34:九月二三日(月)/藍ヶ崎香坂/聴き取り(3)

 佐々岡さんの死亡が確認されたあと、私や韮沢さんをはじめ、場に居合わせた数人は藍ヶ崎署へ出向くことになった。

 無論事件の参考人として、警察からの事情聴取に応じるためだ。ただし梶木さんは心身に異常のおそれがあると見做みなされ、いったん医療機関へ搬送されることになった。


 S県警藍ヶ崎署は、藍ヶ崎駅前近隣の香坂こうさかという地域にある。

 このとき任意同行に応じたことで、パトカーに搭乗するという貴重な体験を得た。

 聴取は各人別々に行われ、私の番が回って来るまでは約二時間待たされた。

 取調室へ通されると、二人の担当取調官が事件の話をくわしく問いただしてきた。


 取調官二人のうち、一人は押尾の件でも面識がある馬場警部補で、もう一人は初めて顔を見る人物だった。そちらの取調官は、おそらく二〇代半ばと見える小柄な男性で、最初に名刺を差し出してきた。丁寧な物腰だと思った。

 受け取った名刺によれば、内海うつみという名前の巡査部長らしかった。馬場警部補は触れなかったが、亡くなった桂田刑事の代わりに行動を共にしている刑事のようだった。



 事情聴取は当初、主に内海刑事が主導して進め、事件に関する様々なことをかれた。

 ときどき馬場警部補が補足的に質問をはさんできたが、桂田刑事の役目を内海刑事が担っていること以外は、過去の聴き取り調査と似たような状況で進行した。


 警察の質問内容は、佐々岡酒店を訪ねた経緯をはじめ、私と佐々岡さんの関係性、佐々岡さんの為人ひととなりに対する印象の他、大柿谷青年団や「捌芽祭り」のこと、曳山ひきやま制作に関することまで、かなり幅広かった。

 もっとも私自身についての質問は、押尾の件で聴き取りがあった際、相当仔細に回答していたからか、然程さほど執拗しつように訊かれることはなかった。


 質問者としての内海刑事は、非常に実直で、私の口から一生懸命に話を訊き出そうとしているのがわかった。話し方に桂田刑事のような軽妙さはなかったが、勤勉で正義感が強そうな人物だということは伝わってきた。

 一方の馬場警部補は、今回もやり取りの最中、じっと鋭い目つきで私の面差しを観察しているようだった。



 やがて、ひと頻り内海刑事の質問が済むと、馬場警部補がようやく口を開いた。


「これは半分愚痴みたいなものですがね、最近の事件はよくわからないことが多い。今回佐々岡さんが亡くなった件にしても、正直言って我々警察の理解を超えている。いや、こういうことをらすのは、もちろん市民の皆さんの安全を預かる公僕として、大いに問題があるという自覚はあるんですが」


 内海刑事と入れ替わりになって、馬場警部補は取調室の机の向かい側に腰掛けた。

 私と真正面から向かい合うと、低く静かだが、厳しさをはらんだ口調で続けた。


「佐々岡さんの件にしてもそうです。司法解剖はこれからですが、現場の状況や検死の内容にはわけのわからない部分が少なからずあった。すでに得ている目撃証言から、佐々岡さんが半狂乱で店舗兼住宅の建物から飛び降り、その後に亡くなったことは間違いない。しかしどうやら死因は心臓発作のようで、外傷性のものではないらしい。まあ落下した高さは然程でもなかったようだから、その点は無理やり納得するとしましょう。……ところがそれを差し引いても、常識的に考えておかしいのは、佐々岡さんの両足が激しく損壊――というか、白骨化していたことです」


 馬場警部補は、ひとつひとつ事実をたしかめるように言った。


「臨場した鑑識の話なんですがね、ご遺体の着衣や現場の路面からは、塩基性の液体成分が検出されている。つまり、非常に強力なアルカリ性溶剤みたいなもののようです。お恥ずかしながら学がないもので誤解していたんですが、人間の身体を溶かすのなら酸性では駄目で、アルカリ性じゃなければいけないそうですな。どうやら佐々岡さんの両足は、そいつで白骨化させられたとみるのが自然でしょう」


 以前の聞き取り調査と同様で、馬場警部補の話には警察側の独自な捜査情報もふくまれていた。

 とはいえ佐々岡さんの両足が白骨化していたこと、付近の路面がれていたことなどは、現場に居合わせた私も知っている。それで今回も隠し立てしたところで無意味だと判断し、具体的に触れているようだった。聴取での駆け引きかもしれないが、案外踏み込んでいると感じた。


「しかしそれならそれで、別の疑問が生じてくるんですよ。検出された塩基性の液体の成分は、まだ詳しく調べていないものの、おそらく自然界に存在しておらず、未知の物質である可能性が高い、と鑑識は見立てている。強いて言うと、少しだけカタツムリのような生き物の粘液に近いそうですが、そちらは同じ塩基性と言っても当然無害で、人肉を溶かすような危険物じゃない。とすれば佐々岡さんの両足は、何か特殊な溶剤で骨にされた、と考えたくなる。亡くなる直前に半狂乱だったというから、混乱して自分で自分の足に危険な液体を掛けたという見込みもないではありません。

 ですが二階から転落した直後は、怪我こそしていたようだが、まだ佐々岡さんの両足は白骨化していなかったという証言もあります。ならば落下後に自分で両足を溶かしたことになり、それではますます意味がわからない。液体が入った容器のようなものを、佐々岡さんのご遺体は所持していませんでしたからね。

 そうだとすると第三者が何か手品のような方法で、佐々岡さんの両足に液体を掛けて溶かしたのだろうか? けれど、それもまたやはりどういう理由があってのことなのか、ちょっと想像も付きません……」



 おもむろに語られる考察を聞きながら、私は奇妙な居心地悪さを覚えていた。

 馬場警部補の話は、大変理性的だし、至極真っ当な推論に基づいていた。

 しかしこれはおそらく、常識的な理解からはおよそ大きくへだたった事件なのだ。

 だからどれだけ因果関係を探っても、理性的なほど真相から遠ざかってしまう。


 それから馬場警部補は、私の顔をのぞき込んできた。

 どうやら、こちらの反応をつぶさうかがっているようだった。


「……しかしまあ白骨化のトリックについては、ひとまず横へ置いておきましょう」


 わずかな間をはさんでから、馬場警部補は不意に話題を転じてきた。


「ところで浅葉さん、近頃インターネット上じゃ、妙な悪夢の噂があるってご存知ですか」


 次に投げ掛けられた問いは、思いも寄らないものだった。

 私は、いささかきょかれ、当惑しつつも首肯で返事する。まさか警察が聴取の中で、ここへ来て怪奇現象の話を持ち出してくるとは思ってもみなかった。

 馬場警部補は、こちらの答えにうなずき返してから、先を続けた。


「SNSで話題の発言を拾ってみると、『最近S県やG県で不自然な亡くなり方をした人物は、みんな不気味な化け物が出てくる悪夢をていた』といった風聞が拡散されているようですな。それで夢の中に出てきた化け物と、徐々に現実でも遭遇するようになって、そのため殺害されてしまったとかいう話です。いやつくづく馬鹿馬鹿しい噂なのですが、本気で信用している若者もけっこう多いらしい」


 私は悪夢の話題に対し、どのような態度を取るべきかで迷った。

 馬場警部補は、辟易した面持ちで、がりがりと頭髪をいていた。

 いったん大きく呼気を吐き出してから、さらに続ける。


「さすがに警察はそういうオカルト――ああ、若い人は都市伝説というんですかね? とにかく神秘主義的な噂になんか付き合うつもりはありませんよ、事件として立証できないでしょうし。でも少なくない人々が全員同じような悪夢を視ていた、という点には若干興味を引かれるところがあります。それに以前、浅葉さんから伺った話によると、最初の犠牲者である押尾さんはまさに都市伝説を研究していたそうじゃないですか」



 そこで馬場警部補は、机の上へやや身を乗り出した。


「これはあくまでも、ひとつの仮説というか、憶測でしかありませんがね。例えば、ある特定の集団が皆で同じ薬物を摂取していたとしたらどうでしょう。あるいは何某なにがしかのカルト宗教のたぐいと関わる機会のあった人々が、精神操作マインドコントロールや集団催眠で同じ幻覚を共有するようになってしまったとしたら? そうして今回、そういった事案に巻き込まれた人物が、次々と犠牲になっているのではないか。仮に噂の真相がそういうことだとすれば、充分に得心がいくし、あり得ない話でもないように思えるわけですが……」


 このとき私は内心、なるほど、と警察側の推察に感心した。

 実際に怪異と出くわした経験を持つ私としては、馬場警部補が示す仮説が的外れに思える。

 しかし「悪夢の化け物は実在する」という話より、現実的で、常識にかなう理屈ではあった。

 ただそれに続く言葉を聞くと、心楽しむ憶測ではないこともわかったのだが。


「どうです浅葉さん、そうした事例に身の回りで心当たりはありませんか」


 馬場警部補は、重ねて問い掛けてきた。


「藍ヶ崎大学内にある特定のゼミやサークル、あるいは市内の学習塾だとか、内輪の人間関係が作られている空間を中心として、違法薬物やカルト宗教が流行っているなんて話を、どこかで耳にした覚えはないでしょうかね? もしそれでお友達がそういう問題に関わっているようなら、ここで打ち明けてもらった方がお互いのためになります。我々警察としても、死んだ桂田の身に何があったかを正しく知る上で、おそらく有益な情報になる」


 私は、一切聞いたことがありません、と明確に伝えた。

 警察が身近な人物に対して、多くの疑惑を持っていると察せられたからだ。その眼差しが皆月や曽我さん、韮沢さんらにまで向けられているかもしれないと思うと、安易に相手が望む答えを返すわけにはいかなかった。


 馬場警部補は、再び私の顔を覗き込み、少しだけ口を閉ざした。

 次いで軽くかぶりを振ると、「そうですか、わかりました」とつぶやく。



 その後はもう一度、内海刑事が中心になって聴取が進んだ。

 しかし以後は然程、事件の根幹に関わるような話が持ち上がることはなかった。

 かねて警察が足取りを追っていた紫シャツの男性に関しても、こちらから情報提供することはしなかった。商店街に居合わせていた事実を、たぶんまだ警察はつかんでおらず、問いただされたりもしなかったからだ。

 それに紫シャツが怪異の前へ姿を現わしたときの出来事を思い返すと、ここで彼を警察に差し出すような発言は、直感的に控えておくべきではないかと思われた。


「今日はお時間を頂き、ありがとうございました。ひょっとしたら失礼なこともお訊きしたかもしれませんが、何しろ浅葉さんは、ここ最近発生した事件の被害者のうち、押尾さんをはじめ、石塚准教授、うちの桂田、さらに今回の佐々岡さんもそうなんですが、複数人と接点がある人物ですのでね。我々としても、特に注目しないわけにはいかんのです。そういうわけで、またお話をうかがう機会があるかもしれませんが、どうぞよろしく」


 事情聴取の終わり際、馬場警部補は付け足すように言った。


 それで私はようやく、自分はかなり有力な容疑者候補と見られているようだ、と気が付いた。警察から言動を怪しまれ、密かに注視されているのは、紫シャツの男性だけではなかったのだ。

 あるいは夢と現実の世界の両方から、私は徐々に追い詰められつつあるのかもしれなかった。

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