第22話 蟹の絵

ー俺はてれびへの感動など忘れ

  手元の写真集に夢中になった。ー


彼女がこうして残した写真

すなわち手掛けた作品は、五十や百ではなかった。

一頁いちぺーしに六枚の写真が入る作りに、百五十を超える頁が収納されており

とりあえず流して見てみても、そのどれもが目の肥えていない俺に言わせれば、世辞抜きで佳作中の佳作と評価せざるおえない程の

出来栄えだった。


中には哲学的で、何かを訴える声が

聞こえてくるような絵もある。


てれびは消した。

調子の良いことに耳障りだとさえ思った。


俺は先ほどの布団がある部屋に戻り

その写真集を眺めて過ごすことにした。

写真集これがあればいくらでも時間が

潰せる。不思議なことにそんな確信にも似た思いが胸を占めている。

まだ四つ程の絵にしか目を通してないが

他の作品も同格、もしくはそれ以上に

素晴らしいだろうなと思わせてくれた。


凛央さんは、始めに見た人間と林檎の絵然り

様々な対象を組み合わせたり変形させたり

した絵や、連続する何気ない一瞬の風景を

好んで描くようだ。


やはりどの絵も上手い。

色が綺麗で分かりやすい。目が休まる。


それだけでなく、注目すべきは

油性の筆で作品の一枚一枚に記された題名。

これを留意してその絵を見ると、何か新しい視点や感情が芽生えてくるようだった。


一枚一枚の作品を飽きることなく

五分以上かけて鑑賞する。

そして次の絵へと視線を移す。


それを六回繰り返し、

三十分程してやっと頁をめくる。



一見長いと感じる三十分が

沸いた水に投じた氷の如く溶けていく。



しばらく絵を見続け

俺が気に入ったのはこの蟹の絵だった。



人の見当たらない、白いような水色の浜辺。



薄暗くて青い空と、白くて輝かしい太陽が地平線から昇っているのをみるに、どうやら

夜明けらしい。


波打ち際には一匹の蟹。

赤くてちっこい弱そうな蟹が、奥へ奥へと続く人間の足跡を追うようにして歩いている。


蟹は精密に描かれていて、口元や目元の再現度が正直気色悪いと思ってしまったが、そんな思いは題名を見て消し飛ぶことになる。




「〝なんで俺だけ〟………………。」



言葉というのは不思議だ。

簡単に人の情緒や気色を左右する。



恐らくこの蟹は…仲間がいないんだ。

この足跡は好いていた人間のものか。

同族にも種族の異なる仲間にも置いていかれ

孤独を噛み締めている情景なんだろう。


そんな物語が頭の中に浮かぶ。

「置いていかないで。」

そんな蟹の台詞がまざまざと浮かび上がってくるようだ。


凛央さんの絵は鑑賞中だけでなく、

こうして物語を組み立てている時や

よく絵を観察し、気付きを得た時が

際立って楽しい。



この絵なんかで言えば

満ち引きするさざ波の中に


描くのが大変だったろうな、や


こんなものまで描けるのか、と


素直に見た者を感動させるような

極彩色の美しい貝殻が隠れていた。


また、足跡の先を見てみると車がたくさん

停まっているのに気付いた。


そこから

この足跡の主は車でこの場所を離れたんだ。

と考察できる。 


車でやってきたということから、足跡の主が

この浜辺の近辺に住む人間ではないという

可能性が高いと分かる。

蟹の好いていたであろう足跡の主が

再びここに現れる保証はないし

きっと少なくともしばらく再開することは

ないんだろう。




架空の話のはずが

どこまでも蟹に感情移入させられる。


見ていると悲しくなる。

無力な自分を、さも力ある者のように勘違いし、応援してやりたくなる。



頑張れって。

お前が生きてるうちに

いつかその人間に会えるといいな、って。





俺の描いた想像が正しい根拠も無しに。



気付けばこの絵だけで十九分も費やしていた。でも、まだまだ写真は沢山ある。

こんな調子じゃ見きるのに半年かかっちまうぞ。


…次の絵は……。お……これは…。

時計塔のある街の絵……。

外国か? はたまた日本の洒落たとこか?

時計塔の針は……って、 

 



あ。時間っ…。




気付けば時刻は十二時半頃。

丁度その時



がちゃりと玄関から錠の外れた音がした。


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