47:事後処理(1)

 私が怪異の脅威から逃れつつ、保養施設「燦藍ヴィレッジ」の敷地に到着した夜――

 建物の内部には、紫之嶋以外にも「星峰館」グループ関係者が複数名待機していた。七峰社長の指示で配置された従業員らしく、全員黒いスーツに身を包んでいた。芝居がかった服装のせいで、平時ならば一見して失笑をらしていたかもしれない。だが怪我の痛みが辛く、このときはそれだけの余裕がなかった。


 紫之嶋が怪異を調伏ちょうぶくし終えたあと、黒スーツの面々は不意に私の前に姿を現わした。

 素早くかたわらへ近付いてきて、私の怪我の具合を確認する。それから、黒スーツたちは私の身体を、いったん施設の中へかついで運んだ。


 負傷の箇所に応急処置をほどこしたのち、すぐにまた建物の裏口から屋外へ連れ出された。

 正面玄関と反対側の敷地に出ると、そこにも駐車場があった。前庭に隣接したものよりせまく、従業員専用の場所と見て取れた。

 隅にワゴンが一台停めてあり、私は黒スーツに支えられながら車内に乗り込んだ。



 ほどなくワゴンは大柿谷を離れ、とうげまたいで星澄市に入り、真っ直ぐ同市の病院へ向かった。

 移動中の車内では、隣の席に腰掛ける黒スーツから、にわかにスマートフォンを手渡された。


<やあ浅葉くん。すでに部下から連絡を受けているが、怪異調伏は上首尾だったようだね。本当によくやってくれた、感謝します。これで娘も少しは救われるでしょう>


 通話の相手は、七峰社長だった。

 通信端末の向こう側から、おとりの役目を果たしたことに対し、率直なねぎらいの言葉を掛けられた。

 もっとも社長の声音には、表面上の賛辞や喜びに反して、ぬぐい切れない空虚さがにじんでいた。

 何をどうしたところで亡くした娘は帰らないのだから、それもいたし方ないように思われた。


<あとのことは、私に任せてくれたまえ。君にはまだ少し迷惑を掛けるかもしれないが、こちらでできることは可能な限り手を尽くさせてもらうよ>


 そう手短にけ合うと、七峰社長は通話を切った。



 ところで話が前後するのだが、燦藍ヴィレッジで建物の中へ担ぎ込まれた際、私は従業員用の休憩室のような場所で怪我の手当てを受けた。

 実はこのとき運ばれる途中で、比較的大きな広間を通り掛かっている。天井が二階の高さまで吹き抜けの空間で、白を基調とした内装になっており、南側の壁面は大部分が硝子張がらすばりだった。


 広間の中心部を見ると、祭壇めいたものが設置されていた。他より一段高くなった壇上には、固く編まれたわら製の輪が三段重ねの台座を成していた。さらにその上には複数の柱が立てられ、何枚もの御幣ごへいを垂らしていた。御幣には人形をしたものもあって、神秘的な雰囲気だった。

 また台座の奥には、円筒形の容器が置かれ、竹竿のようなものが複数本突き立てられていた。竹竿の先端からは、やはり御幣がいくつも垂らされていたように記憶している。



「あれは怪異を調伏するため、俺が独自に構築したものだ。おまえが囮として燦藍ヴィレッジを目指していた夜、到着するまでのあいだに準備を整えていた。鬼門の監視も並行しつつ作業する必要があったせいで、ことのほか骨が折れたがな……」


 保養施設で見掛けた祭壇らしきものについてくと、紫之嶋は後日淡々と答えた。


「壇上の台座は、民間陰陽道で『ミテグラ』と呼ばれる祭具なのだが、今回は特別に手を加えた代物になっている。本来なら内側には米粒を入れておくところだが、怪異の性質も踏まえ、今回は蛇の抜け殻を仕込んだ。実は呪言で調伏ちょうぶくすると、実体化した対象は霊的存在に戻り、現世を浮遊しはじめる。だからそこで、あの祭具の中へおびき寄せ、封印をほどこしてしまうわけだ。あとは地中深くに埋めれば、差し当たり怪異の脅威におびえる必要はなくなる」


 尚、祭壇は慎重に方位を確認し、陽乃丘方面を向くように設置されていたそうだ。

 雨泣き岩を主として、雨柳神社から山の神の霊力を借り受けるためなのだという。

 山の神のちからは、民間陰陽道で高度な儀式を成立させるのに重要らしい。


 それから一方で古神道においては、田の神を山の神の眷属けんぞく見做みなす場合もある――と、紫之嶋は主張していた。

 これまでに今回の怪異調伏では、田の神の使者として多邇具久たにぐく(蛙)を巨大カタツムリの天敵と位置付け、その霊験にあやかってきた。そこで対象を直接攻撃する際にも、これを利用しようと考えたようだった。



 私は、紫之嶋の説明に得心しつつ、しかし幾分かの動揺を覚えた。

 取り分け気掛かりを抱かされたのは、彼が調伏した怪異について「準備した祭具の中へ封印し、地中に埋める」と、のちの対応を語った点だ。


 ――「封印」というからには、あの怪異は結局、いまだに完全に消滅したわけではないのか。


 あのカタツムリの化け物は、最強の司霊者の異能をもってしても、消し去ることはできなかったわけだ。厳然たる事実に接して、私は戦慄せざるを得なかった。消滅していないなら、復活することもあり得る。


「ひょっとすると、おまえは誤解していたのかもしれないが」


 このとき紫之嶋は、こちらの様子を見て取ると、わずかに憫笑びんしょうらしきものを口元にのぞかせた。

 初めて目の当たりにする反応で、意外に思ったが、冷水を浴びせられた気分にもなった。


「司霊者は、それが善良な存在か否かにかかわらず、怪異を必ずしも駆除し得ない。むしろ現実にはそうまでできないことの方が多いほどだ。私は、怪異から誰かを金銭的な見返り次第で救うことはあっても、それなしに人助けをするような物語の主人公ではない。他者を救うことが可能なのも特定の局面、一定の条件が満たされた場合だけであって、大抵根本的で究極的な解決の術は持たない。常に怪異の脅威から逃れたい、身を守りたいと考えるのなら、それは当事者各自が独力で手段を模索するしかない」


 私は、紫之嶋が怪異と対峙する姿を間近に見たせいで、危うく彼を心強い味方だと錯覚しそうになっていたことに気付いた。この司霊者は本人の言葉通り、そういった人間ではない。


 紫之嶋は、例によってスキットルを取り出し、中身を喉へ流し込みながら付け足して言った。



「司霊者は、救いの神ではあり得ない。もし神に近しいものが実在するなら、俺よりもあの怪異の方がずっとそれらしい存在のはずだ。あれは不滅の、概念的な霊体だったからな……」

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