8話 諦めない
「イザベラ嬢。お怪我はありませんか」
「イシリオン様……ありがとうございますわ。でも足を挫いてしまったようで、動けませんの」
たった今、すっくと立ち上がっていたはずのイザベラが、急に足を引きずり始めた。呆れて声も出ないローズマリーに、イザベラは侮蔑の瞳を向けてくる。
「本当に暴力的な人。わたくし怖いですわ。それに見ました? ローズマリーったら、手癖も悪くて──」
「イザベラ嬢」
鋭い声が割って入ったかと思うと、ディリウスが一瞬でイザベラの体を抱き上げていた。いわゆるお姫様抱っこというものだ。
「きゃ、ディリウス様!?」
「失礼。足を怪我されたようなので、このまま屋敷で休まれては」
「ディリウス様が運んでくださるんですの? はい、そういたしますわ!」
イザベラは満面の笑みでディリウスの首に手を回して、優越感に浸ったままの顔で屋敷の方に消えていった。
周りはそんな二人を見て、きゃーきゃーと声を上げている。明日にはきっと、社交界中の噂になっているだろう。
(ディル……そんなにイザベラの怪我が心配だったのね。なんだ、ディルの好きな人って、やっぱりイザベラだったんじゃない)
ピンクブロンドの髪に甘い声、小さな身長、その割に立派な胸を持っているイザベラは、男性から見れば守ってあげたくなるような可愛い人なのだろう。
同じ女から見ればあざとさの塊にしか見えないが、貴族令嬢の多くはそんなものだとも理解している。
ローズマリーが俯いてブローチを握りしめていると、イシリオンが目の前にやってきた。
「ローズマリー。ブローチを」
「イシリオン様……私、盗んでなんかおりません」
「わかっている。大丈夫だよ」
柔らかいイシリオンの声にほっとして、赤いブローチを手渡した。
イシリオンはそれを持ってマルグリートに確認している。どうやら本当に彼女の物だったようだ。
「ありがとうございます。最近、すぐ針が外れてしまって……どこに落としたのかと、探しておりましたの」
「そうでしたか。ではやはり、落とされたものだったのですね。見つかってよかったです」
落とした物だとわかれば、これで容疑は晴れる。
次からは迂闊に拾わず、会場主に知らせるだけにしようとローズマリーは心に決めた。
「でも、どうしてあんなところにあったのかしら……」
マルグリートの疑問は、誰にも気にされることなく、喧騒に掻き消されたのだった。
ブライアー家のお茶会が終わった翌日、ローズマリーはいつものように教会へと足を運んでいた。当然のように、用事のない日はディリウスが送り迎えしてくれている。
教会で光輝の英雄となったレオナードを正面に、ローズマリーは横目でディリウスを見上げた。
(ディルがこうして私のそばにいるのは、レオ様に私を守れって頼まれてるからよね)
十年前の約束を今でも守り続けている、律儀な男。
しかし婚約者ができれば、今までのようにはいかなくなるだろう。
(もしかしてディルは、約束を守るために結婚を考えないようにしているの?)
そんな考えがローズマリーの頭をよぎる。
レオナードのエメラルド化が解けるまで。あるいはローズマリーが解くことを諦めるまで、結婚せずに守り続けると決めているのかもしれない。
ディリウスのことだ。さもありなん話だった。
「ねぇ、ディル」
「なんだ?」
「イシリオン様を差し置いて結婚できないって気持ちもわかるけど、婚約ならいいんじゃない?」
ローズマリーがそう言うと、ディリウスは思った以上に驚いた顔をした。
「婚約しても……いい、のか?」
「そりゃ、いいでしょう。国王陛下もイシリオン様も、反対されるような方じゃないわ」
「そうじゃなくて、その……婚約者に」
心なしか、ディリウスの顔が赤い。こんなに可愛い一面もあったのかと、新鮮な気持ちで見上げた。
「もちろん断らないわよ。イザベラはディリウスが大好きなんだから。昨日なんて目をハートにしてたわよ」
「あ……ああ、イザベラ、な……」
照れ隠しなのか、ディリウスは顔を背けてしまった。
恥ずかしがる必要はないと言っても、こういう性格なのだから言っても無駄だ。
「お似合いだと思うわよ、ディルとイザベラ」
「……そう思うか?」
「ええ」
頷いて見せるも、飲み下せない何かが喉につかえているようで、気持ちが悪い。
(私がイザベラを好きじゃないから、心から応援してあげられないんだわ。でもディルが彼女を好きなら、関係のない私が私情を挟むわけにいかないわよね)
イザベラなんかを好きにならないでと、言えるわけもない。言ったところで人の心は簡単に変えられないのだから。
「ローズはどうするんだ」
「私?」
「お前もいい年だろ」
「私はもちろん、レオ様と結婚するわ」
「いつ諦める?」
空色の瞳に真っ直ぐ見つめられる。やはりさっさと諦めてほしいのだ。イザベラと結婚するために。
「……諦めないわ。知ってるでしょう?」
「二十五になっても?」
「ええ」
「レオの年齢の二十八を過ぎてもか」
「ええ」
「六十歳は」
その言い草に、涙が込み上げて来る。
諦めない。いくつになっても、必ずレオナードをエメラルド化から解く方法を探し出してみせる。
そんな決心を揺さぶってくるディリウスの発言に、怒りと悲しみが混在した。
レオナードのエメラルド化を解除できた時、ローズマリーが六十歳になっていたとして。その時レオナードは、一人の女性として愛してくれるだろうか。
もし見向きもされなかったら、ローズマリーはずっと報われない努力をし続けることになる。助けられるのは嬉しくとも、それでは悲しすぎた。
(早くレオナード様を助けたい……今すぐにでも! お願い、神様!!)
そう願った瞬間、いつかのように頭に記憶が流れ込んでくる。
「う、ああぁあっ! また……っ」
「ローズ!?」
ローズマリーは痛む頭を押さえると、そのまま意識を手放した。
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