51:本稿を読み終えた方への警告(2)

 知性への憎悪――

 あれから四年の年月が経過した現在も、紫之嶋叡心の言葉は私の脳裏に焼き付いている。

 紫之嶋はまた、「より多くの人から直接憎悪を集めた者ほど、標的となりやすいし、怪異は夢の境界を越えて現実を侵食しやすく、ますます危険な存在となる」とも語っていた。


 そこで以下では、怪異と接触した人々のことを、私が把握する範囲で振り返ってみよう。



 まず押尾聡は非常に向学心の旺盛おうせいな学生だったし、彼のことを指導していた石塚準教授が研究に熱心だったことは確認するまでもないだろう。

 他にも藍ヶ崎大学の学内では、学生にも指導者にも悪夢をた者が多数存在し、そのために「泥の死」事件がインターネット上で認知される発端となっている。

 私と行動を共にした皆月初花も、死に至らしめられる危機は回避したわけだが、やはり勤勉な学生だった。


 もっとも実際のところ大学関係者の中で案外犠牲になった人物が多くないのは、不幸中の幸いというべきか夏季休暇期間と事件発生の時期が重なっていたおかげだろう。キャンパスに出入りしていないときには自分から素性を明かさない限り、身分を他者に知られる機会は減少するので、少なくとも学生や研究者であることを理由に憎悪を向けられることも少なくなる。

 石塚先生は講演があったせいで、おそらく少なくない関係者と面会の機会があっただろう点が災いした。一方の夫人は教養豊かな人物だったものの、居宅が寂しい場所にあるおかげで、日頃第三者と交渉が少なかったために救われたのではないか。



 次いで学習塾「星峰館」グループの関係者に目を移すと、女性講師の七峰瑠璃子は都内の大学で教育学を修めた才媛であり、仕事中には生徒や同僚と数多く接する機会があった。

 ただし父親で経営者の七峰晃太朗は、同じように悪夢を視る機会こそあったものの、死の恐怖にさらされるまでに至らなかった。おそらく知的活動そのものより、社会的地位に注目される機会の方が多かったため、思いのほか憎悪を集めることは少なかったのだろう。また大きすぎる実績は、逆に周囲の嫉妬を生まないものだ。


 それから塾生の中にも、悪夢にうなされたという児童や生徒が散見されていたが、死亡事案が報告されていないのは、子供同士の知性に対する憎悪が大人ほどに大きなものではないからかもしれない。知識や教養、向学心や学歴の有無が人生に及ぼす影響は、幼いうちはまだ充分に実感されないはずだ。



 ……ここでひとつ星峰館グループについての重要な事実を告発しておくと、同教育支援企業には「泥の死」事件の発端を作った責任がある。

 それというのも怪異のせいで、不特定多数の人々が悪夢を視たり、そのうちでも特定の人物が生命の危機にひんするようになった背景には、ほぼ間違いなく星峰館グループの事業拡大と関連があるからだ。

 取り分け四年前、藍ヶ崎市へ進出して夏期講習を実施した影響が大きい。思い返して頂きたいのだが、悪夢の噂が最初に発生した時期は、私が同地でフィールドワークに取り掛かる少し前で、星峰館の夏期講習開始のタイミングと一致している。


 個人的な意見としては、もちろん学習塾が教育機会を創出することに否定的でありたくない。

 しかし地方都市では、時折「勉強ばかりしていても、社会に出たら役に立たない」などと主張する人々が存在している。近代的に発展した地域では信じがたいことだが、いまだに古い価値観が根付いた土地では、共同体内の人間関係に軸足を置き、苦労して愚直に働く人物こそ賛美されるべきだという価値観が残っている。

 そのような地域には、大なり小なり「より多く教育機会を得られる子と、そうではない子」が生まれがちで、各種の格差に憎悪を生む一面があってもおかしくない。


 おそらくはそのために数々の惨劇が発生した、と紫之嶋は見解を示している。

 だいろ神の名をかたる怪異(※泥の死の怪異)は、藍ヶ崎が河津梨と呼ばれていた過去から存在していたのだが、結果的に星峰館は「知性への憎悪」を地方都市全域に蔓延はびこらせたわけだ。

 七峰社長が紫之嶋を雇用し、怪異を調伏させたことも、単なる娘の敵討かたきうちではなく、実は企業の不祥事を隠蔽いんぺいしようとする意図があったのだろう。



 それはさておき今一度、怪異の犠牲となった人々の件に話を戻す。


 藍ヶ崎署の桂田刑事は、歴史好きで、大河ドラマの視聴を欠かすことがない人物だった。

 機械部品工場に勤務していた佐々岡さんは、元々高校時代に優等生で、都内の有名国立大学で学生時代を過ごしている。興味深いのは趣味で、天体観測やチェス、パズル作りと、知的な娯楽をたしなんでいた。

 スピリチュアル系動画配信者(兼霊媒師)の滝多うららは「学がない」と言っていたものの、一方でよく読書に親しんでいるようで、職業柄か民俗学に対する造詣ぞうけいただよわせている。

 フリーライター支倉凱についても、文筆活動で生計を立てている人物らしく、オカルト関連の知識量は当然常人がおよぶところではないはずだ。


 これらの事例を検証してみると、「知性への憎悪」は必ずしも学業の分野に限って向けられるものではないことがわかる。客観視して何かしら知的に感じられる事物に詳しいだけでも、場合によっては充分なのかもしれない。


 またマスコミ報道やインターネット上の風聞で可視化されないまま、世間のあずかり知らぬところで怪異による実害をこうむった人々も、多数存在するものと考えられる。我々の情報認識には限界があるし、私個人としても身の回りを越えた範囲で把握できる事案は、ごくわずかでしかない。



 それと直接襲われたり悪夢を視たりしたわけではないが、いつの間にか怪異にかれ、眷属けんぞく化してしまった人々にも触れておこう。

 紫之嶋の見解に従うなら、彼ら彼女らが怪異の傀儡かいらいとなった原因は、当人自身の内面にあるという。なぜなら眷属化した人々とは、側に属す人間だからだそうだ。


 たしかにひるがえってみれば、青年団の梶木さんは佐々岡さんの経歴を妙にさげすんでいた節がある。

 単発バイトで面識を得た松井さんは、私が民俗調査で藍ヶ崎に滞在していると知った際、言葉に出しては何も言わなかったものの、不意によそよそしい態度を取っていなかっただろうか。

 たぶん大柿谷栄近辺で見知った人々の中にも、私のフィールドワークを快く思っていない人物はいたのだろう。そのうちの何人かは眷属化して、捌芽祭りの夜に商店街で襲い掛かってきたのかもしれない。


 ちなみに皆月を襲撃した人々にしても、全員学習ボランティアの関係者だった。

 彼女も知らず知らずのうち、他者に何某なにがしか知的な面を嫌われ、恨まれていたのだろう。

 ひょっとすると学習ボランティアで活動していること自体についてさえ、「利口な人間が他人を見下して、ほどこしを与えている」というような印象を持たれていたのかもしれない。



 今にしてみると、やはり取り分け残念なのは、村瀬さんが眷属化してしまったことだ。

 押尾が殺害された日、元恋人だった村瀬さんと山道付近で接触していたという情報は、たぶん事実だったのだと思う。その時点で一度、怪異の眷属と化し、押尾を追い詰めたのではないか。

 とはいえ葬儀で泣き崩れていた姿も偽りとは思えないから、あるいは自分が元恋人を殺害した記憶は残っていないのだろう。


 ただ何にしろ、村瀬さんは押尾聡が大学生になり、やがて大学院へ進学する予定だと知って、思うところがあったのかもしれない。


 ――浅葉さんが少しうらやましいです。あたしもやっぱり勉強して、大学へ行けばよかったかな。


 染織工房で耳にした言葉が、心に重くし掛かる。

 きっと、村瀬さんの押尾に対する愛情は深かった。

 だが深すぎる愛情は、ときとして思いもしないかたちで憎悪を呼ぶ。

 それは恋人を怪異の餌食えじきとし、一方では私をねたむ火種となった。

 あるいは皆月のことも、密かに嫌悪していたかもしれない。

 そうして現在、村瀬さん自身は心神喪失状態にある……。




     〇  〇  〇




 ここまで言及してきた前提を踏まえ、私が夢とうつつを問わず怪異に遭遇した状況を、改めて検証してみよう。


 いずれの場合も、実は怪異と出くわす前の時点で、私があまり民俗調査などの活動を肯定的にとらえていない人物に接触していると気付くはずだ。

 大柿谷栄に住む幾人か、単発バイトの倉庫で知り合った松井さん、青年団の成員複数名、捌芽祭りの参加者、それから染織工房の村瀬さんなど……

 私は血の巡りの悪さゆえか、即座に察せられない場合も多いが、悪い夢でうなされたり、現実世界にカタツムリの化け物が顕現したりするとき、他者からの憎悪を集めていたらしい。


 そうして蓄積ちくせきした憎悪がより大きく、強くなればなるほど、怪異もいっそう強大な姿で目の前に現れる。

 さらに捌芽祭りで少彦名命すくなひこなのみことの加護が弱まり、鬼門が開く時間帯が近付いたりするほど、余計にカタツムリは凶悪になり、私の生命に危険を及ぼそうとしていたわけだ。




 だから本稿を通読した諸兄には、改めて注意して頂きたい。


 この世には、ただほんの少し知的なことに関心があるからというだけで、貴方を憎悪する人々が存在する。


 ただ貴方が真面目に学業に取り組んでいるだけで、

 ただ貴方が何かを学ぶ行為が好きだというだけで、

 ただ貴方が相手よりも多少教養があるというだけで、

 ただ貴方が相手の知らないことを教え伝えるだけで、

 ただ貴方が相手より洞察に優れているというだけで、

 ただ貴方が読書や天体観測を趣味にしているだけで――


「そういう人間は、こちらを愚かしいと見下して、馬鹿にし、軽んじているに違いない」

 という印象を誰かに与え、その相手から憤慨ふんがいされ、憎悪されることがあり得るのだ。

 それをよく、心に留めておくべきだと思う。


 少なくとも藍ヶ崎においては四年前、そうした憎悪が怪異を刺激して、「泥の死」事件に発展した。あのような化け物がまた、どこかで生まれるか、よみがえるかして、次の犠牲者を生まないとも限らない。

 いまだに世間で未解決の惨劇をまねいた怪異は、紫之嶋叡心の異能をもってしても、封印されただけで、消滅したわけではないことを忘れるべきではないだろう。

 紫之嶋は、あの怪異を「不滅の、概念的な霊体だった」と言っている、さらには「神に近しいもの」だとも。

 もし仮に知性への憎悪を浴びれば、そうした脅威に標的とされ、殺害されかねないのである。



 ……包み隠さず所見を述べるなら、例えば本稿を最後まで読んでいるような人物こそ、かなりあやういと思う。


 もちろん本稿が知的な内容のテキストだなどと、書き手として思い上がったことを言うつもりはない。

 むしろ常識的に考えるなら、怪異だ、都市伝説だ、オカルトだ、呪術だ、陰陽道おんみょうどうだ……などとばかり書き立てている手記は、非常に低俗で、取るに足りない駄文雑文のたぐいと見られても仕方ないだろう。


 しかしながら一面の事実として、本稿のテキスト量はそれなりの文字数となっている。

 これだけのまとまった活字を好んで通読する人物は、第三者から客観的に「文章を読み慣れている」という印象を持たれかねない。


 しからば無論、文章に読み慣れている以上、貴方のことを読書家なのだろうと連想する第三者は存在するのだ。

 そうして、一方的に「読書をたしなむ人間は、読書しない人間を愚かしいと見下している」というふうに思い込む人物も存在しているため、やはり貴方は自分でも気付かないうちに誰かから憎悪されているかもしれない。

 もしかしたら貴方は好奇心も人並み以上に持ち合わせていて、それが殊更ことさらに知的な印象を他者へ与えていることも想定され得る。



 だから本稿は、それゆえの警告なのだ。   う

 この世には、まったく不条理な事由で他者からの憎悪を集めて、危険な怪異と遭遇してしまうことがあり得る。それをたしかに心にきざみ、ゆめゆめ油断しないで頂きたい。この四年間、新たな犠牲者が出なかったからと言って、今後もそれが続くとは限らない。


 また同時に怪異と遭遇する機会を減らそうとすううるうなら、貴方は極力自分の知性を他者に悟られるべきではないだろう。

 それこそ「はじめに」の項目で予告した、私が本稿を公開した理由のひとつだ。

 一種のジレンマを含む話なので恐縮だが、貴方が本稿を通読するような人物だからこそ、注意をうながさねばならないのだとも言える。ただこれもすでに述べたことだが、本稿の内容を信用するか否かは貴方自身の判断に委ねられている。 打つ


 一方で本稿には実のところ、そのような貴方自身が抱える事実を、リトマス紙のごとあぶり出すために書かれた側面もあった。

 それを踏まえれば、私がここまで「知性への憎悪」について触れてこなかった理由も、察して頂けるのではないだろううか。いかにも皮肉だが、本稿に対する関心が薄く、多量のテキストを読むのが不得手であるほど、それだけ怪異に命を狙われる危険は少なくなる。

 換言するなら、今ここを読んでいない人物には、かくいう警告など不要だろう。よしんば高い知性の持ち主だとしても、きっと私の指摘を信用してはくれまい。




 いや、だがそれだけにひょっとすると、ここを読んでいる貴方の身には何か、むしろすでに目を疑うような異変が生じているかもしれないが……。

 あくまで可能性としてあり得るうというだけなので、杞憂きゆうであることを祈るばかりだ。


                                  ううう打つか

 本心を語打つかるならば、私もわざわざ「知的な活動を志向するう人間が、愚者をよそおい道化を演じる」とういうことに正しさがあるとは思っていない。

 だが差し当たり、怪異から身を守る打つか術として、他に即効性ううのある手や立破るかては見当たらないのが現実だううや。


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ううううううううううううううううううううううううううううううう

うううううう

うううううううううううううううう





うう打つか











 打つか、


 破るか、



 抓めるか、






 ――打ち割るか? 






<泥の死-ある未解決事件関係者の手記-・了>

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泥の死 -ある未解決事件関係者の手記- 坂神京平 @sakagami

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