22:九月五日(木)/新委住/相談(2)

 石塚先生のお宅を辞去してからは、新委住北通り三丁目へ向かった。

 藍ヶ崎大学のキャンパスから程近く、現代的な街並みと適度な自然が調和した場所だ。

 この日は正午過ぎから、この付近のイタリア料理店で、皆月初花と待ち合わせしていた。


 新委住駅前から、G県方面へ向かう市道を道なりに歩くと、目指す店舗はすぐ見付かった。

 小綺麗な洋館風の建物で、あたかも童話の中に出てきそうな、牧歌的な雰囲気がただよっていた。


 出入り口のドアから踏み入り、店内を軽く見回す。

 窓側の日当たりが良い席に着いて、皆月はハーブティーを飲みながら私を待っていた。

 時間通りに来たはずだが、どうやら彼女の方が若干早く来店していたらしい。


 同じテーブルに差し向かいで着席すると、私は待たせてしまったことをびた。

 皆月は「ほんの一〇分ぐらい先に来ただけよ」と言って微笑し、店員を呼んだ。

 メニュー表から料理を選んで、二人でそれぞれ注文した。



 私と皆月はここで昼食を済ませてから、新委住東通りの染織工房へ向かうことになっていた。

 無論、フィールドワークの一環で、伝統工芸と郷土史の結び付きを知る、ひとつのきっかけにしたいと考えていた。

 それと今回の民俗調査では、まだ主題を捌芽祭りに限定してはいない。異なる選択肢も、一応確保しておくつもりだったからだ。


 いずれにしろ皆月の計らいで、今日は染織工房に勤務する村瀬美緒さんを紹介してもらう予定だった。元来は押尾が渡りを付けてくれる手筈だったため、一時は彼の他界で目算が頓挫とんざすると思われていたが、救われた格好だ。

 尚、村瀬さんのことは、押尾の葬儀で泣き伏せていた姿が痛々しく、ずっと忘れられない。

 高校時代から交際してきた恋人を失う悲しみとは、いかばかりのものだったのだろうか。



 料理の皿がテーブルに届くと、私と皆月は今回も互いの近況を伝え合った。

 同じ悪夢に悩んでいた石塚先生が亡くなり、午前中はお宅へご焼香にお邪魔じゃましていたこと。

 最近た夢の中では、怪異と遭遇した際、その本体と思しき肉の塊が現出したこと……。

 私がそうした出来事について語ると、皆月は真剣な面持ちで聞き入ってくれた。


「実は私もつい先日、あのお化けと現実世界で遭遇したの」


 私がひとしきり話し終えると、次いで皆月が深刻そうに切り出した。


「学習ボランティアを終えたあと、夜間に帰宅している途中のことだった。鐘羽の住宅街でせまい路地を歩いていたら、前方の十字路で片側の曲がり角から、怪異はゆっくりと姿を現わしたわ。それまで夢の中では、暗闇に目玉が浮いていて、こちらをじっと見詰めているだけだったけれど――あの日の夜は、ただそれだけじゃなかった。今の浅葉くんの話にもあった通り、目玉の後ろからは触手が伸びていたし、その根元はぶよぶよした黄土色の肉の塊につながっていたの……」


 私も皆月も、いったんフォークやスプーンを持つ手を止めた。

 まだ二人共昼食の最中だったが、会話に区切りが付くまでは、いささか料理を楽しむ気分ではなくなってしまっていた。暗がりの中でうごめく目玉や触手、肉塊の様子を思い出して、パスタの味や食感もおかしくなりそうだった。


「しかも肉の塊みたいな本体を、そのとき改めて見てわかったんだけれど」


 皆月は自分の髪の毛を、指先でひと束まんで言った。

 不安を紛らわせるようにして、それをいじりながら続ける。


「半ば夜の暗がりに隠れていた部分には、黒くて、大きな、まるで殻みたいなものがあったように思うの。――いえ、その、肉の塊にくっ付いていたというか、むしろお化けの身体がその殻の中から出てきていたというか……」


 私は、皆月の言語表現から想起される造形を、頭の中で思い描いてみた。

 自分の記憶にある怪異の輪郭と、それを照らし合わせ、徐々に想像をふくらませる。

 次第に連想は、特定の外形として結び合わされ、ひとつの印象を生み出していた。


 それを待つような間を挟んでから、皆月は私の顔をのぞき込んで問い掛けてきた。



「浅葉くんも気付いた? だからあのお化けって、実は『カタツムリ』なんじゃないかしら」



 私は思わず失笑しそうになり、それをあわててこらえるのに若干の努力を要した。

 咄嗟とっさに「でんでんむしむし」の歌い出しではじまる童謡が思い出され、一瞬あきれにも似た感情に囚われたせいだ。


 とはいえ皆月の言葉を頼りに思い返してみれば、たしかに自分がこれまで夢にうつつに出くわした怪異も、カタツムリめいた形態が備わっていたように思う。

 あの長短四本の触手は、実際には「触覚」だったのかもしれない。そのうちの長い方の先端に付いていた眼球も、ぶよぶよとした黄土おうど色の本体も、それらしい特徴だった気がする。床の上に残されていた湿しめり気も、あの肉の塊から分泌されていた粘液だろうか。

 私は明確に視認できなかったが、言われてみると直近で視た悪夢では、暗がりの中に黒い影が見えた。あれはもしかしてカタツムリが背負っている殻だったのか、とようやく思い至った。


 現実で知るカタツムリと比較して、あまりにも個々の部位が巨大すぎるため、これまでそれと気付けなかった。

 ところが、あの化け物の全体像をよくよくとらえ直してみると、不思議とそれ以外のものに思えなくなってくる。

 しかし自分が何度となく遭遇している存在は、子供向けの図鑑で紹介されているような、愛嬌あいきょうある生き物ではない。たぶんすでに三名から命をうばった、極めて危険な怪異なのだ。



「こういうお化けって、やっぱりオカルトだと動物霊とかの一種ということになるのかな」


 皆月は、にわかに思い掛けないことを言い出した。


「それで、カタツムリに取りかれているから、ああいう怪異に遭遇してしまうとか……」


 人間に取り憑くカタツムリの霊にまつわる話は、寡聞かぶんにして知らなかった。

 所謂いわゆる「憑き物」に関しては、やはり狐や犬の動物霊が代表格だろう。次いで蛇か猿だろうか。

 また仮にカタツムリの怪異が存在するとして、それを動物霊に分類して良いかはわからない。

 そもそも私は、民俗学を学んでいると言っても、妖怪学の分野が専門ではないのだ。


 ただこのときはそれより、皆月が突然、憑き物の話題を持ち出してきたことに少し驚いた。

 悪夢の件を怪奇現象として捉えているのは、元々知り合った当初からだったが、いつの間にか古典的な怪異伝説の知識を得ているとまでは思っていなかった。基礎の雑学的な水準とはいえ、何某なにがしか調べ事をしていたらしきことは、それとなく察せられる。



 試しに憑き物のことをどこで知ったか訊いてみると、皆月はちょっとはにかみながら答えた。


「実はつい先日、ネット上で石塚先生の事件を話題にしている動画を見付けて」


 そう言って、皆月はスマートフォンを手早く操作し、こちらへ差し出してきた。

 画面上には、「【怪異の仕業しわざ】今、関東の一部地域で起きている事件のことをお話します。」というタイトルの動画ページが表示されていた。動画が公開されているチャンネルの名称は、「滝多うららの心霊ちゃんねる」。

 再生された映像の中では、化粧の濃い女性が神妙な口調でしゃべっていた。年齢は三〇歳前後とおぼしく、異国的な着衣に身を包んでいる。

 この人物がチャンネルを運営している、滝多うららというユーザーらしかった。


 石塚先生の件に関する情報をネットで検索していたところ、たまたま発見した動画チャンネルだそうだ。

 皆月も皆月なりの方法で、押尾や先生が亡くなった事件の情報を集めているようだった。


「スピリチュアル系のカテゴリーで活動している配信者さんが投稿したものらしいんだけれど、この中で事件は怪異の仕業なんじゃないかって言っているのね。しかも動物霊が憑いたか、誰かに呪われたかして生じたことかもしれないって。それでどこまで信用していいのかはわからないけれど、もう少し動画の内容をしっかり理解しようと思って、自分なりに憑き物や呪術のことを勉強してみたの」


 差し当たり今のところ、動画で語られている話を鵜呑うのみにしているわけではないのだろう。

 しかし私の目で見ても、胡乱うろんな印象は受けるものの、引っ掛かりを覚える内容ではある。



 この滝多うららなる人物は、亡くなった被害者と悪夢の関連については言及していないから、事件の背景を充分把握しているとは考えがたい。また元々スピリチュアル系の動画配信者なので、単に怪事件を「怪異の仕業」だと無暗に放言しているだけなのかもしれなかった。


 とはいえ三つの事件が、G県やS県で集中的に起きているだとか、押尾と石塚先生がどちらも藍ヶ崎大学の関係者だという要素だけで、いずれも相互に関連した出来事だと普通は判定できるものではない。

 それを看取しているという点だけで言えば、滝多うららには本当に何らかの霊能力――

 当人の主張に従えば、霊視のようなちからがあるとしても、おかしくなさそうに思えた。



 それで私も皆月と同じく、滝多うららを結局どこまで信用していいのかはわからなかった。

 だから怪異が憑き物や呪術に関係した存在か否かについても、判断を保留せざるを得ない。


 またいずれにしろ一方では、他にも事件や怪異に関する謎があった。

 石塚先生がのこした「泥の死」という言葉も、結局意味不明なままだった。

 先生の死が悪夢の怪異によりもたらされたものとして、いったいダイイングメッセージは何を示していたのか。

 私は、皆月に改めて意見を求めてみたが、やはり彼女も「わからない」と言ってかぶりを振るばかりだった。

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2024年9月22日 20:05
2024年9月23日 20:05
2024年9月24日 20:05

泥の死 -ある未解決事件関係者の手記- 坂神京平 @sakagami

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