09:八月一〇日(土)/大柿谷/訃報
この年の盆休みは、世間一般に本日八月一〇日からはじまる例が多いようだった。
午前八時半頃のこと、私のスマートフォンに平穏を
借家の居間を掃除中だったが、家事の手を止め、スマホの待ち受け画面をたしかめた。
発信者は、曽我さんだった。メッセージアプリの通話機能ではなく、キャリアの電話番号から掛けていた。
私は、何か嫌な胸騒ぎを覚えつつ、着信に応答した。
「もしもし浅葉くんかね? 朝からすまんね」
スマホのスピーカーの向こう側から、曽我さんの深刻そうな声音が聞こえた。
「突然だが、浅葉くんは毎日朝刊を読んでいるかね。それともインターネットとかで、ニュースの記事を
私は、曽我さんがいかなる話に触れようとしているか、皆目見当が付かなかった。
インターネット上のニュース記事は定期的に閲覧していたものの、片っ端から目を通しているわけではない。仮に地方紙の社会面でしか報じられないような、ごくローカルな話題であれば、まず把握していなかった。
それで、何かありましたか、と私は幾分戸惑いながらたずねた。
曽我さんは返事を聞いて、まだ何も知らないようだと察したらしい。
「どうか、落ち着いて聞いてください」と前置きしてから、先を続けた。
「つい先日から、押尾くんの行方がわからないそうなのです。それでご家族が心配して、警察に捜索願を届け出ていたのですが、新委住の山道付近で今月六日に若い男性の遺体が見付かった。まだ死亡男性の身元は確定したわけじゃないが、遺留品から押尾くんの可能性が高いようで」
曽我さんはひと言ひと言、
「つまり、何があったかわからないが、押尾くんは亡くなったらしいのです」
私は一瞬、曽我さんの報せが意味するところを、正しく理解しかねて言葉を失った。
――押尾が死んだ……?
ぼうっとした頭の中で、伝えられた言葉を
曽我さんは無言の反応を心配したらしく、「なあ浅葉くん、大丈夫かい」と問い掛けてきた。
それに私は辛うじて、ええ、はい大丈夫です、とだけ答えた。
こちらの返事を聞いてから、曽我さんは沈痛そうな口調でさらに続けた。
「とにかくそういうわけで、すでに君が押尾くんの件を知っているか、もし知っているのなら今どうしているか確認したくて、電話してみたんだ。ただ発見された遺体は詳しい死因だとかも、現時点ではよくわからないらしい。警察の見解だと、他殺の疑いが強いということではあるようだが。……実は昨日、わしの自宅に刑事が来て、あれこれと事情を聴き取りしていった。何でも生前の押尾くんと親しそうな人には、みんな同じように話を聞いて回っているんだと。仮に発見された遺体が押尾くんじゃないにしても、彼が何らかのかたちで事件に巻き込まれたのは間違いないようだからね。ああ、ひょっとしたら、浅葉くんのところにも今日辺り、警察が行くのかもしれないな」
曽我さんが電話をくれたのは、単に押尾の死を伝えることだけが理由ではないようだった。
私は押尾と取り分け親しかったから、動向が気掛かりだったのだろう。自分が家を貸している相手でもあるし、万が一にも事件に関与している可能性を心配したのかもしれない。私は最近、藍ヶ崎市に滞在しはじめたばかりで、ある種の余所者だから、曽我さんの心情もわかった。
もっとも私の事件に対する反応と接し、曽我さんは取り越し苦労と感じ取ったらしかった。
「しかし押尾くんが誰かに殺されてしまうなんて、わしにはちょっと信じられないよ。あの子は真面目で穏やかな性格だったし、とても他人の恨みを買うような人間だと思えんからね。犯人は無差別に人を襲う殺人鬼の
曽我さんの話をスマートフォン越しに聞きながら、私はテーブルの前に座って、ノートPCに電源を入れた。
ブラウザで検索サイトにアクセスし、新委住の殺人事件に関する記事を探す。
適当な検索ワードをいくつか打ち込み、何度か調べてみると、
[ 藍ヶ崎市新委住の山道付近で、成人男性の白骨遺体を発見 ]
[ 発見された白骨遺体 二〇歳前後の男性か 藍ヶ崎市新委住 ]――……
被害者の実名は、記事上で公表されていなかった。
しかし曽我さんの話を踏まえて、本文の中の「成人男性」というのは、他ならぬ押尾聡のことなのだと理解した。
現場付近の山道に関しては、多少の心当たりがあった。たぶん、高台の郷土史料館方面に続く市道のことだろう、と見当が付いた。押尾に市内を案内してもらった際、車で通り掛かった記憶があった。藍ヶ崎大学とも近く、敷地から歩いていけるほどの距離感だったはずだ。
ただいずれにしろ一読して、私は文意に強烈な違和感を覚えた。
記事の中には、遺体が「発見時、すでに腐敗が進行し、白骨化していた」とあった。
遺体が白骨化するのに必要な期間は、諸々の環境条件に左右されるのだが――
たしか夏場であれば、早くても一週間から一〇日程度のはずだからだ。
そうして遺体が発見されたのは、八月六日午前九時半だという。
にもかかわらず、押尾聡は八月一日に私と行動を共にしていた。
それどころか翌二日の夜にも、メッセージアプリで簡単なやり取りがあったように思う。
とすれば少なくとも、押尾は八月三日頃には生存していたものと考えられるわけだ。
遺体が発見された同月六日までは、都合三日間。遺留品にスマートフォンが含まれていれば、各種通信の履歴をたどるだけで、そうした経過は容易に把握できるはずだった。
たったそれだけの期間で、どのように遺体は白骨化したというのだろうか……?
仮に発見された遺体が押尾聡だとした場合、警察が死因や殺害方法を把握できていないのも、結局その点に関する謎が解けないからに違いなかった。
たとえ白骨遺体と言っても、実際には完全に骨だけになっているわけではない、と聞いたことがあった。大抵は腐敗した皮膚や筋肉が骨に
だが科学捜査しても、根本的に従来の常識が通用しない事案には、結論が下せないのだろう。
それから、今後遺体がどのように扱われるかに関しても、曾我さんは電話口で教えてくれた。
差し当たり遺体は歯型の照合で、現在身元の確認を急いでいること。
遺体が押尾と特定されれば、すぐにも遺族へ引き渡されるらしいこと。
通夜は遺体引き渡しの翌日に営まれる予定だということ、など……。
また告別式が
ひと
私は、部屋の中に突然、冷たい静けさが広がったような感覚に囚われた。
ようやく少しずつ、心が落ち着きを取り戻し、それにつれて思考力も回復しはじめた。
とはいえ友人の急逝という事実に対しては、まだ受け入れ
――なぜ自分はここ一週間弱、もっと押尾としつこく連絡を取ろうとしなかったのだろうか。
私は、押尾とのやり取りが不足していたことを、このときになって
八月三日以降にメッセージを送信したのは、私から一度だけ。通話は一切していない。
押尾にもアルバイトや彼自身の活動があるし、それなりに忙しいのだろうと勝手に思い込んでいた。かてて加えて、私の都合にばかり付き合わせるのも悪いと感じていたせいだ。
だから頻繁に連絡を入れるのも迷惑になると考え、受け身の姿勢を取り続けていた。
しかしもしかしたら、最後のメッセージに返信がなかった時点で、押尾の反応に疑問を持っておくべきだったのかもしれない。
そうすれば、いち早く異変に気付き、彼を救うことができていたのではないか――……
私は
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