5話 理不尽な女神

「そんなことより」


 ディリウスは、光輝の英雄となったレオナードに再度目を向けた。

 先ほど砕けた英雄は木箱に入れられ、蓋はされずにそのまま置かれている。

 人が少なくなったところで、ディリウスがローズマリーに耳打ちした。


「ローズの魔法で、エメラルド化を解除できないか?」

「……どうかしら」


 ローズマリーが手に入れた魔法は、治癒だけだ。エメラルド化の解除とは、また別な気もする。


「とにかくやってみろ。今なら誰も見てない」

「わかったわ」


 レオナードに手をかざしたローズマリーは、治癒魔法を発動した。

 しかしどれだけ力を注いでも、エメラルドの硬い状態から変化することはなかった。


「やっぱりダメみたいね……」

「そうか……」


 ディリウスに落胆の色が浮かぶ。

 彼はなんだかんだと、レオナードのエメラルド化解除に協力的なのだ。


あの時・・・のディルは、悲しむ素振りも見せなかったけど……)


 物心ついた頃から、ローズマリーはディリウスと一緒にいた。

 小さい頃のディリウスは、レオナードのことが大好きでよく笑っていたように思う。

 レオナードも、同じ第二王子という立場だったからか、イシリオンよりもディリウスの方が可愛いようだった。

 幼いうちから木剣を持たせては、稽古をつけてあげていた姿が思い出される。

 当然ディリウスがレオナードに勝てるわけはないのだが、子どもながらに気迫だけは一人前だと褒められていた。


 そして、十年前のあの日。


 前日まで、レオナードは魔物討伐作戦に出ていた。

 その年は魔物が大量発生していて、幾度も遠征が組まれていたのだ。

 レオナードは騎士団長として遠征を指揮し、勝利を収め続けた。


『おかえりなさい、レオ様!!』


 王城でディリウスと一緒に待っていたローズマリーは、ようやく帰ってきたレオナードに飛びついた。

 宰相である父親に『無礼な振る舞いをするな』と怒られながら、それでもレオナードは気にすることもなくローズマリーの頭を撫でてくれる。


『すごいわ! 魔物を全部やっつけてくれたのね! さすがレオ様だわ!』

『ローズたちの安寧のためなら、なんだってやってのけるさ』

『レオ様ぁ!』


 ローズマリーが再度抱きつくと、隣でディリウスが『俺も行きたかった』と頬を膨らませ。『もっと大きくなったら俺の背中を頼むな』とレオナードが笑っていて。

 また、一緒にいられるのだと思った矢先だった。


 パキンッ


 それは、地獄の門が開かれるかのような、絶望の音。

 レオナードのつま先がエメラルド化した事実に、ローズマリーは愕然とした。


『レオ様……!?』

『レオ……!』


 あの時の感情を、ローズマリーは生涯忘れることはないだろう。

 足元からパキパキと音を立てて、大好きな人がどんどんエメラルド化していく絶望を。


『いや……いや!! レオ様、どうして!!』


 頭で考えるより先に、勝手に涙が溢れ出した。喉が詰まったように苦しくて、視界もぼやける。


『ああ、俺が選ばれちまったか……そうか』


 穏やかな声で、冷静でいられるレオナードが信じられなくて。

 周りの大人たちは喜びの声を上げ、拍手すらしていて。


『レオ様、レオ様ぁああ!!』


 泣きじゃくるローズマリーに、レオナードは困ったような顔を向けた。


『ローズ、泣く必要はない。俺がいなくとも、ローズの周りにはたくさんの人がいる』

『ふえぇえ、ううう!!』


 レオナードの代わりはどこにもいないと叫びたかった。けれどもう、むせび過ぎて、まともに言葉すら出せなくて。レオナードはその碧い瞳を、ローズマリーからディリウスへと向けた。


『頼むぞ、ディル。ローズはお前が守れ』


 レオナードの言葉を受けて、ディリウスは力強く頷く。

 甥の成長を喜ぶように、レオナードは『よし』と笑っていて。

 その後、彼はしみじみとこう言った。


『お前たちの未来を、見ていたかったな……』


 ローズマリーは『レオ様』と呼びたくても、声が上手く出せず。

 最後に優しい笑顔を見せてくれたレオナードは、そのまま光輝の英雄となった。

 周りの拍手の音は一段と大きくなり、歓声は上がり続ける。

 素晴らしいことだと。女神に気に入られたのだと。大変なほまれなのだと。


 泣いていたのは、ローズマリー……ただ一人だった。


 レオナードは教会へと運ばれてしまい、ローズマリーはしばらくの間、茫然としていた。

 ディリウスの部屋で休ませてもらっていると、涙が止まると同時に、ふつふつと怒りが湧いてくる。

 己への無力さか、この悲しみを共有してくれる者のいない悔しさか、それとももっと別のものへの怒りなのか。

 その心を、いつもと変わらず過ごすディリウスへとぶつけてしまう。


『レオ様が動かなくなって、ディルは悲しくないの!?』


 一粒の涙も見せないディリウスは、やはりいつもと変わらず淡々と答えた。


『レオは女神様に気に入られたんだ。喜ぶべきことだろ』

『そういうことを言ってるんじゃないわ! もう話せない……もうレオ様の温もりを感じられない……笑ってもくれない! 褒めてもくれない! 叱ってもくれない! それが寂しくないのかって聞いてるのよ!!』


 止まっていた涙が、またも溢れてくる。

 同じ気持ちでないことが、わかってもらえないことが、こんなにも悲しい。

 もう二度と、鮮やかな金髪と碧眼が見られないのかと思うと、つらくて仕方ない。

 そんなローズマリーに、ディリウスは悲しい空色の目を向けた。


『理不尽、だとは思う』

『りふ……じん……?』


 当時のローズマリーには、理不尽という言葉の意味はわからなかった。

 けれどなんとなく、自分の気持ちが伝わったのだと思って。


『ふぇえ、ふぇええええん!!』


 大泣きするローズマリーの頭を、ディリウスはレオナードのように優しく、優しく撫でてくれていたのだった。

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