30:九月一五日(日)/大柿谷/幟樹立と降神祭

 桂田刑事の死亡事案に関しては、トラックとの衝突直後からSNSで、様々なユーザーが発言を投稿していた。

 当時偶然居合わせたという人物の所感は言うまでもなく、現場の写真や動画のアップロードをはじめ、彼に事件と認定された場合は加害者にどのような量刑が該当するかの解説の他、実際に現場から逃走する不審な人物を見掛けたという胡乱うろんな情報などが散見された。

 またトラックにかれる直前の様子を目撃していたという人物も現れ、桂田刑事はその際に「突然拳銃を抜こうとしていた」と書き込んだ。そのため殊更ことさらに不穏な憶測が飛び交い、各所は一時騒然となった。あまりに不確かな風聞が多かったせいで、テレビや新聞こそ踏み込んだ報道は避けていたものの、一部のネットユーザーやゴシップライターは一斉に飛び付き、Web上であることないこと書き立てていた。


 さらにまた、そうした投稿の中には「桂田刑事は亡くなる一週間ほど前から、藍ヶ崎中央界隈で別の事件の捜査に従事していたのではないか」と見立てているものもあった。

 現場付近のコンビニエンスストアで、桂田刑事らしき男性が警察手帳を提示し、従業員に質問している様子を見掛けたという書き込みが数件確認されたためだ。そうして、どうやら桂田刑事は亡くなる直前まで人捜ひとさがしをしており、対象の足取りを藍ヶ崎中央でつかみつつあったようだ……と、推量混じりに発言するユーザーも現れた。


 最近藍ヶ崎署の警察が行方を追っていた人物と言えば、私にとって最初に思い出されるのは「笠霧市で石塚先生が亡くなった際、防犯カメラに映り込んでいた紫シャツの男性」である。

 桂田刑事はあの男性の消息を、藍ヶ崎中央で捕捉しつつあったのかが気になった。



 ところで私はあの事故直後、失神した皆月を抱えて、すぐ近くの喫茶店へ飛び込んだ。

 そこで店主に頼んでボックス席をひとつ貸してもらい、皆月が回復するまでしばらく待った。

 残念だが予約していた郷土料理店はキャンセルし、皆月が意識を取り戻すと、彼女をいたわって帰路にいた。


 喫茶店を出る際には、警察の目を避け、現場付近から足早に離れた。

 あの場に私や皆月が居合わせていたとわかれば、他の事件と関連付けられ、警察の無用な邪推をまねきかねないと考えたからだ。

 尚、のちに噂は事実であり、桂田刑事は一週間前から付近の捜査を続けていたことが判明している。だからトラックに轢かれる場面と遭遇したのは、純粋な偶然ではなくて、いずれあり得る可能性だったのだろう。

 しかし余計な嫌疑を掛けられるのは、無論望むところではなかった。


 それと念のために翌日、皆月は病院で検査したようだが、幸い身体に不調はなかったという。




 かくして私と皆月は、桂田刑事の死亡現場に居合わせたことにより、初めて怪異が直接人間を殺害する瞬間を目撃した。さらにもうひとつ付け加えるなら、それは自分以外の人間が襲われる場面を、じかに初めて目の当たりにする経験でもあった。

 同時に自らの体験と照らして、ひょっとすると桂田刑事も怪異の悪夢にうなされていたのではなかろうか、という推測を抱かざるを得なくなった。思い返せば少し前、桂田刑事は寝不足気味だと言っていた。


 また一方で押尾や石塚先生、それから面識はないが女性塾講師も、おそらくはあのカタツムリの化け物によって殺されたのであろうと、確信を持つに至っていた。

 それは取りも直さず、私や皆月も同じようにして、遠からず怪異に殺害されても不思議はないことを意味する。

 これまでにも一応の可能性を想定していたものの、最悪の想像が現実のようだと判明すると、やはり恐怖心や焦燥しょうそう感が明確に胸に湧くのを感じないわけにはいかなかった。



 もっともだからと言って、私も皆月も何をどうすることで対処すればいいのか、まるで見当も付かなかった。

 カタツムリと出くわすのが恐ろしいからと言って、たとえ居宅で引きもっていたとしても、怪異は閉鎖的な場所にも侵入してくる。夕刻以降の暗い時間帯に出現する場合が多いようだが、どうやら人目に付くような状況でもかまわず襲い掛かってくる。だがそれでいて、標的にされた人間以外には存在が認識できないらしい。

 カタツムリの化け物から逃れる術を、このときはまるで思い付かなかった。


 ――あるいは石塚先生が殺されたG県笠霧市よりも、もっと遠方の土地まで逃げれば、怪異の魔手は伸びてこないのだろうか。北海道や沖縄、または海外なら生き延びられるだろうか。


 試す価値はゼロではなかったかもしれないが、仮に以後同じ状況が続くとすれば、逃亡した先でどうやって生活していけばいいかは想像もできなかった。いずれ大学は中退を余儀なくされるだろうし、そうなれば将来の見通しも立たない。

 ましてやそれによって、確実に助かるという保証もなかった。



 それで私は結局、桂田刑事の死後二日が過ぎても、それまでと特段異なった行動を取ることができずにいた。

 たぶん皆月にしても同じで、不安を紛らわすために私とメッセージアプリでやり取りする回数が増したぐらいだろう。


 だから「捌芽祭り」で次の準備に参加する日が来ても、これまでと同様にフィールドワークの一環として、大柿谷の公民館へおもむくことになった。




     〇  〇  〇




 九月一五日は「捌芽祭り」の準備において、「のぼり樹立」と「降神祭こうじんさい」が実施される日だ。

 どちらの神事も耶泉神社ではなく、公民館に併設された建物の中でり行われた。そこに捌芽祭りの期間中だけ特殊な祭壇が組まれ、「大会所」と呼ばれる施設になる。


「幟樹立」は文字通りの儀式だ。午前九時丁度に大会所の前で、白い幟を立てる作業である。

 この幟は、祭神の御分霊ごぶんれいが降臨する際の目印と言われ、以後に続く神事へ移行する前の下仕事とされていた。

 そうして「降神祭」は、耶泉神社の宮司ぐうじが大会所で祈りを捧げ、御分霊を幣束へいそくに宿す神事だ。清祓きよはらえの儀式同様、祭りの運営幹部が祭壇の前に集い、正午を待って執行される。

 これらの儀式を経た翌一六日、週明けと共に「大会所開き」が実施されるそうだった。そこでは皆で、曳山ひきやまが祭りの期間中無事であるように祈念する。


 この日も町内会長である曽我さんのご厚意を得て、私は「幟樹立」と「降神祭」の様子を見学させて頂いた。

 ただしフィールドノートの記述が充実する一方、頭の隅からは怪異の件がずっと離れなかったのだが……。



 また午後からは例によって、耶泉神社で青年団の曳山制作に参加することになっていた。

 いよいよ土台部分の上に装飾物が乗せられ、全体の造形が見て取れつつある。祭神の人形以外にも、木組みの張り子、立て札、「滝」と呼ばれる布、角灯籠かくとうろうなどが飾り付けられはじめた。


 合間の休憩時間には、再びササコーこと佐々岡さんと会話する機会があった。

 今回は話題がプライベートなことに及び、余暇よかの過ごし方や趣味に関するやり取りになった。

 佐々岡さんは、工場の仕事が翌日休みになると、しばしば夜間に天体観測しているという。

 他にもチェスやパズル作りが好きだそうで、失礼ながらやや意外な印象を受けた。


 しかしながらその上で、前回より幾分くわしく身の上についてくと、実は都内の有名国立大学で情報工学を勉強していたらしいとわかった。新卒時に最初に就職した企業というのも、テレビゲームファンのあいだでは知る人ぞ知るゲームメーカーで、大作RPGの開発にたずさわっていたこともあったそうだ。


「あまり普段、こういうことは人前で話さないんですけどね」


 佐々岡さんは、ちょっと恥ずかしそうに言った。


「田舎暮らしの親世代には、ゲーム会社で働いていたなんて言うと、毎日遊んで金儲かねもうけしていたのかって怒り出すような人もいるんですよ。でもまあ浅葉さんはお若いし、都会育ちだから理解がありそうだ」


 ――都会は毎日が忙しくて、付いていくのに大変でした。


 佐々岡さんが先週らしていた言葉について、改めて反芻はんすうしてみた。

 その為人ひととなりを知ると、以前までより意味するところが滋味深かった。


 それでいて一方では、若干の当惑を抱かずにいられない。

 綿は、青年団の中で聞いた佐々岡さんの人物評と、じかに本人と話して感じた印象との乖離かいりを、どのように消化すべきかで迷っていた。



 休憩時間の終了後、私と佐々岡さんはそれぞれ持ち場に戻った。

 青年団の年長者が出す指示に従って、張り子作りを地道に手伝う。

 所定の大きさに切った紙を、木組みの上へ順に糊付のりづけしていった。


 そこへほどなく、三〇代前半ぐらいの男性が近付いてきて、こちらへ不意に声を掛けた。

 青年団の成員の一人だ。名前は、梶木かじきさんというはずだった。面立ちに見覚えがあった。


「よぉ浅葉くん。さっきササコーと楽しそうにやり取りしていたみたいだが、いったい何の話をしていたんだい」


 私は問いに対し、佐々岡さんとやり取りした内容を、作業のかたわら簡単に説明した。

 そうして、温和でなかなか教養がある人物のようですね、と率直な感想を述べる。

 梶木さんは、それを聞くなり、あからさまに鼻白んだ。


「ふん、教養ねぇ。まあ高校時代に勉強だけはよくできたって聞いたことはあるよ。しかし勉強ばっかりしていてもね、しっかり周りと合わせられねぇようじゃあダメさ。世の中を渡っていくにゃ、もっと学校で習うことより大事なもんはあるからね。だからあいつは使えねぇんだよな」


 佐々岡さんに関する人物評は、非常に辛辣しんらつで、容赦ようしゃがない。その後も何度か「本当にササコーは使えねぇ」と、ひとちるように繰り返していた。

 私は、その断定的な言い様に少し驚きつつ、そう言えば先週は別の男性も同じような人物評を口にしていたな、と思い出した。


「まあ浅葉くんもな、ササコーなんかとは付き合わねぇ方がいい。あんたは曽我さんと随分ずいぶん懇意こんいで、ニラさんからも目を掛けてもらっているみたいだから、一応教えておいてやるけどよ」


 どのように返事するべきか迷って、私は口篭くちごもってしまう。

 そのあいだに梶木さんは、そそくさとそばから離れていった。

 しばらく私は、いささか唖然あぜんとして、張り子作りの仕事に対する集中が乱れてしまった。

 だが少し間をはさみ、どうやら梶木さんの言葉は私を気遣きづかったものらしい、と気付いた。

 ここではおそらく青年団の空気を、愚直に受け入れる従順さが求められているのだ。



 このあと曳山制作は前回と同じく、午後九時まで続いてから終了になった。

 佐々岡さんは、やはり素早く帰路にいたようで、気付いたときには姿が見当たらなかった。

 私は帰り際、韮沢さんに挨拶あいさつしてから、境内を出た先の空き地にある駐輪場へ向かった。

 ここには今回も、曽我さんに借りた自転車で乗り付けていた。


 参道を進み、鳥居をくぐって、耶泉神社の境内を辞去する。

 そこから市道まで続く道の途中で、右手の脇へ少し逸れると空き地があった。

 駐車場と駐輪場を兼ねた場所で、体育館がひとつ建つ程度の面積がある。


 ……と、空き地の奥まで歩を進めたところで、付近に何かが動く気配を察知した。


 カタツムリの化け物か――

 と一瞬身構えそうになったが、以前に感じ取った不気味な印象はない。

 妙に思って立ち止まり、周囲を具に見回すと、雑木林に人影があった。


 そう、人影だ。たぶん怪異ではない、と私は直感した。

 目を凝らさないとすぐわからなかったのは、その人物が夜闇に紛れやすい、独特な服装だったせいだ。ましてや樹木の影があるから、付近は余計に暗さを増していて、視認しがたい。

 だがそれと把握した途端、私はあっと声を上げずにいられなかった。


 ――G県笠霧市で、石塚先生の死亡現場に居合わせた男だ! 


 間違いなく、馬場警部補から以前に見せてもらった写真の人物だった。

 黒髪で、紫色のシャツを着用しており、細身だが長身で、筋肉質な身体付き。

 まさかあの場面に写っていた際と、すっかり同じ服装とは思いも寄らなかった。



 私は、咄嗟とっさに雑木林の側へ駆け寄り、紫シャツの男性に声を掛けた。

 もしかしたら、相手は複数の殺人に関与した人物かもしれず、後々冷静に考えてみると、それはかなり危険な判断だった可能性もあった。だがこのときは、ほとんど反射的に行動していた。


 もっとも紫シャツは、制止の声を意にも介さず、そのまま雑木林の奥へ姿を消してしまう。

 あっという間に走り去ったらしく、たちまち暗闇の中に見失って周囲に静寂せいじゃくが訪れた。


 私は、空き地に取り残されて立ち尽くし、憮然ぶぜんとすることしかできなかった。

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