さ、

何回も何回もお腹鳴っとったよ。」

なるほど。そこから俺が腹ぺこだって予測したってことか。しかし決定打にはなるまい。

そんなのは俺が白を切り続ければ済む話だ。

「そうかよ。それがどうし」

「それが原因なんじゃないの…?」

女は俺の台詞を遮った。

凛とした響きのこもった声だった。

俺はつい頬にある女の手を払い除けるのも忘れて、女の声に聞き入ってしまった。

「家出してきたんやろ? それが原因なんじゃないならそれでもいいの。でも、素直になっていいんだよ。今だけは誰もアンタにヒドいことも怒ったりもしないよ。ただ…私はアンタがお腹空かせてて苦しいのがヤなだけだから。」


……さっき言及をよされた時もそうだった。


もう…やめてくれよ……。


そんな優しい顔で見つめられると…

俺が鈍るんだよ……。


女は仏のように穏やかな顔で

俺の頬をさすり続けてくれた。



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