13:八月一六日(金)/陽乃丘/葬儀

 マスコミ各社が報道した通り、新委住の山道付近で発見された白骨遺体の身元は、八月一二日までに押尾聡だと判明した。自宅から最寄りの歯科クリニックにカルテが残っており、歯型照合で一致が確認されたからだ。結果に疑問を差しはさむ余地はなく、DNA鑑定の結果を待つまでもないらしかった。


 それで同月一三日には遺体が家族へ引き渡され、翌一四日が通夜つやとなった。

 押尾の遺体が納められた棺は、通常のそれより小型に見えた。どうやら白骨化しているため、骨格は全身そろっているものの、肉がげ落ちたぶん、容量の少ないものが用意されたようだ。


 一四日の午後、急遽きゅうきょ実家から送ってもらった喪服を着て、藍ヶ崎市鐘羽の葬儀場へおもむいた。

 通夜が営まれる広間には、押尾の急逝をいたむ人々が集い、しめやかな空気に包まれていた。

 盆休みの期間ゆえ、欠席が相次ぐ懸念もあっただろうが、どうやら杞憂だったようだ。僧侶も多忙を極める時期のはずだが、無事に手配できたらしい。


 読経や焼香のあと、通夜振る舞いの前後には、会葬者があちこちで故人の生前をしのんでいた。

 藍ヶ崎大学で親交が深かった学友はもちろん、私もお世話になっている曽我さん、ゼミの担当講師である石塚准教授も、すっかり気落ちした様子だった。



「押尾くんが事件に巻き込まれたことは、非常に残念だ。いや、残念なんて言葉だけでは、到底片付けられないような損失だよ。誰もにとって間違いなくね」


 石塚先生は、灰色の顎髭あごひげでながらおっしゃっていた。

 度がきつい眼鏡の奥では、しきりに目をしょぼつかせていたように思う。それが眼精疲労によるだけのものではなく、押尾に対する感情を押し殺した所作だったことは、まず明らかだろう。


「なかなか押尾くんほど、勉強熱心な学生はいなかった。卒業後は院へ進んで民俗学を続けると言っていたし、本当に期待していたんだ。それがまさか、こういうことになるとは……」


 先生はまだ四〇代半ばでいらっしゃるが、急に一〇歳もお年を召されたように見えた。

 私も押尾の将来性には同感だったので、心中お察しいたします、といたわる他になかった。


 SNSで面識を得てから日も浅い私でさえ、押尾の勤勉さや人柄にかれる部分は多かった。

 押尾は大学三年でゼミ生になる以前からも、文化人類学の基礎講義などで石塚先生を師事していたそうだし、両者の親交の深さを踏まえれば、悲しみは想像に余る。



 他の会葬者の中では、棺の前で号泣する女性が目を引いた。

 故人と同年代と見て取れ、ショートボブの黒髪が印象的だった。

 細い肩を友人らしき別の女性に抱かれ、なぐさめられていた。さらにかたわらでは、いま一人中高年の女性が控えていて、目にハンカチを当てながらうつむいていた。


 彼女ら三人のうち、号泣していた女性は押尾の交際相手だと、あとで知った。

 名前は、村瀬むらせ美緒みお。以前に押尾から「染物工房で働く恋人がいる」という話を聞かされていたことを、そのときになって思い出した。

 尚、村瀬さんを慰めていた女性は、見立て通り彼女の友人だった。あと一人の中高年女性は、押尾の母親だそうだった。押尾と村瀬さんの関係は、前々から家族も公認していたのだ。




     ○  ○  ○




 通夜からひと晩明けて、告別式は八月一六日にり行われた。


 押尾の遺体を納めた棺は、鐘羽の葬儀場から陽乃丘の火葬場へ運ばれ、荼毘だびに付された。

 精進落としの最中に気付いたのだが、会葬者の中には見知った警察関係者の姿もあった――

 先日の聴き取り調査で面識を得た、馬場警部補だ。周囲の人にたずねると、通夜の日から参列していたらしい。喪服を着用し、いつも隅でむっつりとしていたようだが、相変わらず目つきは鋭かった。

 会葬者に何某なにがしか事件と関与した人物がいないか、葬儀に参列する体で探っていたのだろう。

 桂田刑事の姿は見当たらなかったが、この日は他の仕事で出席できなかったようだった。



 ……やがて会葬者は皆、三々五々に火葬場を出て、順次引き揚げていった。

 私も今一度、押尾のご両親にお悔やみの言葉を伝えてから、帰宅しようとしていた。


 だがそのとき、にわかにこちらへ声を掛け、呼び止めてくる人物があった。


「あの、すみません。もしかすると、浅葉晴市さんじゃありませんか」


 栗色のロングヘアで、立ち姿に品の良さを感じさせる女性だった。

 言葉の端から緊張が伝わり、瞳の奥には健気さが滲んでいる。

 面立ちを二度見てから、通夜で押尾の恋人を慰めていた女性だ、とようやく気付いた。

 たしかに私は浅葉ですがと返事すると、彼女はいったん浅く呼気を吐いて続けた。


「私、皆月みなづき初花ういかと言います。藍ヶ崎大学文学部日本文学科の三年生で、押尾くんの同級生です」


 栗色の髪の女子大生――

 皆月初花さんは、少し以前に押尾から「フィールドワークで都内から藍ヶ崎へ来ている友人がいる」という話を聞く機会があって、それとなく私のことを知っていたらしい。

 そのため通夜で私が石塚先生とやり取りしているところを見て取って、「あの見知らぬ人物がくだんの浅葉晴市なのではないか」と、推測したという。相手の様子をあの場で認識していたのは、こちらばかりではなかったわけだ。



 私の方からも、皆月さんを昨夜葬儀場で見掛けた旨を伝え、誰か泣いている女性に付き添っていたようでしたが……と、付け足して言った。

 それでこのとき皆月さんから、彼女が慰めていた女性こそ、押尾と恋人同士だった村瀬美緒だと教えられた。生前の押尾を介して、皆月さんと村瀬さんはごく最近知り合い、交友していたという。


「押尾くんと美緒ちゃんは、たしか二人がどちらも高校生だった頃から付き合っていたと聞いています。出身高校が同じで、卒業後の進路は異なりますけど、私が見る限り交際は順調に続いていたんだと思います。押尾くんは誠実な男の子でしたし、学生と社会人で自由の利く時間に違いがあるからって、たぶん気にするような人じゃありませんでしたから。美緒ちゃんの方も、押尾くんが自分だけを見てくれていることをよくわかっていて、彼のことが大好きで堪らなかったんじゃないかと思います。いえ、まだ二人と知り合ってから日が浅い私の、あくまでそばで見ただけの印象ですけれど。とにかくうらやましくなるぐらい、相思相愛のカップルのように感じました」


 皆月さんの言葉には、私の印象と照らしても納得感があった。

 昨晩、村瀬さんが棺の前で涙も枯れよと鳴き続けていた有様は、到底演じたものと思えない。

 また押尾の誠実な人柄も、思い返すまでもなかった。浮気するところなど想像すらできない。



 ところで私は、皆月さんがなぜ、自分を呼び止めたりしたのかと問い掛けた。

 彼女が私を、押尾や石塚先生と縁故のある人間と見立てて、浅葉晴市だろうと連想した理由はわかる。民俗学を学んでいるのは事実だし、洞察として正しい。

 だがそれだけでは、私に声を掛けた動機が判然としなかった。

 私は、まさか自分が道行くだけで女性の関心を引くほど、上等な風采ふうさいだと自惚うぬぼれてはいない。


 こちらの質問に対する皆月さんの回答は、いささかきょくものだった。


「押尾くんから浅葉さんのことを聞いたのは、私が近頃よく夜にうなされる悪夢の話がきっかけでした」


 悪夢。

 それが「暗闇の中で、不気味な視線に我が身がさらされる夢」であることは、今更き返すまでもなかった。

 皆月さんは、私や押尾がた悪夢と、就寝中に同様のそれを体験することがあるのだという。


「もっと言うと、実は私と押尾くんが知り合ったのも、元々あの悪夢に発端があります。というのは、私がSNS上で投稿した発言の中に悪夢の話があったんですよね。押尾くんはそれを見ると、コメント欄への返信やDMを使って、私と連絡を取ろうとしてきたんです」



 このとき私は、不意に押尾から教えてもらったSNSブックマークの一覧を思い出した。

 ある時期から類似した悪夢について語っている、藍ヶ崎大学関係者たちの投稿――……

 たしかその中に含まれていた、ユーザーネーム「うい」というアカウントの発言。


 そうして、今目の前にいる彼女の下の名前が「初花」であることに気が付いた。

 ひょっとすると、あのSNSで「うい」と名乗っていたユーザーは、皆月さんのことなのではないか。

 安易な発想に思われたが、試しにたずねてみると、皆月さんは少し恥ずかしそうに首肯した。


「私って何か災難があったときは、たまにSNSで愚痴っぽい書き込みをしちゃうんですよね。

あまり褒められた癖じゃないんですけれど、あくまで他の人の目に触れても問題にならない範囲のことならいいかなと思って。嫌なことは溜め込まず、早めに吐き出した方が気が紛れますし。だからあのときも、視た夢の内容を投稿してみたんです」


 どうやら押尾からSNSで連絡を受けたことは、皆月さんにとっての救いとなったようだ。

 不特定の第三者と悪夢を共有している事実も、酷く薄気味悪かったから猶更なおさらだった。


 ちなみに押尾が接触してきた当初は、さすがに同じ大学の同級生だとわかっていても、いぶかしく感じたという。

 しかし後日学内の研究室で、押尾以外にも石塚先生や院生を交えて面談することになり、そこで顔を合わせてからは不信感も一掃されたらしい。むしろ押尾は、都市伝説や怪異譚を調査する一方で、同じ悪夢を視た仲間だということもあり、貴重な相談相手となったそうだ。



「けれど、それもこの通り束の間のことでした。まさか知り合ってから、一週間足らずのうちに押尾さんが亡くなってしまうなんて」


 皆月さんは、神妙な口調で話しながら、殊更ことさらに表情を曇らせていた。

 そこににじむ感情は、半ばが押尾の死に対する悲しみであり、半ばは現状に対する不安のように見えた。

 取り分け後者に関しては、会話の流れからいって、「同じ悪夢を視ていた同級生が死んだ」という事実に不吉なものを直感しているかに思われた。


 そうして、それは次に続く言葉によって、すぐにはっきり裏付けられた。


「浅葉さん、これはご相談なんですけど」


 皆月さんの瞳からは、切実さが伝わってきた。


「もし差し支えなければ、今後は悪夢の件で気になることがあったとき、互いに連絡を取り合うことにしませんか。何となく私、あの夢は心因性の幻覚とか、それだけのものとは思えなくて、心配で。押尾さんから教えてもらったんですが、私たちの他にも何人もが同じ悪夢でうなされているそうじゃないですか。そういうことが科学的にあり得るのか、ちょっとわからないですし、やっぱり少し怖いですから……」



 さらにくわしく話を聞くうち、皆月さんが押尾の葬儀に参加した理由のひとつは、実は自分以外で悪夢に悩む人物を探すためだったとわかった。

 考えてみれば本人も言う通り、皆月さんと押尾は面識を得てからも、一週間程度しか経過していない。そうした相手の葬儀に出席するか否かは、たぶんいくらか迷いがあっただろう。

 にもかかわらず参列した理由は、悪夢の件を打ち明けられる仲間が欲しかったかららしい。

 あるいは押尾の人格を踏まえて、彼の葬儀に集まる人物と接触するのは危険が少ないはずだと考えた、というような面もあるかもしれない。私としては、自分の信用が故人に担保されているわけで、苦笑いするしかないが。


 ただいずれにしろ例の悪夢に関して、「類似の体験を持つ仲間が欲しい」という願望は、大いに理解できた。

 皆月さんは同世代だから話しやすそうだと思われたし、ましてや押尾が亡くなった現状では、余計に共感せずにいられない。私も彼女が直感したのと同じで、あの悪い夢がただの無害な夢に過ぎないとは思えなかった。



 とりあえず私たちは、互いの連絡先を交換した。

 皆月さんは、メッセージアプリにIDを登録すると、ほんの少し緊張を解いた様子だった。

 手に持つスマートフォンの画面から視線を上げ、こちらへ安堵したような微笑を向ける。


「ありがとう、助かりました。……ところで私たち、どちらも大学三年生で、同級生なんですよね? だったら今から、敬語で話すのは止めにしましょうよ。もう君の方も、私に気をつかわないでくれていいから」


 それから「改めてよろしくね浅葉くん」と、皆月さん――

 いや、皆月は付け足して言った。

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