40:一〇月五日(土)/陽乃丘/「捌芽祭り」(2)

 神輿みこし曳山ひきやまは、耶泉神社の境内を出たあと、まずは大柿谷の各所を巡る。

 中央から栄の地域を回り、南下して陽乃丘へ入って、雨柳神社を目指す。

 田園地帯を抜け、公民館に併設された大会所に寄って、団地のそばを進んだ。

 さらにその先で大柿谷栄まで達すると、行列は商店街の中へ踏み入っていく。


 街路の左右には、祭りの見物客があふれ、誰しも町内で配布された団扇や手拭いを掲げ、神輿と曳山に声援を送っていた。呼応するようにして、行列の前方では振り方の持つ旗がひるがえり、曳山の上では太鼓の演奏がちから強さを増していく。音頭取りの叫び声が皆を鼓舞し、神輿の担ぎ手や曳山の運び手も掛け声で喉を枯らす。


 晴れ渡る秋空の下、捌芽祭りの熱量はますます高まりつつあった。


 やがて神輿と曳山が商店街の中程に差し掛かると、見慣れた店の建物が近付いてきた。

 佐々岡酒店だ。看板が視界に入って、私は先日の凄惨せいさんな光景を思い出さずにいられなかった。

 陽乃丘方面へ向かうに当たり、ここを避けて通ることはどうしてもできない。運営内部でも佐々岡さんのご遺族に配慮して、一度は行程の変更が議論されたものの、結局例年通りの道筋を避けられなかった。沿道に立つ見物客の存在を考慮した場合、他の街路は道幅の問題もあって、充分な安全が確保できそうになかったからだ。



 酒店の前を通過する際、私は行列の只中にありつつも、亡くなった佐々岡さんのことを今一度考えていた。

 紫之嶋の見解によると、たぶん佐々岡さんは私とそれほど変わらない時期から、怪異の標的になっていたらしい。

 しかもそれでいて、「田の神の加護は受けていない様子だったから、藍ヶ崎の出身者らしく、乳児期に餅を背負った経験はなかったのではないか」という。

 ただそれでも九月末近くまで生き延びていたのは、工場に出勤するとき以外は引きもりがちだったことと、大柿谷が耶泉神社にいくらか庇護されていた影響だと見ているようだった。


「あの怪異はおそらく、人間の邪悪な想念がかたちを成して、この地で死をまき散らしている」


 紫之嶋は先日、佐々岡さんの件に言及した際、相変わらず淡々とした口調で言った。


「それらをけがれと見做みなして避けられれば、ある程度までは怪異の脅威からも逃れられる道理だ。古くは陰陽道でも悪夢をたあとは、しばしば『物忌ものいみ』のために外出を控えることとしているわけだからな」


 また大柿谷界隈に関しても、やはり地形が「谷」なので、「谷潜り」との縁が看取できる場所だから、少彦名命の加護が怪異の活動を抑制している――

 と、紫之嶋は繰り返し説明していた。

 さらに一方では「新委住」のことを、逆に怪異の脅威にさらされやすい地域だと断じている。


「かつて新委住は『河津梨かづなし』と呼ばれていた」


 紫之嶋の言葉を聞いて、私は石塚先生の居宅や染織工房で見た古地図を思い出した。

 スマートフォンで撮影した画像を検めると、なるほど過去に同様の地名があったとわかる。


「『河津梨』とは、カワヅナシ。つまり、かわずのいない土地のことだ。田の神の加護はないから、おそらく例の怪異が暴れ回るには都合がいい。俺の祖先でもある阿波あわの民を、なぜそういう地域へ移り住まわせたかは、当時の状況を想像するとなかなか嫌らしいものが感じ取れるが」


 紫之嶋は、感情の起伏に乏しい口調の中にも、わずかな毒を込めてつぶやいていた。

 たしかに新委住では、藍ヶ崎大学を中心として、今夏の速い時期から悪夢にうなされる人々が登場していた。

 かてて加えて、押尾聡、滝多うらら、支倉凱の三人が死亡した地域で、また石塚先生の居宅がある場所だ。


 もっとも少彦名命から庇護された大柿谷であっても、佐々岡さんは結局殺害された。

 私にしろ、今のままで放置しておけば、同じ運命をたどる公算はかなり大きいはずだ。

 少なくとも紫之嶋は、一升餅の件も踏まえた上で、そう見立てていたではないか――……




     〇  〇  〇




 大柿谷栄を通過したあと、神輿と曳山の行列は付近の小学校へ立ち寄った。

 正門を抜け、敷地内の前庭へ踏み入ると、そこでいったん休憩の時間を取る。

 青年団を中心に飲料と弁当が配られ、皆で一斉に昼食となった。


 そうして小一時間ほどの間に行列の参加者が何割か、新たな人員と入れ替わった。

 ここから神輿や曳山を運ぶ成員として加わったのは、主に陽乃丘町内会の面々だ。

 若くて体格の良い成人男性が多く、以後の行程を考えると心強かった。


 行列は、午後一時半を過ぎた頃に再出発し、改めて雨柳神社を目指した。

 途中の大きな河川に架かる鉄橋を渡った地点で、大柿谷から陽乃丘に入る。

 神輿と曳山はその先でもまた、地域の商店街やコミュニティセンターを巡った。

 全体の移動距離は、休憩に立ち寄った小学校の周辺で、約半分近くを踏破している。

 ただし予定の行程を先へ進むにつれ、上り坂が増えて、酷く体力の消耗を強いられた。


 それゆえ雨柳神社にたどり着いたのは、もう陽が西の空で没しつつある時間帯だった。

 境内へ入る手前では、石段を上らねばならず、殊更ことさらに労力を費やさねばならなかった。神輿はともかく、取り分け曳山を運ぶのがひと苦労で、皆のちからを結集し、ようやく上り切った先で鳥居をくぐることができた。

 そうして到着してからは、雨柳神社の拝殿で、初日の無事を祝う神事が執り行われた。

 私はかなり疲れていたため、宮司の祝詞を聞きながら、半ば睡魔に囚われかけていた。



 もっとも怪異を調伏ちょうぶくするため、紫之嶋が企図した戦いは、まさしくこの直後からはじまろうとしていた。

 何しろ私が祭りの行列に加わったのは、フィールドワークを差し引いても、あの司霊者の計画に従ったからだ。紫之嶋の考えによると、私が「囮」の役割を果たすには、捌芽祭りに能動的に参加するのが望ましいという。


「神輿と共に移動するのは、祭神の御分霊ごぶんれい随行ずいこうすることと同じだ。祭りの行列に加わっているあいだ、おまえは少彦名命のそばで守られていることになる。まずはそうして雨柳神社までおもむき、日没以降になってから、囮の仕事に本格的に取り組んでもらう」


 紫之嶋は先日、事務的な口調で説明していた。


「桂田という刑事や佐々岡の場合がそうだったが、万が一夜になる前に怪異と遭遇して、俺の目が届かない場所でおまえが殺されると、今回の計画は上手くいかないからな。ただそれでいて囮であるからには、明るいうちはそれなりに色々な人間と接し、おまえの存在を周囲に認識させておいた方がいい」


 言いなりで承知せざるを得なかったが、このとき私は苦い感情を押し殺すのに苦心していた。

 私と異なり事情を伝えていなかったにしろ、紫之嶋は怪異を調伏するため、過去に少なくとも石塚先生や佐々岡さんを、同じように扱ってきたはずなのだ。

 しかもその点について、「俺がけた依頼は怪異を駆逐することであって、標的になった人間を救うことじゃない」と発言している。


 ――こうした人間をどのように信用して、命懸けの計画に協力できるものだろうか? 


 常識的に考えれば、手を組むべき相手と思えない。だからこそ七峰社長もあのとき、紫之嶋の率直すぎる物言いに批難するような反応を示したのだろう。

 しかしたとえ協力をこばんだとしても、いずれ怪異の脅威が私自身を追い詰めるだろうことは、実感としてわかる。

 それでこちらは結局、紫之嶋の司霊者としての才覚に賭けて、生きるか死ぬかの大博打を打つしかなかった。


 だから七峰社長との面談の結果、不本意だが頼み事を引き受けざるを得なかったのだ――……




     〇  〇  〇




 この日の神事がひと通り済む頃には、すっかり屋外が薄暗くなっていた。

 神輿と曳山は、このまま雨柳神社でひと晩保管され、明日の朝にまた境内から運び出される。

 それから本日移動した行程を逆順でたどって、耶泉神社まで引き返す段取りになっていた。

 ちなみに曳山は明日の夜、捌芽祭りの終了次第、すぐに解体されて倉庫の中へ納められる。

 祭事の中心で輝くのは一両日中だけで、以後は来年の「蔵出し」まで眠りにくわけだ。


 耶泉神社から神輿と曳山を運んできた人々も、ここでいったん解散となる。

 明朝に雨柳神社を出発する際は、陽乃丘側の町内会や青年団の面々が中心となって、それらを運び出すことになっていた。

 大柿谷関係者の参加も認められているのだが、以後は例年通りだと全体の二割程度に留まる。大抵は初日の疲労が残っているからで、行列に随伴する人にしても、神輿や曳山を物理的に運ぶことは手伝わない、という場合が多いらしかった。



 いずれにしろ私は神事のあとに拝殿を出ると、雨柳神社の境内で石灯籠が並ぶ場所へ急いだ。

 祭りの夜らしく、参道側には縁日の屋台がまばゆい光を放っていたが、そちらは避けて社殿の脇に回る。喧騒から幾分か遠ざかり、人通りもまばらな道を歩くと、本殿付近で待ち合わせ相手と合流できた。


「お疲れ様、浅葉くん。まだ元気は残っている?」


 雨柳神社で待ち合わせていた相手――

 皆月は、いたわるように切り出してきた。


 心底申し訳なく思うが、彼女も紫之嶋の計画に巻き込んでしまった。

 私が皆月を頼って、七峰社長との面談に同席させてしまったせいだ。

 怪異を調伏させるに当たり、私が囮の役目を引き受けたところ、皆月も何か手伝いたいと申し出た。それで、この日の夜は雨柳神社に待機してもらい、いくつか彼女にも仕事を任せることになってしまっていた。

 長い髪はポニーテールにまとめて、薄手のシャツとデニムパンツを着用し、動きやすい恰好をしている。祭りの日にもかかわらず、華やかな装いを避け、実務的な被服を選択したらしい。


「とりあえずこれ、預かっていた荷物よ。欠けているものがないか、念のためにたしかめてね」


 皆月は、左手に提げていた紙袋を、こちらへ差し出して言った。

 受け取って中身をあらためると、黒いボディーバッグが入っていた。

 昨日のうちに私が渡しておいたもので、ここへ持ってきてくれるように頼んでいたのだった。

 さらにボディーバッグのジッパーを開けると、着替えの服や雑多な品がいくつか出てくる。

 今一度確認してみたが、どうやら不足しているものはなさそうだった。



 私は、ボディーバッグを背負いながら、皆月にこのあとの首尾に問題はなさそうか訊いた。

「もちろんばっちりよ」と、皆月は笑顔で返事する。空元気でけ合っているわけではなさそうだが、しかし半ばは自分に言い聞かせている言葉のように聞こえた。


 皆月は今夜、紫之嶋が怪異を調伏し終えるまで、雨柳神社の「雨泣き岩」を見守り続けることになっていた。

 彼女が協力を申し出た際、紫之嶋から言い付けられた仕事がそれだ。思いも寄らない要求で、皆月当人だけでなく、私もいささかきょかれた。

 とはいえ計画の万全を期すなら、望ましい配慮だという。


「俺は怪異を調伏するに際し、今回に関しては『雨泣き岩』に宿るちからを利用するつもりだ。あの岩には、化け物を弱体化させるのに丁度いい霊力が備わっている」


 紫之嶋は、一切感情のうかがい知れない面持ちのままで言った。

 説明しているあいだ、皆月の顔を一度も見ようとしなかった。


「ただし仮に怪異がそれと察知した場合、必ずしもこちらがやりたいようにやらせてもらえるとは限らない。どうにかして雨泣き岩に干渉し、霊力を引き出させまいと目論もくろむだろう」


 もっとも雨柳神社には祭りの夜、神輿が置かれ、少彦名命の御分霊が降臨している。

 だから怪異も、本来のちからすべてを発揮してどうこうできるとは思えないが――

 と、紫之嶋は付け足しつつも、警戒を怠るべきではないという見方を示していた。



「紫之嶋さんからは万一の場合に備えて、魔除けの霊符を渡されているわ」


 皆月は、自分のトートバッグの中から、白い包みを取り出して言った。

 それを手元で広げると、表面に複雑な図柄の記された紙片が覗く。いずれも生漉なますきの和紙で、細い毛筆を用い、濃い墨で書きこまれていた。

 紫之嶋が用意した霊符だった。私も何枚か手渡されていて、ボディーバッグに入れてある。

 紫之嶋には「ものたぐいを追い払う効果があるから、護身用に持っておけ」と言われた。半月ほど前から少しずつ作り溜め、入魂(霊力を込めることを、そう表現しているらしい)していたという。大量生産可能な性質の品ではないから、二人分合わせても一〇枚足らずしかない。

 本当に役に立つかもわからなかったが、差し当たり気休めに所持することにしていた。



 互いの準備を点検すると、しかしまだ皆月は幾分か不安が消せない様子でたずねてきた。


「もう、すぐにここから出発する?」


 私は、ああ、と短く返事し、首肯してみせた。

 こちらから皆月には「もし今夜、雨泣き岩を眺めているあいだに何か危険なことがあったら、決して無理せず、すぐに逃げて自分の身を守るように」と、しっかり釘を刺しておいた。

 それから彼女に背を向け、別れを告げると、足早にその場を離れた。


「どうか浅葉くん、気を付けて……」


 去り際に背後から、皆月は肩越しに声を掛けてきた。

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