32:九月二二日(日)/陽乃丘/日和祭

 九月二一日の土曜日、私は大柿谷栄三丁目の地下鉄駅で、皆月と顔を合わせることになった。

 皆月はこの日から、大柿谷公民館での学習ボランティアに従事することになっていたからだ。


 桂田刑事が亡くなった一〇日前の出来事以来、皆月は藍ヶ崎駅前のボランティア事務所へ通うのが心理的に辛くなったらしい。

 かつて私も倉庫の単発バイトで怪異と遭遇してから、申し込みにくくなった経験がある。だから心情はよくわかるし、それが惨劇を目撃した場所なら猶更なおさらだろう。

 それでしばらくボランティアに携わる際は、活動の参加地域を変更してもらったという。


 なるほど、大柿谷公民館でも同様の活動が実施されているとは聞いていた。だが皆月がここへやって来るようになるとは、これまでに思ってもみていないことだった。

 もっとも地下鉄駅から公民館までの移動はどうするのかくと、皆月からは徒歩で通うつもりだという返事があり、いささか面食らった。たしかに行き来が不可能ではないが、楽な距離とも言いがたい。

 さらに言い足すなら、大柿谷が藍ヶ崎駅前より安全な場所かは疑わしかった。

 私は借家で就寝時に何度も悪夢をていたわけだし、過去には倉庫以外にもバスの車内で怪異と出くわしていた。取り分けバスでの遭遇は、公民館からの帰宅時だった。


 とはいえ私も皆月も、今後物理的に近い距離で活動することになる点は、一面の事実である。

 だから「非常時にどちらかが助けに駆け付けやすい」という部分について考えるなら、皆月が大柿谷でボランティアすることは、多少なりと気休めになりそうではあった。



 いずれにしろ皆月の移動手段に関しては、やはり曽我さんに相談した方が良い、と意見せずにいられなかった。

 それで私から連絡を入れて、もう一台自転車を余分に貸してもらえませんか、と問い合わせた(皆月が公民館へおもむく日に私も外出する場合が想定されるため、どうしても二台必要だった)。

 幸いにして曽我さんは他にも自転車を保有していたので、突然の頼み事にもふたつ返事で承知してくれた。

 かくして皆月が乗る自転車は、私が起居する借家で預かることになった。これで皆月は公民館まで行き来する際にも、いくらか不安がましになったと思う。


 尚、ボランティアがはじまるのは、午後二時からだそうだった。

 私と皆月は、正午過ぎに待ち合わせして合流した。それから、自転車を取りに行くため、私の借家まで案内する。

 ただし、その前に地下鉄駅から程近い中華料理店に立ち寄った。ひとまず昼食を済ませておくことにしたからだ。

 テーブル席に差し向かいで腰掛け、レタスチャーハン、麻婆茄子マーボーナス餃子ギョーザを注文し、各々小皿に取り分けた。



 食事しながら会話するうち、ほどなく話題は怪異に関する内容になっていった。


「そう言えば三日前、新委住の河川敷で男女二人の遺体が発見されたっていうニュースがあったけれど、浅葉くんは知っている?」


 皆月は、麻婆茄子を蓮華レンゲすくいながら言った。

 問い掛けにうなずき、それならネットの記事で見掛けた、と答えた。

 最近は藍ヶ崎関連のニュースを、毎朝極力調べるようになった。


「実はネット上で今、二人のうちの女性の方は滝多うららなんじゃないかって、噂になっているみたいなの」


 滝多うらら。

 女性の人名を聞いて、私は少し考え込んだ。

 それから、たしか滝多うらら氏というのは、以前に皆月から教えられたスピリチュアル系動画の配信者だったはずだ、と気が付いた。

 皆月は、こちらの反応をたしかめてから、先を続けた。


「それでね、もう一人の男性は、きっと支倉凱という人だろうって言われている。……ええと、支倉凱の方は何でも、オカルト系雑誌に心霊現象の取材記事なんかを書いたりしている、フリーライターみたいで。滝多うららとは前々から懇意こんいにしていて、関東圏の心霊スポットを昔一緒に巡ったこともある人物だそうよ」


 さらに皆月がネット上で情報収集したところによれば、滝多うららと支倉凱は九月九日の午後八時から『滝多うららの心霊ちゃんねる』でライブ配信を実施していたらしい。

 その配信の中で、二人は翌日から藍ヶ崎市へ赴き、怪異に関する取材を行う予定だ、と話していたそうだった。

 思い返せば、滝多うらら氏は過去の動画で、押尾や石塚先生、それと女性塾講師が亡くなった事件には、怪異が関係していると主張していた。そこにオカルト雑誌のライターが同調し、現地取材を提案したとしても、それほど妙な話ではない気がする。


 ――そうして二人は藍ヶ崎入りしたのち、何某なにがしか怪異を刺激するような行動におよんで、あたら生命を危険にさらしたのではないか。


 状況に基づく推測を述べてみせると、皆月もおおむね同意見だと言って深くうなずいた。

 次いで口元をわずかにゆがめたが、それが麻婆茄子の辛さのせいかはわからなかった。


「ただ浅葉くんの推測通り、滝多うららと支倉凱が行動を共にしていて、その結果本当に怪異に殺害されたとすると――あのカタツムリのお化けは、たとえが複数人で遭遇した場合でも、まとめて殺してしまうことはできるということよね。だから桂田刑事が殺されたときに君と私が同じ場所に居合わせたにもかかわらず、危害を加えられずに済んだのは、たぶんとても幸運だったんだわ」


 私は、餃子をはしで口の中へ運び、黙って何度もよくんだ。


 そう、たしかに私と皆月は運がいい。

 怪異と繰り返し遭遇したにもかかわらず、この時点でもまだ生きていたのだから。

 しかし無事で済んでいる要因は、単に幸運に恵まれているからだけではなかったことを、のちに知ることになる。




     〇  〇  〇




 九月二二日の日曜日。

「捌芽祭り」の実行委員会は、「日和祭ひよりさい」と呼ばれる神事をり行った。

 今回実施される場所は、耶泉神社ではなく、陽乃丘の雨柳神社だ。

 陽乃丘は大柿谷の南側に面する隣接地域で、雨柳神社は祭り期間中に重要な役割を担う場所である。メインイベントの「曳山ひきやま送り」で、耶泉神社を出発する曳山は、雨柳神社を初日に目指す目的地としていた。


 本日の「日和祭」では、雨柳神社で祭りが開催される当日の好天を祈念する。

 例によって、午前中に運営幹部の面々が集い、宮司ぐうじが拝殿でおごそかに祝詞のりとを奏上した。

 また今回の神事には陽乃丘町内会の役員も、関係者への挨拶あいさつかたがた参加している。

 私も相変わらず見学させて頂いたが、祭りというのはつくづく事前の準備が多い。

 かくも様々な儀式をねば当日を迎えられないのだと、実地で改めて理解した。


 神事のあとは、改めて雨柳神社の境内を散策することも忘れなかった。

 ここの境内は、小高い山の上に位置していて、敷地の形状が独特だ。

 拝殿や本殿の脇には、ずらりと灯籠とうろうが並び、回廊状の道が通っている。

 さらに奥には、細い山道が緩やかに伸びていて、開けた先に楕円形だえんけいの土地があった。

 そこは台座のような小岩がある野原で、うっすらと不思議な気配がただよう空間だった。

 周囲の様子がやけに気になったので、スマートフォンで写真を撮影しておいた。



 拝殿の前まで引き返すと、町内会長の曽我さんが石造りの腰掛けに座っていた。帰路にく前にひと休みして、境内の景観を楽しんでいたらしい。

 私は、本殿の裏で見た野原について、何某なにがしわれがある場所なのですかと訊いてみた。


「……ああ、山道の先にある野原か。あそこで浅葉くんが見たというのは、『雨泣き岩』だよ」


 撮影したばかりの写真を提示してみせると、曽我さんは二、三度うなずきながら言った。

 実際に特殊な背景がある場所で、野原の真ん中にあった小岩が逸話の主体なのだった。


「昔は今より、もっと大きな岩だったそうなんだが、江戸時代後期かそこらに雷雨の日があったらしくてね。そのとき雷が当たって、雷鳴と共に凄い音を立てて砕けたという言い伝えがある。それが雨空に響く泣き声みたいだったからって、以来『雨泣き岩』と呼ばれているんだとか」


 曽我さんは、説明しながら声を立てて笑った。


「あとはそういう由来と関わりがあるかわからんが、あの岩の上に乗った子供は賢くなるとか、手先が器用になるとかいう口碑こうひも聞くぞ。嘘か真か雨泣き岩の御利益で、昔児童絵画コンクールに入賞したという男の子もいたそうだ。大柿谷みたいな田舎にはよくある俗信だろうけど、案外馬鹿にできんのかもしれんなあ」




 午後からは、青年団の面々と共に耶泉神社へ向かった。

 この日も先週と同じく、曳山制作の続きに取り組まねばならなかった。

 進捗状況は順調で、予定通りの完成が見込まれているようだった。


 ただし一方では、作業以外の部分で気掛かりなことがあった。

 集合時間を過ぎても、佐々岡さんが姿を見せていないのだ。


 ――いったい、佐々岡さんはどうしてしまったのか? 


 韮沢さんに訊いてみると、渋面で返事があった。

 半ばあきれているような、憮然ぶぜんとした口調だった。


「ササコーのやつなら、今日は来ないって話だよ。事前に連絡があった」


 軽くかぶりを振りつつ、韮沢さんは続けた。


「まあ無断欠席よりはいくらかましだが、それにしても困ったもんだ。何でもここのところ体調が悪くて、頭がくらくらするんだとか。どこまで本当なのか知らんがね……」


「いやあニラさん、おれが小耳にはさんだ話じゃササコーめ、先週から工場の仕事も欠勤しているそうだぞ」


 そこへ横から、青年団の男性の一人が口を挟んできた。

 韮沢さんも初めて知った事情らしく、「何だって?」と眉根を寄せて訊き返す。

 青年団の男性は、曳山の装飾物を作る手を止めることなく、さらに続けた。


「あんまりくわしくは知らんが、近頃毎晩のように悪い夢でうなされるんだとよ。前々からちょくちょくそういうことはあったそうだが、最近特に酷いらしい。夜中にちっとも眠れねぇで、朝も起きれず、家の外へ出る気になれねぇとかって話さ。まあ大方、世間に馴染なじめねぇやつの苦しい言い訳だろうがね。よくある引きもりっちゅうやつじゃ、あんなのは甘ったれのごとよぉ」


 かなり偏見の強い言葉で、佐々岡さんに対する印象を断じていた。

 しかし韮沢さんはそれを聞くと、深く嘆息をらし、頭を抱えているようだった。佐々岡さんのご両親から世話を頼まれている手前、事態を放置するわけにもいかず、困っているのだろう。



 だが私はそれより、佐々岡さんが「悪い夢にうなされている」という点について、密かな戦慄を覚えていた。

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