45話 初めての夜

「ありがと、ディル……」


 部屋が暗くなると、一気にムードが高まった気がする。

 早く、ディルの表情が見たい。


「じゃ、おやすみ、ローズ」

「……え?」


 ディリウスの気配が遠ざかる。

 自分の部屋に戻る気だと気づいて、ローズマリーは慌てて起き上がった。


「待って、どういう事? 今日は初夜よね。私達、夫婦よね!?」

「形式上はそうだな。じゃあ、してもいいのか?」

「……もちろんよ」


 形式上という言葉が気になりつつも、ローズマリーは頷いた。

 ドアノブに手を掛けていたディリウスが、ベッドへと戻ってくる。

 ぎしっと音を立ててベッドに乗ったディリウスと、ローズマリーは顔を見合わせた。

 さっきまで破裂しそうなほど胸が鳴っていたというのに、今は不安で心臓が収縮しているようだ。


「ローズ」


 結婚式の時のように、手が耳に掛けられた。

 ディリウスの感情の見えない瞳が、ローズマリーを見つめている。


(人前で恥ずかしかっただけと思おうとしてたけど……やっぱり本当にしたくないの……?)


 そう思うと悲しくて、涙が出てきそうになる。


(でも、結ばれさえすれば、きっとディルだって──)


「ごめん、ローズ」


 唐突に放たれた、ディリウスの謝罪の言葉。

 その意味を瞬時に理解してしまい、ローズマリーの手は震えた。


「ディル……」

「俺は、ローズを愛することはない」


 奈落の底に突き落とされるように、ローズマリーの頭はぐらりと揺れる。


(そうよね……無理やり結ばれても苦痛を与えるだけ。幸せになんてなれるはずがないのに)


 短慮な自分に嫌気がさす。

 ローズマリーの耳に触れていたディリウスの手が、ゆっくりと離れていった。

 その顔は、何故か罪悪感に満ちていて。ディリウスのせいではないというのに、責任を感じさせてしまって申し訳なくなる。


「ごめんね、ディル……」


 自分に魅力がないせいで、と思うとやりきれない。


「俺の方こそ、レオとの結婚を後押ししてやるって約束しておいて、何もできずに悪かった」

「それは、仕方ないわよ。ディルに拒否権はなかったんだもの!」

「違う。俺は、本当は断りたくなかっただけなんだ」


 ディリウスの言っていることが理解できず、ローズマリーは眉根を寄せた。


「……どうして……好きな人と結婚したかったのよね? ステーシィに聞いたわ。ディルはずっと、昔から一筋なんだって」

「……ステーシィのやつ……」


 暗がりの中でも、横を向く仕草でディリウスが顔を赤くしているのはわかる。


(まさか……ディリウスの好きな人って、ステーシィなの!?)


 そう思うと色々と合点がいった。ステーシィは三十に届くか届かないかの年だろう。

 年齢差もあるし、ステーシィの詳しい出自は知らないが身分差もあるに違いない。

 ディリウスがどんなに想おうと、結婚できる相手ではなかったのだ。


(そういえば、その人に一筋だと言っていたステーシィは、とても嬉しそうな顔をしていたわ……!)


 ローズマリーの中でパズルがピタリとはまってしまった。

 ディリウスがローズマリーと結婚しても、愛され続けるのは自分だとステーシィはわかっていたのだ。


(どれだけ官能的な格好をしてもディルは奪われることはないっていう、自信の表れだったのね!)


 王族がいつまでも結婚しないわけにはいかない。ローズマリーとの結婚は良い隠れ蓑になると考えたのだろう。だからディリウスは『断りたくなかった』と言ったのだ。


「つまり、私達は……白い結婚ってことね……」

「……え?」

「そうでしょう!? だって、別の人の事が好きなんだもの……!」

「……まぁ、そう……だな。わかってる」


 強く首肯するディリウス。ステーシィの事が好きだと認めているようなものだと、本人は気づいていない。


「……私は、どうすればいいの……」

「ごめんな。俺が拒否したくなかったばかりに……」


 ローズマリーは涙をこらえながら首を横に振る。


「すべては、私のわがままのせいだわ。ディルの気持ちも考えずに……」

「俺のことは気にせず、ローズの望む通りにすればいい。レオや兄貴のところに行きたいっていうなら……俺はそれでいい」

「ディル……」

「ローズの願いは、俺が全て叶えてやる」


 暗闇で優しく微笑んでいるディリウス。

 その台詞に、ローズは聞き覚えがあった。

 確か、ずっと前の前世……神の巫女であったマリアに、リウという人物が言った言葉。


 〝──マリア……君の願いを、俺が全て叶えてあげるから……っ〟


 呼び起こされる記憶。

 美しい空色の瞳と、優しい霧雨のような髪。


「ディルは……リウの生まれ変わりだから……っ」

「え?」


 申し訳なさで、ローズマリーの目からはぽろりと涙が溢れた。


(ディルがどうしてこんなに優しいのかわかったわ……前世のあの約束に、ずっと縛られていたのよ……っ)


 生まれ変わって記憶がなくなっていても、魂に刻まれた『約束だけは果たす』という使命感だけが残っていたのだ。

 だからディリウスは自己を犠牲にしてでも、いつもローズマリーの望むことを優先してくれている。


「ごめんね、ディル……っ」

「何の話だよ」

「ディルはずっと前の前世で、私の願いを全て叶えるって約束してくれてたの。今のディルは、それに囚われてるだけ……」

「ずっと前の前世で?」

「ええ。だからもう、私のことは気にしないで。ディルは、ディルの望むことをしてほしいの」

「……そうか。わかった」


 承諾の言葉に、胸が苦しくなる。

 ディリウスはローズマリーと白い結婚をしたまま、ステーシィと愛を存分に育むだろう。二人が結婚できない以上、そうすることが一番だとわかっている。

 しかし、自分が隠れ蓑になるだけの存在だと思うと、悲しくて苦しくて、目に見えない重みで潰されてしまいそうだ。


「……ともかく、今日は遅くなったし、もう寝よう」

「ええ、そうね……」


 そう言って、ディリウスはローズマリーに上布団をふんわりと被せてくれた。

 ここで寝ていいという意味だとわかり、ローズマリーは再度ベッドへと体を倒す。

 さっきまで出ていきそうだったディリウスは、何故かローズマリーと同じようにベッドへと横になった。


「……ディル?」

「俺は、俺の望むようにしていいんだろ」

「ええ、そうだけど……」

「大丈夫だ、手は出さないから。おやすみ、ローズ」

「お、おやすみ……ディル」


 ディリウスは目を細めたかと思うと、ローズマリーの方を向いたまま寝てしまった。

 手を伸ばせば、触れられる距離に大好きな幼馴染みが眠っていて。


(幼馴染みだものね……一緒ベッドで寝られちゃうくらい、何も思われていないんだわ……)


 そう思うと、涙が溢れてきそうで。

 ローズマリーは悟られないように、ディリウスに背を向けると、奥歯を噛み締めながら無理やり目を瞑った。

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