46話 関係
「はぁ……」
何もなかった、初夜が。
朝起きるとディリウスはもうベッドにはおらず、自分の部屋へと戻っているのがわかった。
みーみー鳴くヴァンに、「食べ過ぎだ」と嗜めるディリウスの声が聞こえてくる。
ローズマリーは逃げるように部屋を出ると、自分の部屋へと入った。
「はぁ……」
消え入りそうな声で息を吐く。落ち込んだ気持ちのまま部屋の一角を見ていると、扉がノックされて「ステーシィでございます」と声がした。
専属の侍女なので鍵は持っているだろうが、ローズマリーは鍵を開けて招き入れる。
「おはようございます、ローズマリー様。お召し物をお持ちしましたわ」
「おはよう、ステーシィ。よろしくね」
王族らしい豪奢なドレスに着替えさせてもらい、髪を結い上げられ、化粧を施してもらう。
これから毎日、ディリウスの想い人とこうして過ごさなければいけないと思うと、憂鬱だ。
「はぁ……」
「ローズマリー様、昨夜は大変でしたでしょう。お身体の調子がすぐれないのであれば、今日は一日お休みになった方が」
「平気よ……何もなかったもの」
「……はい?」
目の前で化粧道具を持つステーシィが、素っ頓狂な声を上げた。
(わざとらしいわね。わかっているくせに)
二人は密かに想い合う仲なのだ。ディリウスがローズマリーに手を出すわけがないと、彼女は確信していたはずなのである。
「何もなかった、とは……?」
「私はわかってるのよ。ステーシィ」
「は……何がでございましょうか」
「あなたが、身分違いの恋をしているということをよ!」
そう言った瞬間、ステーシィの顔は一気に赤く染まった。と同時に青く染め直していて、結果紫色になった顔でステーシィは頭を下げている。
「申し訳……ございません……っ! お気付きになっていたとは露知らず……っ! わたくしのような身分の者が王族の方に懸想するなど、あってはならない事ですのに……っ」
ステーシィが自らの気持ちを認めた。
人の気持ちとは、どうしてこうもままならないものなのであろうか。
ローズマリーは、たまたま侯爵家に生まれたから釣り合ったというだけの話。
人を好きになる気持ちを、すぐに諦められるなら苦労はしない。ステーシィだって同じだろう。
「悪かったわ……責めるつもりはないのよ。むしろ、責められるべきは……」
「……ローズマリー様?」
不思議そうに顔を上げるステーシィから、ローズマリーは視線を逸らした。
(責められるべきは、私なんだわ)
イザベラが無理やりディルを奪おうとした時、彼女は天罰が下るようにして堕ちていった。
ローズマリーがやった事は、それと同じようなもの。ステーシィから無理やりディリウスを奪ってしまったのだから。
(イザベラは本人の意思を無視してディルを奪おうとしたのだから、堕ちて当然だと思っていたけど……)
ローズマリーが薄目で恐る恐るステーシィを見る。
──第二王子を奪おうとした、あなたが悪いのでは──
そんな目で見られているような気がして、ローズマリーの心臓は一気に冷えたように体が固まった。
「ローズマリー様!? やはりお具合が……っ」
「ごめんなさい、大丈夫よ。気にしないで」
「しかし……」
「それと、あなたの秘密をバラすつもりはないから、安心してね」
「あ……ありがとう、ございます……」
ステーシィは申し訳なさそうに、でもどこかほっとしたように頭を下げた。
(初夜は何もなかったとはいえ、結婚してるんだから、私がディルを奪ったも同然よね……私もそのうち、天罰が下っちゃうかもしれないわ)
心の中で自嘲する。最後までしていない事が唯一の救いと言えるだろうか。
(わかってる。ステーシィとディルを応援すべきだって。でも、私のこの気持ちはどうすればいいのよ……っ)
想い合う二人を恨んでもどうしようもないことだとわかっていても。
自分の気持ちは一生通じないのだと思うと、悲しくてやりきれない。
朝食でディリウスと顔を合わせても、なんだかよそよそしくて胸がはち切れそうになる。
そしてローズマリーの侍女であるステーシィは、どこへ行くにも傍を離れず付いてくるため、何をしても気分が晴れない。
(外に行けば、少しは気も紛れるかしら)
そう思いながら中庭に向かうと、かつての愛しい人、レオナードの姿があった。
「レオ様!」
「ローズ!」
思わず走り寄ると、後ろから「はしたのうございますわ!」とステーシィが追いかけてくる。
「レオ様、お仕事は?」
「この後、兄貴の護衛が入ってるけど、それまでは暇でな。城や町をあちこちを見て回ってるんだ。十年経ったら結構変わっているからな」
「そう? そんなに変わらないと思うけれど……」
「そりゃ、ずっと見てれば気づかんさ」
レオナードは笑いながらポンポンとローズマリーの頭を撫でてくれた。
結婚しても変わらずそうしてくれる事が嬉しい。
やっぱりレオナードと結婚していれば良かったのだろうかという考えが脳裏をよぎってしまう。
「おっと。新妻に手を出すと、ディルに怒られちまうな」
「……そんなわけ、ないわよ」
「そうか?」
そう言いながら、レオナードは視線を後方に移した。そこには後ろで控えているステーシィが立っている。
「ああ、見覚えがある。……ステーシィ、だな」
名前を呼ばれたステーシィは、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「王弟殿下に覚えて頂けているなんて……歓喜の極みにございます」
「ああ、覚えてる。当然だろう? めちゃくちゃ綺麗になったな。びっくりした」
レオの言葉に、昼だというのに夕日にでも照らされたのかと思うほど、顔を赤く染めているステーシィ。
(もう、レオ様ったら。レオ様に綺麗になったなんて言われたら、誰だって舞い上がっちゃうわよ)
頬を膨らませながらも、会話の邪魔をしないようにローズマリーは少し下がった。
「綺麗になど……! もう私は今年で三十を迎えますのに……!」
「そうか、俺より年上になったんだな。子爵家からここに来た時は、まだ十五かそこらだったろ?」
「はい、十四の年でございましたわ」
懐かしさからか、優しく目を細めているレオナード。
自分のわからない話をされて怒るほど子どもではないが、除け者にされているようで少し寂しい。
「ステーシィはとっくに結婚して仕事を辞めたかと思っていたが」
「働くのが楽しくて、いつの間にか行き遅れてしまいまして……」
「そうか。けど、俺が硬化している間にいなくならなくて良かった。こうしてまた会えたからな」
「レオナード様……」
レオナードの優しさは知っているが、つい嫉妬してしまいそうになる。だからと言って、子どもの頃のように構ってもらうために気を引いたり、邪魔をしたりはできない。
むむっと口を尖らせていると、それに気づいたステーシィが「出過ぎた真似を」と下がってくれた。
「どうした? ローズ」
「……やっぱり私は、ディルと結婚すべきじゃなかったのよ」
ポロリと本音が漏れる。
自分から結婚を望んでおいて何だが、これからの事を考えると憂鬱で仕方ない。
「……どうしてそう思う?」
「だって──」
「ロ、ローズマリー様……!!」
慌てるようなステーシィの声に後ろを振り向くと。
そこには、足元にヴァンを連れたディリウスが、こちらを見ていた。
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