16話 小さな瓶

 病院を出てもう一度教会に行こうとすると、「どうしてわたくしの婚約者と二人でいるのよっ」と馬車の中から声が聞こえた。

 目の前で馬車が停止し、案の定イザベラが中から顔を出す。


「まだ婚約はしてないだろ」

「もうしたも同然ですわ。わかっておりますでしょう?」


 猫撫で声に怖気が走る。

 ディリウスは相手にせず教会に歩き始めたので、ローズマリーも後ろを歩き始めた。しかしイザベラは諦めずに馬車を降りて追いかけてくる。


「ローズマリーは本当に手癖が悪いですわね。人のブローチを盗むだけでなく、わたくしの婚約者にまで手を出すなんて!」

「どっちも出してないわ」

「聖女というだけでちやほやされていい気になって! 大したことなどしてないというのに、羨ましいですわ!」


 大したことは確かにしていないが、ちやほやされるどころか周りから距離を置かれてしまっているのだ。イザベラのせいで。


「ああ、けれどローズマリーには婚約者がおりませんでしたわね! おかしな本ばかり読んでいる変人の暇人など、だーれも相手にするわけがないですけれど……ぷふっ」

「ええ、そうね」


 肯定したというのに、イザベラは何故か奥歯をギリと噛み始めた。


「あ、あなたなんか、誰にも相手にしてもらえませんわ! 一生独り者ですわよ!」


 一生。このままレオナードをエメラルド化から戻せなければ、そうなるだろう。

 一人で生きる女性は輝いていて素敵だが、ローズマリーはレオナードの妻になるのが昔からの夢なのだ。


(レオ様が戻らないなら……一生独身だって構わないわ)


 本当にそう思っているというのに、チリチリとした胸の痛みは止まらない。


「その点わたくしは見目もあなたと違っていいでしょう? ああ、魅力がない人って、ほんっとうに可哀想。どれだけ努力しようとも、あなたには振り向いてくれる人などいませんものね!」


 イザベラがその言葉を言い切ると同時に、いきなり前を歩いていたディリウスが振り返った。

 何故か怒りの表情が溢れているのを見て、ローズマリーは慌ててディリウスを止める。


「いいから。ブライアー侯爵家と揉めると、あとがややこしいわ」


 宥めてはみたものの、ディリウスは眉根に力を入れて奥歯を食いしばっている。

 このままではいけないと感じたローズマリーは、後ろを振り向くとイザベラに向かって驚いた顔をして見せた。


「あら、イザベラ。イヤリングが片方外れてるわよ」

「え!?」


 イザベラが横を向いた瞬間、ローズマリーはディリウスの手を繋いですぐに魔法を使う。


「何よ、どっちもちゃんとついてるじゃな……ちょっと、どこ行ったのよ!!」


 手を繋いだまま魔法を使うと、一緒に消えることができた。うまくいって良かったと息を吐きそうになったが、声は聞こえてしまうのでなんとか押し留める。

 お互い透明だと、なんとなくどこにいるかは感じ取れるようだ。

 ローズマリーが手を引っ張ると、ディリウスはついて来てくれて。

 騒ぎにならないように、ローズマリーは家に戻ってから魔法を解いた。


「結局戻ってきたんだな」

「教会で魔法を解く瞬間を見られても困るしね。今日は家で大人しくしておくわ」

「そうか」


 心なしか、ディリウスの気分が沈んでいる。

 きっと、好きな人イザベラを置き去りにしてしまったことに、罪悪感があるのだろう。


「ごめんね。ディルはイザベラと話し合いたかっただろうのに、私が勝手に魔法を使って連れ出しちゃったから」

「話し合いたかったわけじゃない。悪罵をやめさせたかっただけだ」

「ありがとう……イザベラのことが好きなのに、幼馴染みの私のことまで気にかけてくれて」


 優しい気遣いに感謝して言葉を述べると、何故かディリウスは一瞬にして顔を曇らせた。


「誰がイザベラ嬢のことを好きだって?」

「え? ディルでしょ?」

「俺はイザベラ嬢なんか好きじゃない」

「だってディルはお茶会の時にイザベラを抱き上げて──」

「待て。場所を変えよう」


 屋敷の前で話していた二人は、急いでローズマリーの部屋へと入った。

 そこでようやくディリウスが当時のことを話し始める。


「あの時は、イザベラ嬢をあの場から排除した方がいいと思っただけだ。彼女さえいなければ、兄上が何とかすると思ったからな」

「好きだから連れ出したんじゃなかったの!?」

「あんな性格の悪い令嬢を好きになるわけがないだろ」

「そうだったの……え、じゃあディルは、意に染まない結婚をさせられそうになってるってこと!?」


 ディリウスは無表情で首肯した。

 予想していなかった事態に大驚愕だ。しかし大事な幼馴染みが苦しむのは黙っていられない。


(第一王子がいるのに、狙いがディリウスっていうのも引っ掛かっていたのよね)


 イザベラは昔からローズマリーをライバル視しているのだ。ローズマリーと仲の良いディリウスの方を奪い、悔しがらせるのが目的だと思うとしっくりきた。


(全く、イザベラは……)


 ふと顔を上げた先に、壁掛けの鏡が目に入る。

 映っているのは自分ではなく、イザベラだった。鏡の魔法は、うっかりするとすぐに魔法を発動させてしまう。


「また魔法を使っちゃったわ……消さないと」

「待て。イザベラの横にいるのは……」


 ディリウスに止められて、ローズマリーも鏡を覗く。どこかの裏路地のようだ。

 侯爵令嬢とあろう者が、こんなところで何をしているのだろうか。

 黒服に黒い帽子を被った男が小さな赤い小瓶をイザベラに渡し、お金を受け取っている。


「何してるの、イザベラ……」

「これは……違法薬! こいつは売人だ!!」

「え!?」


 最近、判断能力を失わせて意のままに操る薬が出回っていると、聞いてはいたが。

 そんな薬を、何故イザベラが受け取っているというのか。


「イザベラは今日、王宮に呼ばれてるんだ! 父上が危ない!!」


 ディリウスの言葉にローズマリーは手鏡を持つと、二人は同時に家を飛び出した。

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