18:八月二九日(木)/大柿谷/聴き取り(2)

 私は先日、同じ悪夢を視た人物が押尾聡以外にも死亡していたことを、皆月初花との情報交換で知った。押尾聡や女性塾講師の死と、不気味な夢のあいだに因果関係があるかは、まだ判然としていなかった。

 繰り返すが、都市伝説やオカルトに類する憶測でしかなく、科学的な裏付けを立証できるとも思えない話である。


 とはいえ迷信深い人なら、何となく不吉なものを感じるからということで、ひとまず藍ヶ崎市を離れるべきだと考えたかもしれない。この土地で滞在しはじめて以来、いくつも良くないことが起きているのは事実だった。

 ましてや私は、ここまでに二度も現実世界で、悪夢の中に出てくる化け物――

 それこそ「怪異」と呼び得るような存在に遭遇する、という現象を体験している。


 しかしながら相変わらず、尚も私は藍ヶ崎でのフィールドワークを継続していた。

 なぜなら科学的な根拠の有無にかかわらず、いまやあの怪異(以後は夢の中の化け物のことをそう定義しよう)の恐怖から逃れようとしても、ここから立ち去ることが無意味かもしれないと思いはじめていたせいだ。

 何しろ死亡した女性塾講師は、藍ヶ崎市で仕事に従事していたようだが、星澄市で遺体を発見されている。


 つまり、仮にオカルトめいた事象で死に至らしめられるとして、あの怪異にいったん狙われてしまったなら、のではないか? 

 ……常識的な思考からすれば、もちろん信じがたく、失笑を禁じ得ない仮説だろう。



 ところが八月二八日の朝、私はそれを殊更ことさらに補強する報道と、思い掛けなく接してしまう。

 石塚准教授が亡くなったという記事が、インターネット上のニュースサイトで紹介されていたのだ。それも全国紙が報じていた。大学准教授の死亡事案は社会的な影響力があるからか、記事の見出しもトップページの目立つ位置に表示されていて、閲覧者のコメントも複数付いていた。

 報道に目を通してみると、先生は隣県の都市で、ビジネスホテルの三階から転落死したということだった。


 そうして翌二九日には早速、私が滞在する借家を警察が訪れた。

 聴き取り調査を担当しているのは、今回も馬場警部補と桂田刑事だった。

 石塚先生の死について、押尾の件との関連を疑っているようだと明らかにわかった。新聞記事に書かれていた通り、転落死を自殺や事故と断じられない要素が、検死や実地検証の段階で何か見付かっていたのだろう。


 それにしても押尾の事件と異なり、今回は私のところへ来るまでが早かった。

 やはり石塚先生の身元が、ほぼ事件当初から判明しているためだと思われた。



 聴き取り調査は当初、例によって桂田刑事とのやり取りを中心に進行した。

 まずは私と石塚先生の関係など、主に事実確認の質問が続き、次いで亡くなった先生に対する生前の印象を問われた。その際には「最後に直接お会いしたのは、押尾の葬儀のときだった」という話も出て、先生が教え子の死に落胆していらした旨を、極力私見を交えずに説明した。


 さらにそれから先生が亡くなった日の、現場不在証明に関してたずねられた。

 ただし桂田刑事の問い掛けは、どことなく淡々として、真相を細部まで徹底的に突き止める、という雰囲気ではなかったように思う。ここでもおおむね問いただす口調は、既知の事実を確認しているだけのようだった。



 もっとも聴き取りが続く中で、この日も馬場警部補が口を開いて以後は、対話に微量の緊張感が生まれた。


「ところで浅葉さん、今日はちょっと見て頂きたいものがあるんですがね」


 そう切り出すと、馬場警部補は持参していた鞄の中から、写真を一枚取り出してみせる。

 感光紙に焼き付けられたものではなく、PCでプリントされた画像のようだった。かなり画面は暗くて、一見しただけだと何が写り込んでいるかがわかりにくい。画質の荒さから、拡大写真の一部分らしきことは察せられた。


 目を凝らし、よくよく注意深く見ると、狭隘きょうあいな街路を写したものだと気付いた。

 夜間の繁華街のような場所で、電柱のかたわらには男性が一人佇立ちょりつしている。

 黒髪で、濃い紫色のシャツを着用している人物だった。顔の造作は判然としないが、おそらく背丈は一八〇センチ以上ありそうだ。ボトムスのポケットに両手を突っ込んでいて、どことなく超然としていた。

 体格は細身だが、筋肉質のようだ。無法者めいた雰囲気があるものの、さりとて反社会勢力に属しているようには見えなかった。



「特徴的な格好の人物だと思うんですが、この写真の中の男に見覚えはありませんか。あるいは知り合いじゃなくても、どこかですれ違ったり、見掛けたりした記憶はないでしょうかね」


 たしかに写真に写っている様子は、背格好からして印象的な男性だった。

 とはいえ事件現場以外でも、同じ服装をしているとは限らないだろう。


 それだけに残念ながら、まるで心当たりがなかった。

 その旨を率直に伝えてから、私はどういう人物なのですかとき返してみた。

 馬場警部補は厳しい面持ちで、それがちっともわからんのです、と返答を寄越よこす。

 思わず目を白黒させると、桂田刑事が横から補足するように説明してくれた。


「この写真は元々、笠霧市兼城駅前のコンビニに設置してある防犯カメラで撮影された映像なんです。映り込んでいる男は映像の中で、付近のビジネスホテルから出てきたところでした。その場面の動画データをPCへ移してから、静止画にして人物の部分を拡大し、プリントアウトしたわけですね。ちなみに改めて確認するまでもないでしょうが、兼城駅前のビジネスホテルというのは、石塚准教授が部屋を取っていた宿泊施設です」


 さらに桂田刑事が語ったところによると――

 すでに警察は石塚先生の身辺について、藍ヶ崎大学の学内で聴き取り調査を進めているらしいのだが、転落死事案の四、五日前に「キャンパス付近で写真の男性を見掛けた」という証言を、学生数名から得ていたという。


 しかもこの男性は、石塚先生が亡くなった当日、兼城駅前の同じビジネスホテルで部屋を予約していたらしい。

 先生が建物から転落した直後に行方をくらましているが、それまではそばで付きまとっていた可能性もあるようだった。

 私は、思いも寄らない事態を知らされ、当惑を禁じ得なかった。



「これは別段、捜査上の秘匿事項ではないからお話しますがね――」


 と前置きしてから、馬場警部補は眉根を寄せつつ言った。


「押尾さんの遺体が発見された八月六日当時、彼の所有する軽自動車は藍ヶ崎大学キャンパス内にある駐車場に停められていたんです。ところが新委住の山道付近は、藍大の敷地からだと多少離れたところだし、これと言って何か目ぼしいものがあるわけでもない。一方で遺体発見現場の地面には、押尾さんが履いていたスニーカーのそれと、完全に一致する足跡が見付かっている。つまり押尾さんは、大学に車を駐車したままで、わざわざ自分の足で現場まで歩いていったようなんです」


 押尾の軽自動車は、以前に私も何度か同乗させてもらった車だ。

 大学の駐車場に置かれていたという事実は、すでに押尾の家族なら知らされていたのだろう。

 また現場に押尾の足跡が残されていた点も、実はとっくにワイドショーなどで取り上げている既報らしい。そういった番組は視聴しないから、知らなかった。


 ただそうした話を聞かされると、なるほど警察の捜査も方向性に得心がいった。

 取り立てて何もない山道付近まで、あえて徒歩で移動した背景を想像すると、面識がある何者かに誘い出されたという推測が有力そうに思われた。実際に警察もそう考えたから、藍ヶ崎大学関係者をはじめ、私や曽我さんのような、押尾と接点があった人物の関係性を中心に洗っていたのだろう。


 さて一方では、石塚先生の死を巡る捜査の過程で、監視カメラに不審な紫シャツの男性が写り込んだ。

 その人物が先生に付き纏っていたらしいこと、押尾の遺体発見から然程さほど時間をおかずに事件が続いたこと、押尾が先生の教え子であることなども踏まえて、警察は紫シャツがいずれの事案にも関与した疑いを持っているようだった。藍ヶ崎大学周辺で姿を目撃されていたのなら、猶更なおさらのことと察せられる。


 と同時にそれとなく憶測されたのは、押尾の遺体発見現場の周辺には監視カメラが設置されていなかったのではないか、ということだ。「目ぼしいものがあるわけではない」場所なら、それもいたし方ない。

 だから警察としては、紫シャツを認識するまでにも、石塚先生が亡くなった現場を捜査するのを待たねばならなかった。

 さらに私は、もしかすると星澄市で女性塾講師が亡くなった現場にも(あの事件も一連の事案と関連があるとすれば)、監視カメラがなかったのかもしれないと考えた。あちらの遺体発見現場は報道によれば、住宅街で人通りの少ない路地だという。然らば、いかにもあり得そうなことだと思った。



「もう一度、よく思い出してみてくださいよ浅葉さん。こいつは先生やご友人を殺害した容疑者かもしれない男なんです」


 馬場警部補は、私の顔をのぞき込み、繰り返し問い質してきた。

 こちらを正面から見据える視線は、口振りと同様に熱っぽい。

 警察側が写真の男性に犯人の当たりを付けて、押尾や石塚先生に近い人間との接点を、懸命に探っているのが伝わってきた。


 ……だがやはり、今一度思い返してみても、写真の男性に見覚えはない。

 改めてそう答えると、馬場警部補は目だけで桂田刑事と合図を交わした。

 それから憮然とした面持ちで、「そうですか、残念です」とつぶやく。



 もっとも質問は、まだそれで終わりではなかった。


「あと一点だけ、訊かせてください」


 幾分思案気な素振りを見せてから、馬場警部補はおもむろに付け足す。



「浅葉さんは『泥の死』という言葉について、何かご存じじゃありませんか」



 ――泥の死。


 私は、奇妙な響きの短い言葉を、口の中で反芻はんすうした。

 しかしまるで聞き覚えがないし、どのような意味を帯びているかもわからなかった。

 困惑して、おちからになれず恐縮ですがわかりません、とまたしても回答した。

 馬場警部補は、紫シャツの男性の件とは異なる反応で、深く追求してこなかった。


「実を申しますと、石塚先生はビジネスホテルから転落した直後、わずかなあいだは意識があったそうなんです。それで息を引き取る前、最期にらしたのが今の言葉らしい。ですが私らには、どういう意味なのかさっぱり理解できません。普通に考えて、他殺された人間は事件の手掛かりを伝えようとするのなら、大抵は推理小説みたいなわかりにくいメッセージなんか残そうとせず、直接殺人犯の名前をつぶやくもんだろうと思うんですがね……」


 警察側は「泥野どろの新太郎しんたろう」というような氏名の人物がいないか、念のために調べてみたという。

 もしかしたら石塚先生が似通った名前を、死に際に言い切れないで、別の言葉として伝わったかもしれないと考えたからだ。

 だが少なくとも先生の身近には、そういった名前の人物は存在していなかった。


 そこで次は「泥の死」というのが、石塚先生と親しい人間のあいだでだけ、特別な意味を持つ符丁のような言葉かもしれないと見立てたらしい。私に何か知らないかといたのは、そういうことだったようだ。

 ちなみにインターネットで検索すると、最上位に表示される検索結果は「泥の死仮面デスマスク」という言葉なのだとか。仔細に調べたわけではないそうだが、山田やまだ風太郎ふうたろうの『甲賀忍法帖』に登場する忍術の名称らしい。



「……いや、今日もまたお時間を取らせてしまって、申し訳ありません。ご協力に感謝しますよ浅葉さん」


 馬場警部補は感謝の言葉を口にすると、質問を切り上げる。

 それから辞去の意を示し、桂田刑事もならうようにうながした。




     〇  〇  〇




 曽我さんから借りている家の三和土たたぎで靴を履き替える際、桂田刑事は少しだけふら付いた。

 上がりかまちの段差で、足元を見誤ったらしい。最近は寝不足で、よくつまづいたりするそうだった。

 桂田刑事は、ちょっとはにかんで苦笑いを浮かべていた。


「もう八月も終わり頃だっていうのに毎晩蒸し暑くて。何だか夜中に夢見が悪いんですよね」


「ここのところ仕事でクソ忙しいくせして、たまに家へ帰ってもすぐ寝ないせいだろ。おまえのそれは自己管理の問題だよ、徹夜せずに済む日は普通に休め」


 馬場警部補が眉根を寄せて、苦言を呈していた。


「こないだだって、ハードディスクに録画が溜まっていた大河ドラマをまとめて三時間ぶっ通しでみたって言っていたじゃねぇか。捜査に支障が出るから、趣味もほどほどにしろってんだ」


「いやあ馬場さん、今年の大河は歴史ファンとしちゃ大当たりなんですよ。僕はね、今回のヤマを挙げたら、絶対京都に行きますからね。聖地巡礼ってやつです」


 桂田刑事は、悪びれる様子もなく、事件解決後の計画を打ち明けた。

 私は、甘い面立ちの印象からすると、刑事は少し意外な趣味の持ち主だったのだな、と密かに思った。どちらかと言うと、夏場なら京都の寺社仏閣などより、湘南の海辺の方が似合いそうな人物だと感じていたからだ。



 馬場警部補と桂田刑事が立ち去ったあと、私は家の中へ引き返した。

 それから居間でテーブルの前に座り、内心不吉な予感を抱いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る