48:事後処理(2)

 ……「泥の死」事件を巡る真実に迫り続けてきた本稿も、徐々に末尾の頁が近付いている。

 燦藍ヴィレッジで怪異が調伏ちょうぶくされた翌日以降、藍ヶ崎市内で「不気味な悪夢をた」という声を耳にする機会は激減した。現実世界で巨大なカタツムリと遭遇した、という体験談をWeb上で見掛けることもなくなった。以後四年が経過した現在に至るまで、差し当たり世間の平穏は保たれているように見える。

 どうやら紫之嶋のほどこした封印が奏功したらしい。私も微力ながら、命懸けでおとり役を務めた甲斐があったように思う。


「捌芽祭り」のことについても、念のために少しだけ言及しておこう。

 神輿みこし曳山ひきやまは祭り二日目の朝、予定通り雨柳神社の境内を出発した。燦藍ヴィレッジでの一件が祭りの運営本部に伝わったのは週明けのことで、そのため幹部から行事を中止すべきだという意見が出ることはなかった。

 尚、私は当時病院で怪我の治療を受けていたから、もちろん以後の行列には加わっていない。

 ただし復路で神輿や曳山を運ぶ参加者には、大柿谷より陽乃丘の青年団に属す若者が多かったので、私が不在だった点は周囲に然程さほど不審がられなかったようだ。


 とにかく行列は、祭り初日の行路を引き返し、日没近くになって耶泉神社へ到着したらしい。

 無論このときにも、行列を終えた神輿や曳山に祝詞のりと奏上し、御分霊に対して天上へお帰り願う「昇神祭しょうじんさい」の他、「札納め」などといった神事がり行われた。さらに曳山に関しては、その日の夜のうちに境内で解体され、前年と同様に部品が倉庫に納められたという――……。



 もっとも、そうした捌芽祭り二日目の情報は、いずれも私がこの目で見てたしかめたものではなく、あとから伝聞で得たものでしかない。星澄の病院で診察を受けたあと、医師からそのまま入院し、安静にするように言い渡されたせいだ。祭礼の後半に参加する機会を逸し、当時の私は切歯扼腕せっしやくわんすることしかできなかった。


 かくいうわけで、藍ヶ崎の民俗を調査対象としたフィールドワークも、ここで私は断念せざるを得なかった。

 数ヶ月にわたり書き溜めたフィールドノートも、捌芽祭りを中心に扱う民俗誌として昇華させるには、肝心な祭事の後半部分が欠落してしまったわけで、いたし方ない。藍染めに関する実地調査と考察も、明らかに不充分だった。

 また余談ではあるが、私は大学四年生になると藍ヶ崎とまったく無関係な地域で、独自な習俗に関する調査を開始する。卒業論文の題材にも、そちらで得た着想を採用した。



 とにかく私にとっての藍ヶ崎での日々は、予定より早く終幕を迎えることになった――

 ただし、それはあくまでフィールドワークに関わる話に限ってのことであるのだが。

 私は、民俗調査の中止後も、いましばらく藍ヶ崎に引き留められることになった。


 なぜなら警察組織は、浅葉晴市を「泥の死」事件の重要参考人の一人と見做みなしていたからだ。

 以前に私のところへ馬場警部補が訪れた際にも、それらしい兆候は察していたので、驚き自体はあまりない。

 とはいえ捌芽祭りが終了した翌日のうちには、すぐに警察から「退院次第、事情聴取に応じて頂きたい」との連絡が入っていたから、さすがに捜査の初動が早いと思った。




     〇  〇  〇




 燦藍ヴィレッジでの出来事がどのように処理されているのかに関しては、インターネット上のニュース記事をスマートフォンで閲覧していたから、事情聴取の前におおむね把握していた。

 私が病院へ運ばれたあと、どうやら「星峰館」グループの関係者は、保養施設の玄関前に松井さんが遺体となって倒れていることを、比較的間を置かず警察に通報したらしい。


 しかし松井さんの遺体は、現場での検死をて解剖の結果を待っても、死因を特定することはできなかったようだ。

 私が燦藍ヴィレッジで遭遇した際の印象としては、もうあの時点で死亡していたように感じていたので、崖からの転落が直接の原因ではないかと思ったのだが……

 かえって科学的な検証だと断じられなかったというのは、少々意外な事実だった。

 とはいえ紫之嶋が怪異を調伏したあと、場に残された遺体の有様は、ほとんど「醜怪な肉塊」以外のなにものでもなかったように思う。それを踏まえるなら、そもそも明確な法医学的結論を求めることの方が、無理な相談だったのかもしれない。

 また一方で松井さんの死亡事案は、S県G県で同時期に頻発していた類似事件と同じく、他殺の可能性が濃厚と判断されていた。凄惨せいさんな現場の状況からすれば、妥当な推定ではある。



 それから染織工房の村瀬さんについても、松井さんの遺体発見現場に居合わせたせいで、警察は事情聴取の機会を求めていたようだった。

 ただ村瀬さんは事件発覚以後、佐々岡酒店前の事件における梶木さんの例と同じで、心神喪失状態にあったとみられている。そのために私とは異なる病院に搬送されて、経過を観察していたらしい。警察としても、取り調べは難航必至と予想していたはずだった。


 それでも村瀬さんを捜査対象として注視していたのは、彼女に重大な嫌疑を掛けていたからのようだ。

 ニュースサイト上で紹介されていた週刊誌の報道によると、警察は当時「村瀬さんが八月三日夜のアリバイを証明できない」ことを把握していたという。

 無論八月三日の夜と言えば、押尾聡が死亡したと推定されている日時だ。

 あくまで捜査関係者からのリークとしつつも、「警察は、村瀬さんが同日当該時刻に染織工房を退勤後、新委住の山道付近で押尾と接触していた可能性をつかんだ」――と、その記事の中には書かれていた。

 考えてみると白骨遺体の発見現場では、押尾のスニーカーと一致する足跡が発見されている。あるいは公表されていないだけで、かつて同じ場所に村瀬さんも立ち入ったことをほのめかす痕跡が遺されていた可能性はあり得そうだった。


 いずれにしろ村瀬さんも、ただ単に松井さんの遺体の第一発見者ではなく、私と同じく有力な容疑者候補の一人として数えられているとみて、おおよそ間違いないだろう。

 おそらく警察は、村瀬さんが元恋人だった押尾を、痴情のもつれから逆恨みし、殺害に及んだというストーリーを描こうとしていたのではないか。押尾の殺害現場に不可解な点があること、松井さんとの接点が不明なことなどは、後々説明の材料を探すつもりだったのかもしれない。

「かつての交際相手が元恋人を殺した」という筋書きは、いかにも陳腐だが、わかりやすい顛末てんまつに思われた。

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