25話 使命

 フェンリルがローズマリーへと突進し、ディリウスは大きく振り上げた剣を突き下ろす。


 その瞬間、力任せに振ったローズマリーの短剣は、赤い石を真っ二つに割っていた。


 ギャォオオオオオオオッ


 振り向くと、フェンリルの目はディリウスによって斬り潰されていて。

 どうっとその大きな体躯が床に崩れ落ちる。

 フェンリルは目から血を流しながら、もう片方の目もゆっくり瞑ろうとしていた。


「はぁ、はぁ……っ」

「ディル!!」


 全身打ち身と切り裂き傷だらけのディリウスに慌てて近寄り、ローズマリーは治癒の魔法を使う。血をハンカチで拭き取ると、傷は消えていた。


「大丈夫!?」

「ああ、助かった」


 目の前のフェンリルの口から、コォォ……という小さな呼吸音が聞こえてくる。まだ生きているようだ。

 ローズマリーはそんなフェンリルへと一歩近づいた。


「おい、ローズ。危ないぞ」

「うん、でも……赤い石を壊したと、伝えたいの」

「石?」

「ええ。おそらく……このフェンリルを支配していた、魔法力の塊のような石よ」


 ローズマリーが近づくも、フェンリルはコォォ……コォォ……という切ない音を出すだけで、敵意は感じられない。

 そんな幻獣の首元に触れ、ローズは語りかけた。


「あの石を、壊してほしかったんでしょう?」


 心を読む魔法を発動させると、フェンリルの気持ちが伝わってくる。


『そうだ……これで、使命から解放される……』

「あなたの使命って、ここを守ることだったの?」

『扉の奥にある知識を、だ……。我は神の命には背けず、ずっとこの暗い地下に閉ざされていた……』

「あの赤い石が神様だったってこと?」

『あれは神の魔法力を宿らせた、ただの石だ。それでも我を支配するには十分だった』


 ローズマリーはフェンリルの顔をそっと撫でた。

 言葉としては聞こえないが、フェンリルの悲しみが入り込んでくるようで、ローズマリーの胸は痛む。


「こんなところでずっと一人……つらかったでしょうね」

『……死ぬ前に、もう一度空を見たかった……食べずに生きられるとはいえ、美味いものも食いたかったな……』


 コォォ……と切ない息が出されて、ローズマリーはディリウスを振り返った。


「ディル……このフェンリルを治癒してもかまわない!?」

「は!?」


 ローズマリーの唐突の願いに、ディリウスは声を裏返らせている。

 たった今命のやり取りをした相手を治療しようというのだから、当然の反応ではあるが。


「だって、ずっとこんなところに閉じ込められて……可哀想よ」

「ローズ……フェンリルは人々を脅かす存在だ。個体によるが人に危害を加えるし、騎士団も討伐の対象として見ている」

「このフェンリルは、ここを守るよう言い付けられていただけみたいなのよ。だから、今後は人に危害なんて加えないわ。そうよね?」

『……』


 ディリウスからフェンリルに視線を移すも、フェンリルは片方の瞳を少し動かしただけで、すぐ逸らしてしまった。


「何て言ってる?」

「危害ナンカ加エナイッテ……」

「嘘をつくな」


 ローズマリーの一世一代の名演技は、簡単に見透かされてしまった。さすが幼馴染みである。

 そんなやりとりを見たフェンリルが、心なしかふと笑ったように感じた。


『……ありがとう』


 伝わってくる、フェンリルの声。コォ……という音が薄くなる。やはり放っておけない。


「ごめん、ディル。私やっぱり、空を見せてあげたいの」


 縋るようにディリウスを見上げる。すると軽く息を吐いたあと、『しょうがない』というように口の端を上げていた。


「わかった、好きにしていい。また人を襲うことがあれば、今度こそ俺が屠ってやる」

「ありがとう、ディル!」


 許可を得て、ローズは急いでフェンリルに治癒をかけた。深手だったので全快とはいかなかったものの、コォォオオオッという息はローズマリーの髪とスカートをバサバサとはためかせる。

 目の傷も治り、フェンリルは両目を開いてローズマリーを見た。


『良かったのか? 我を治癒して』

「良かったかどうかは、これからのあなたの行動によるわよ。できれば、人間は絶対に襲わないって約束してくれると嬉しいわ」

『そういうことは、傷を治す前に契約するものだぞ。まぁ良い。お前には恩を感じている。そのくらいは約束しよう』

「ありがとう。でもお前じゃなくて、ローズマリーよ。あなたは?」

『ヴァンだ』


 名前を教えてもらった途端、さっきまでトゲトゲして硬かった青い毛が、急にもふもふと柔らかく変化した。


「わ! ヴァンの毛、なんだか丸くなった?」

『さっきまでは戦闘モードだったからな』

「ディルも触ってみて! 人は襲わないって約束してくれたし、大丈夫よ!」


 実は犬好きなディリウスはいそいそとやってきて、ヴァンの頭を撫でた。


「本当だ……さっきまでは剣も通りづらい硬さだったのに!」

『気安く触るな』

「もっと触ってくれって」

「甘えん坊か」

『ローズマリー!』

「ふふっ」


 怒った声も、本気で怒っていないとわかる。

 ずっと一人でいた彼は、自分以外の者とのやり取りに飢えていたのだろう。大きな尻尾が左右に揺れてしまっているのがその証拠だ。


『それより、我をどうやってここから出すつもりだ』


 ヴァンの問いかけに、ローズマリーは口を噤んだ。

 確かに、ここまで来た通路は狭く、ヴァンが通れるほどの幅はない。

 空を見せてあげたいと言っておいて、ここから出せないのでは閉じ込めるのと同じだ。


『奥に行ってみろ。そこには知識が詰まっているという話だ。我のこともどうにかなるやもしれぬ』


 ヴァンの目の先には、人が一人通れるくらいの細い扉がある。

 ここには、ローズマリーが求め続けてきた、あの魔法もあるかもしれない。

 ヴァンから手を離すと、ローズマリーはその扉に向かって一歩踏み出した。


「行きましょう、ディル。扉の奥に何があるのか確かめないと」


 ディリウスもずっとヴァンを撫でていた手を止めて振り返る。


「そうだな。行ってみよう」


 二人は頷き合うと、その扉に手を掛けた。

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