【一〇月の記録】
37:一〇月一日(火)/星澄駅前/面談(1)
こちらの要望に対しては、九月二九日のうちに「星峰館」グループの七峰社長から、すぐ承諾の返事があった。
そこで翌三〇日、皆月と連絡を取り、経緯を説明した上で、星澄市まで同行してもらいたい、と頼んだ。皆月は、迷わず引き受けてくれたので、面談自体の予定も円滑に決まった。
かくして月が替わり、一〇月一日火曜日。
午後二時前に大柿谷へ皆月がやって来て、その後にほどなく黒塗りの高級車も借家の前で停車した。運転手にうながされるまま、私と皆月は迎えの車に乗り込んで、隣町の星澄市を目指して出発した。
教育支援企業「星峰館」グループの本社は、星澄駅前に
ビルの前に乗り付け、高級車を降りると、スーツ姿の中年男性が近付いてきて、こちらへ深く頭を下げた。男性は星峰館の従業員で、私たちを案内するように指示されている人物だ、と自ら名乗った。
次いで案内役の男性は、私と皆月を先導して、ビルのエントランスへ入っていく。
それに
階数表示板が五階、一〇階、一五階……と、高所へ移動していることを示していた。
やがてチャイムの音と共にドアが開いて、前方に赤い
ここでも案内役に誘導されて、フロアの先へ踏み入っていく。
ほどなく、両開きの重厚なドアの前にたどり着いた。
正面には「社長室」という金属製のプレートが掲げられていた。
案内役が二度ノックし、よく通る声で、室内に来意を伝える。
部屋の内部から、入りたまえ、という応えが返ってきた。
私と皆月を通すため、案内役がドアを静かに開けてくれた。
社長室は、かなり広い正方形の部屋だった。
正面にはプレジデントデスクがこちら向きで置かれ、奥の椅子に男性が一人着席していた。
五〇代後半といった
この人物こそ、星峰館グループ代表取締役社長の七峰晃太朗だった。ひと目見てわかった。
また一方で、私はこのとき完全に
なぜなら社長室の中には、別の人物がもう一人佇んでいたからだ。
しかもそれはよく見覚えのある、紫色のシャツを着用した男性だった。
「よく来てくれたね浅葉くん。それとお連れのご友人も、我が社へようこそ。私が七峰です」
七峰社長は、歓迎の意を示し、まずは自ら名乗った。
穏やかだが、少しも声音に温かさは感じられなかった。
「それと今日はあと一人、私の知人もこの場に同席させてもらいたい。と言っても、たぶん浅葉くんはすでに見知った人物なのではないかと思う。こちらの男性は――」
「俺は
紫シャツの男性――
紫之嶋叡心は、不愛想に自ら名乗った。
低く抑揚の少ない、無機質な声だった。
私と皆月も、差し当たり形式的に自己紹介しておいた。
順に名乗りながら、そのあいだに私は紫之嶋の風貌を、目だけで密かに観察した。
ここでは防犯カメラの画像でよくわからなかった面立ちも、はっきり見て取れた。
紫之嶋は、彫りが深い顔の美男子で、眉目に
鋭い
「さて、この際は単刀直入に用件を話そう」
七峰社長は、口元に薄く笑みを浮かべながら切り出した。
案内役だった男性は、気付くとすでに姿が見えなかった。
「私から君に頼みたい仕事というのは、カタツムリの怪異に関係することなのだ。紫之嶋くんの見立てだと、そちらのお嬢さんも、この件の化け物についてはご存知だろうということだが」
私と皆月は、思わず顔を見合わせた。
S県やG県で発生した事件に関して、七峰社長は何かしら察知している事実があり、それを私たちと共有したいと考えている可能性も、当然ある程度想定していた。
しかしいきなり事件が非現実的な事象の関わる問題で、怪異はカタツムリの形状を模していることを前提にやり取りがはじまるとは、正直思いも寄らなかった。ましてや私のみならず、皆月がそうした事情を理解している点まで、自然に把握しているらしかった。
どのように反応すべきか迷っていると、七峰社長はさらに意外な方向から話を進めてきた。
「八月一二日未明に星澄市雛番で発見された遺体の女性というのは、我々星峰館グループに勤務する講師で、名前を七峰
皆月が
亡くなった塾講師が星峰館に勤めていたことは知っていたものの、これまで社長の親族だとは想像していなかったから、それも致し方なかろう。私もやや当惑させられた。
「私の仕事の影響で、瑠璃子は中高生の頃から教育事業に関心があってね。都内の大学へ進学し、教育学部で勉強してから、地元の星澄に戻ってきた。そうして星峰館で働きはじめたのだ。親馬鹿と笑って頂いてかまわないが、性格は明るく、好奇心が強くて、大いに将来性のある子と思っていたよ」
七峰社長の口調には、親しみやすさと冷静さ、さらに怒りが入り混じる、独特で複雑な響きが感じられた。教育者で企業経営者、かつ少し以前までは人の親でもあったことで、多面的な立場がそうさせるものかもしれなかった。
「それだけに娘を亡くして以来、ずっと深刻な苦痛を感じている。取り分け事件直後には殺人犯が心底許せないと思ったし、罪を償わせるためなら何でもしてみせると思った。ところが事態はそれほど単純じゃないようだと、案外すぐにわかってきたんだ。事件現場の付近に防犯カメラは設置されておらず、通行人の目撃情報もまるでない。死因は不明で、娘の両足はくるぶしから下が激しく損壊していた。……ここで言う損壊というのは、怪異絡みの他の事件も知っているなら察しが付くだろうが、部分的な白骨化さ。そうした遺体の状態も含めて、私の理解を超えた要素が多く、娘は想像以上におぞましい出来事に巻き込まれたようだと感じはじめた」
七峰社長は、椅子に深く腰掛け直し、背もたれへ上体を預けた。
それから
「ところで、実は娘が殺される少し前から、私は夜中に悪い夢にうなされるようになっていた。暗闇で大きな眼球に凝視されるという、わけがわからない夢さ」
「あの夢の中で、七峰社長も怪異と遭遇していたんですか?」
強く興味を引かれた様子で、皆月が問い
七峰社長は、苦笑交じりに首肯し、先を続けた。
「その通り。もっと言えば、自分と同じような悪夢を、自分以外にも
およそ常識的に考えるなら、「殺人事件の原因が神秘主義的な呪いにある」などという言説は、まず顧慮するに値しないだろう。
しかし七峰社長はこのとき、自分自身も不気味な悪夢に悩まされていた。
だから悪夢を巡る都市伝説についても、安易に退けたりしなかったらしい。
むしろ迫真性を感じて、無視することができなかったようだ。
そこで現実的な捜査は警察に任せる一方、七峰社長は心霊現象の専門家を頼ることにした――
非現実的(あるいはオカルト的)な方面から、悪夢の都市伝説について独自に調査しはじめたのだという。
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