16:八月二六日(月)/新委住/相談(1)

 押尾聡の告別式から、この日で丁度一〇日が経過した。


 あの日知り合った皆月初花とは、その後幾度か連絡を取り合っていた。

 まだ簡単な自己紹介しか交わしていなかったので、まずは自分が体験した悪夢に関し、互いにメッセージアプリで詳しく内容を説明した。それによって差し当たり、それぞれ相手が睡眠時にいかなる心的現象を味わったのかを、おおむね把握できたように思う。


 もっともメッセージアプリには通話機能もあるとはいえ、基本的にやり取りの大半は活字だけでされた。細部の状況などには伝え切れない要素があり、それだけで十全な情報共有に至ったとは言いがたかった。

 ましてや私は睡眠中ばかりか、それ以外の平時もここまでに二度、夢の中でた化け物と遭遇していた。

 一方の皆月は幸いにして、今のところ夢に現実が侵食されたようなことはないそうだから、この点に関しては経験の差異があり、認識のり合わせは容易ではなかった。



 そこで私と皆月は再び直接面会し、改めて二人で悪夢の件を話し合うことになった。

 週明けの平日が選ばれたのは、皆月が前日の日曜日に予定を入れていたためだ。


 皆月は、大学のボランティアサークルに所属していて、しばしば無償で小学生に勉強を教えているのだった。

 いわゆる学習ボランティアと呼ばれる活動だ。学習意欲があるにもかかわらず、主に経済的な事情から塾通いができない児童を対象として、教育機会を創出しているのだそうだ。

 活動理念は「経済格差から生じる教育格差をわずかであれ解消し、より大きな社会格差を埋めるために貢献する」というものらしい。

 そう言えば、大柿谷の公民館でも同じようなボランティアが実施されているな……と思ったのだが、何気なく話題に出してみたところ、そちらも皆月が参加している組織が実施している活動だと教えられた。


 押尾は生前、学習塾でアルバイトしていたが、この地域では藍ヶ崎大学の学生に子供の勉強を見てもらいたい、と考える親が少なくないようだった。県内に限れば一番有名な国立大学だし、ローカルなブランド力があるのだろう。

 ゆえに皆月が属するサークルの活動にも一定の需要があって、地域住民から支持を集めているらしかった。



 ただ素朴な疑問として、なぜ皆月は教育サービスを、アルバイトではなくボランティアで提供しているのかが、少し気になった。それで野暮と思いつつもメッセージで質問してみると、殊勝な回答が返信されてきた。


【 うい 】 : お金をもらって教えていると、たぶんその子の成績が伸びないときに責任感じて辛くなるから


 皆月としては、ボランティアの活動理念に貢献できれば充分で、金銭的な対価は求めていないという。なるほど、押尾のアルバイトと類似した活動にたずさわっていても、根本的な動機はかなり異なるようだ。



 何はともあれ八月二六日の午後一時二〇分頃、私は電車で藍ヶ崎市新委住に到着した。

 皆月との待ち合わせ場所は、駅前近傍きんぼうの喫茶店だった。JR新委住駅の構内を出てから、徒歩で五分と掛からない繁華街にそれはあった。照り付ける夏の日差しから逃げるようにして、足早に入店した。

 店内は、渋い木目の内装で統一されていて、落ち着いた雰囲気だった。隅のボックス席を見ると、栗色のロングヘアに見覚えのある女性が着席していた。


 皆月だった。今日は当然喪服姿ではなく、ペールカラーのワンピースを着用している。レースのえりとショートスリーブが涼しげだった。まだ所定の時刻までは余裕があるはずだが、先に来ていたらしい。テーブルの上には、飲み掛けのアイスダージリンティーが乗っていた。


 そちらへ歩み寄って挨拶あいさつしてから、待たせたことを率直にびた。

 しかし皆月は、勝手に私が早く来ていただけだから、と大らかに応じてくれた。

 私は向かい側の席に腰掛けると、店員を呼び、アイスコーヒーを注文した。

 それが届いてから、本題に入る。



 まずは最近、どのような悪夢を、どの程度の頻度で視たかについて、互いに報告し合った。

 皆月は相変わらず、眼球に凝視される夢を、押尾の葬儀のあとも二度視たといっていた。

 頻度としては、たぶん一週間に一度か二度だが、実は昨夜未明もうなされていたらしい。


 私は睡眠時以外で、悪夢の中と同じ状況に出くわした際のことを中心に伝えた。

 取り分け二度目の、バスの車内に化け物が出現した出来事に関して、記憶にある限りの体験を説明した。夢の中と異なり、明るい場所での遭遇だったこと。眼球の裏側には、触手らしきものが存在していたこと。しかし触手の根本がどうなっているのかは、座席の物陰になっていて見て取れなかったこと、など……。



 ひとしきり情報交換が済むと、皆月はさすがに憂鬱ゆううつそうな表情をのぞかせていた。


「あの目玉がまさか、現実世界に現れたりするだなんて。もし同じような場面に出くわしたら、どうしよう」


 皆月の不安は、もっともなものだろう。

 夢の中の化け物が現実世界に出現することにより、何がどうなるかは判然としていなかった。

 今のところ私の身には何事もないが、それは単に運に恵まれていただけかもしれなかった。

 今後もまた、同様の怪奇現象に遭遇して、尚も無事でいられる保障はない。


「もしかしたら押尾くんも、亡くなる前に現実世界でお化けと出会っていたのかしら……?」



 皆月は、手元のティーグラスを見るともなしに見詰めながら、心細げな声音でつぶやく。

 いかにもオカルトめいた連想だが、笑い飛ばす気にはなれなかった。まさに私が自らの体験をかえりみて、可能性を否定し切れない末路のひとつこそ、化け物に生死を左右されることだろう。


 そもそも私と皆月は、そうした不吉な予感を持つ者同士ゆえ、互助的な動機で面会しているのだった。少なくとも、謎の怪死を遂げた友人と、類似した悪夢を共有しているという状況には、心楽しむ要素がない。



「そう言えば、学習ボランティアの活動をしているとき、勉強を教えている子供たちから聞いた話なんだけれど」


 皆月は、そこまでのやり取りを踏襲しつつ、話題を発展させようとしてきた。


「どうやら、小学生の中にも私たちと同じ悪夢を視る子がたまにいるみたい。これまではSNSで発信されている投稿ぐらいにしか目が向いていなかったせいで、ごくせまい範囲の大人だけしか共有夢に困っている人を捕捉できていなかったけれど。あのお化けには、想像以上に色々な人が悩まされているのかも」


 いささか驚きを禁じ得ない情報だった。

 皆月の話が事実なら、悪夢の対象者となる条件には、年齢的な下限がなさそうだからだ。

 大人でさえ不快さを覚える夢なのに、子供ならどれほどのストレスを感じるのだろうか。



 と、皆月はおもむろに自分のスマートフォンを取り出し、手早く画面をタップしはじめた。

 直後に私のスマホへ着信があり、確認すると彼女から簡単なメッセージが届いていた。

 本文には、WebサイトのURLが二つ載っていて、リンクが貼られていた。


「それでね、悪夢を視る子供のことを踏まえた上で、今送ったメッセージからリンク先の記事を読んで欲しいの」


 皆月にうながされるまま、私は紹介されたWebページを開いてみた。


 最初の記事は、ローカル紙『星藍日報』二〇二×年八月一二日に更新されたページで、隣町の事件を報じたものだった。「星澄市雛番の住宅街で、二〇代女性の変死体を発見。塾講師か」という見出しが付いている。

 次の記事は、匿名ブログサービスで公開されている、投稿者不明のエントリだった。タイトルは「最近子供が通う塾や小学校で、怖い夢の噂が広まっているらしい」。公開日時は二〇二×年八月一八日となっていた。


「ボランティアサークルで勉強を教えている子供たちの中には、押尾くんがアルバイトしていた学習塾に通う子と、実は同じ学校で知り合いだっていう児童もいるの。押尾くんが講師を務めていた塾は、<星峰館せいほうかん>グループっていう教育支援企業が経営していて、S県内ではけっこう有名なところ」


 私がスマホで記事にざっと目を通すと、皆月は神妙な口調で言った。


「学習ボランティアの教え子伝手づてに聞いた話とも、よくよく照らし合わせて考えてみたけれど。今紹介した匿名ブログに書かれている大学生って、たぶん押尾くんのことで間違いないと思う」


 咄嗟とっさにどのような感想を述べるべきか判断が付かず、私はわずかなあいだ言葉を失った。

 匿名ブログの記事では、押尾と女性塾講師が同じグループ企業の塾で働き、どちらも例の悪夢に悩んでいた旨が指摘されている。女性塾講師のことはわからないが、押尾が悪夢を視ていた点に関しては事実だった。



「ねぇ浅葉くん、どう思う?」


 皆月はこちらの顔を覗き込みながら、意見を求めてきた。


「やっぱり押尾くんや塾講師の女性は、同じような悪夢を視ていたせいで、どちらも生命が危険にさらされたのかしら……」


 私は殊更ことさらに沈思してから、可能性は否定できないがわからない、と答えた。

 匿名ブログの投稿者も主張する通り、殺人事件の原因が共有された悪夢だという見方は、都市伝説やオカルトの範囲に属する連想だろう。科学的な推論とは言いがたい。


 とはいえ私は「悪夢の中に出てきた化け物と、現実世界でも遭遇し得る」ことを、自らの経験として知っていた。

 差し当たり現時点までは、死に至らしめられる事態をまぬかれてはいるものの、仮にもっと危機的な状況が現出した場合はどうなるのか……と、不安になった。

 だが押尾や女性塾講師の死と悪夢の因果関係について、このとき明らかな証拠はなかったからわからなかった。


 不明と言えば、そもそも似通った悪夢を、に関しても、原因は皆目わかっていなかった。

 押尾は当初、藍ヶ崎大学関係者のあいだで悪夢を共有する現象が生じていると考えていた。

 しかしその仮説は、他大学に在籍する私が同じ夢を視たことで、ただちに否定されている。


 年齢や性別に関する共通点も、そこには存在していない。

 私や押尾、皆月は学生だが、藍大社会学部の石塚准教授は四〇代半ばだ。一方で年少者では、小学生の中にも同じ悪夢を視た児童が存在している。全体の男女比はわからないが、男性ばかりでなく、皆月や死亡した塾講師のように女性も含まれる。強いて職業の面で言えば、学生や教育関係者が多い印象だが、そこへ小学生も加えていいかは悩ましい。

 唯一合致するのは、全員が一度は何かしらのかたちで、「藍ヶ崎」という土地と縁を得ている点ぐらいだろうと思われた。



「それにしても私たちが視る悪夢って、いったい何の意味があるのかしら」


 皆月は、グラスの中の冷たい紅茶を、ストローでき混ぜながら言った。


「いえ、実際にはきちんとした意味なんて、睡眠中に視る夢には何もないことがほとんどなんでしょうけど……。でも複数人が同じ夢を持続的に視ている状況って、やっぱり特殊だと思うの。そういう場合に限れば、やっぱり何かしらの意味や理由がそこにあるような気がしちゃって」


 皆月の意見には、どちらかと言えば私も同感だった。

 同じ悪夢を共有する現象に関して、それが科学的なものであれ、都市伝説やオカルトに属するものであれ、やはり何かしらの原因があると考えたかった。まったく無差別な不運に見舞われているより、まだしも救いがある。あるいは問題の根底にある部分を突き止めれば、解決の糸口が見えるかもしれない。


 もっとも、この日の段階では、私たちの身に降り掛かっている災難について、あまり断定的に語れる要素はなかった。

 とりあえず今後も手掛かりを収集し、可能な限り考察を続けていくしかない、と私は考えた。

 ただそのあいだにも、きっと悪夢を何度も視ることになるだろうし、得体の知れない化け物と接触することにもなる予感はあった。新たな死者が出るおそれもあるし、もしかしたら次のそれが私や皆月になることも考えられた。


 そう思うと、私もやはり気が重かったし、皆月にしても同じだったと思う。

 結局、二時間程度やり取りしたあと、私と皆月は喫茶店を出て別れた。

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