4話 十年前に始まっていた恋

 ローズマリーは、かつて父親だった男を眺める。

 逞しい農夫姿、優しい顔を覗かせる彼は、娘を本当に愛してくれていた。


(この人は……光輝の英雄になるとわかって、嬉しかったの? それとも悲しかった?)


 考えてもわからない。

 あの後の母親は、『とても名誉なことね』と泣いていたように思う。

 それは喜びの涙だったのか、悲しみの涙だったのか。それもローズマリーにはわからなかった。


「帰るなら送る」

「……うん」


 ローズマリーは頷き、二人が光輝の英雄たちに背を向けた、その時。

 パァンッ! と弾ける音がして、二人は同時に振り返った。


「誰か砕けた!!」

「誰!?」


 真っ先にレオナードと前世の父親を確認する。二人の姿は変わらないままで、心底胸を撫で下ろした。

 割れたのは、十五年ほど前に光輝の英雄となった者のようだ。

 粉々になってしまった英雄を見て、ローズマリーは胸を痛める。


「砕けたのは、また・・二十年以内に光輝の英雄になった者だな」

「そうね……それ以前の英雄は割れずにいるのに、どうして……」


 女神信仰が始まって、現在の女神歴は一〇二〇年。

 二十年前までは、光輝の英雄に選ばれるのは百年に一人程度だった。千年かけても九体である。

 しかし二十年前から光輝の英雄になる者が増え、毎年のように英雄が誕生し始めたのだ。人々は無邪気に喜んだが、近年英雄となった者は今のように砕け散ってしまうことがあった。原因はわかっていない。

 レオナードもいつ砕け散ってもおかしくないと思うと、心臓に爪を立てられたような痛みが走った。


 英雄が砕けたことに気付いた司祭や修道女がやってきて、木箱に砕けた破片を入れ始めた。

 光輝の英雄は、各地からこの教会へと運ばれてくる。

 中央に女神が一体、砕けることのない昔の光輝の英雄が九体、そしてこの二十年で増えた英雄が二十二体もある。そのうちの十三体は、すでに砕け散っているのだが。

 木箱に入れられた英雄もそのまま教会に置かれていて、どんどん増え続ける光輝の英雄たちをこれからどう扱っていくべきか、教会としても国としても、頭を悩ませているところだ。


「レオ様まで砕けちゃったら、私……」


 バラバラになった英雄を見ると、体が震える。

 もし解除する方法があったとしても、砕け散った状態から戻せるかどうかはわからない。


「早く、レオ様を元に……っ」

「シッ」

「んぷっ」


 ぱふんと口を手で押さえられ、ローズマリーの言葉は遮られた。


「人がいる時は口にするな」


 耳元で囁かれ、こくこく頷くとその手は離れていく。

 エメラルド化を解くというのは一般的には危険思想だ。女神のお気に入りを横取りすることになるので、機嫌を損ねてしまうと言われている。そうすれば、天変地異で国が滅んでしまうことにもなりかねない、と。

 だからエメラルド化を解除しようと研究する者など、ローズ以外には存在しなかった。


「レオは簡単に砕けたりしないだろ。お前が悲しむことを、よく知ってる」

「……ええ、そうよね!」


 レオナードは現在の国王の王弟だ。生まれた時から兄を支えることを定められていて、幼い頃から体力も精神力も鍛えられ、騎士団長にまでなった人物である。


(そうよ、レオ様ならきっと大丈夫だわ。私が助け出すまで、耐えていてね!)


 ローズマリーは不安を抑えて、レオナードの笑顔を見つめた。

 何度も結婚してと言って困らせて、でも決して『しない』と否定しなかった優しい騎士団長。


「ふふっ」

「どうした?」

「ううん、ちょっと思い出したの」

「何を」

「私が何度も求婚した時のことよ」


 ディリウスは少しうんざりした様子で、それでも嫌がらずに耳を傾けてくれる。


「レオ様は一度だけこう言ってくれたのよね。『ローズが大きくなった時、今と同じ気持ちなら考える』って」

「まさか十年以上も求婚し続けるとは思わなかったんだろ」

「私は諦めないわよ!」

「知ってる」


 ローズマリーの初恋の相手は紛れもなくレオナードだということを、ディリウスも当然わかっている。

 面倒がって、全然協力してくれなかったが。


「そういえばあの時、ディルも一緒にいたわよね。何か言いたそうにしてなかった?」


 レオナードとのやり取りを、横目でじっと見ていたディリウスを思い出した。

 今思えば、あの顔は何かを伝えたかったのではないだろうか。


「さぁ、覚えてないけど。ローズが求婚するたびによくやるなとは思ってた」

「どういう意味よ」

「ローズはすごいってことだよ。承諾されないってわかってて、気持ちを伝えるのは難しいって話だ」

「そう? だって、言わなきゃ始まらないじゃない!」

「まぁな」


 ローズマリーから視線を逸らすディリウス。

 すごいことをしているつもりはないが、ディリウスにとっては違ったらしい。つまり、それは。


「もしかしてディル、求婚したい相手がいるの!?」

「声がでかい」

「誰!? 教えなさいよ!」

「お前、不敬って言葉知ってるか?」

「いいじゃない、私とディルの仲なんだから! さぁ、言うのよ!」

「誰が言うか」


 何を言っても教えてくれるつもりはないらしい。

 ローズマリーはぐぬぬと口を尖らせたが、諦めて息を吐いた。


「まぁディルは、イシリオン様が先に結婚なさらないと難しいかもね。早くその人に求婚できるといいわね!」

「……そうだな」


 ディリウスも二十歳だ。今までそんな話を聞いたことがなかった分、驚きはしたが、ちゃんとそんな感情を持ち合わせているのだと知ってほっとした。

 彼に秋波を送る者はいるが、ディリウスはまったく興味を示さなかったので、結婚をする気がないのだと思っていた。


「誰? もしかして、イザベラ?」


 イザベラはディリウスにモーションを掛ける筆頭の侯爵令嬢である。


「放っておいてくれ、頼むから」


 せっかく気を使ってあげたというのに、ディリウスの態度は、とても、素っ気なかった。

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